好みのヒロインがいなくても、萌えがなくても、あるいは様々な欠点があろうとも、上質のエロ「ゲーム」は楽しい時間が過ごせる。
テンプレ的なエロゲADVに慣れていると何を楽しめばいいのかすら戸惑うかもしれないが
変則システムを積んであるだけの普通のADVであり
コンシューマ問わず古いADVを数やってる人の中にはこっちの方がしっくりくる、という人もいると思う
モチーフは恐らくYU-NO
エロもグロもギャグもいつ飛び出してくるかわからないジェットコースター展開が続く不安定な世界観は
格調高い宝石箱ではなく、汚れたおもちゃ箱のようで
伝説となった本家よりかなり雑多に感じる
だがテーマはぶれないし、雑多=つまらないとは違う
研磨を終えた宝石のような物語じゃなくても、楽しいものが出来るという事がよくわかる
決してYU-NOパクり劣化版ではなく、強烈なクセと個性はノベルとは違うまさにエロ有の「ゲーム」
仏教的な輪廻の概念や、成功ルートを見つけてそこに進むADVとは違い
主人公はダメ人間のままひたすら自分の、そして周りの無残な死を見続ける
高尚な気持も持ち合わせず、ひたすら流され、おびえ、あきらめ、時には憎み
それでも1つだけ彼は「死」の扱いにだけは慣れていく
「どうせ死ぬんだし」「苦しむ前に死ねれば良かった」と
それは成長ではなく、更なる無残な死へつながるだけというのに
だからサブヒロインと結ばれ平凡に50歳で死ぬ
のびたとジャイ子ならBADEND的なそんなエンドも
この作品では全く違うコントラストの1つになる
もうそのエンドでいいじゃないか
お前のようなダメ人間にはそれが最高のエンドだろ?
死んでもまたそのエンドに行けよ
平凡なエンドに対しそんな風に思う事はめずらしい
でも物語はそんな平凡な安息すらも許さない
また次の無残な死を見ることを強いられる
異なる輪廻の解釈と
残酷で悲惨な死の数々の中に
主人公は何を見出すか
己を律し戒め救われるのが宗教的な輪廻ならば
成功の選択肢を選び続け最高のHAPPYENDにたどり着くのが
輪廻転生モノADVならば(そんなジャンルあるのかわからないけど)
この物語で堂浦とドーラは何を感じ何を得て
どこにたどり着いたのだろう?
最後の死の間際、彼は救われたようにも見える
一瞬だけだが幸せにも見える
でもそこですら物語は終わる事を許さない
生まれ変われたらなぁとか
やり直せればなぁとか
不死への憧れとか
誰もが一度は思うような事を
すべてを否定するかのように、飲み込むかのように輪廻は続く
「蒼色」輪廻
題名もなかなかに味わい深い
自分がプレイした2008年頃ですらシステム周りの不便さはネックだったし
作り込みの甘さも足を引っ張るが
善行を積み重ね新たな境地へ、もしくは悪行を戒め己を高めるような
仏教における輪廻とは異なる解釈の元
ある意味真逆の結末に落としていく展開は
プレイヤーの捉え方で喜劇にも悲劇にも見える不思議な作品になった
自分にとっての蒼色輪廻は、喜劇でもなく悲劇でもなく
恥ずかしい言い方をすれば、人生の教訓をメッセージにした応援賛歌だった
何の教訓?何の応援?
青臭いので言うのは恥ずかしいが
終わらない否定は、突き詰めれば転じて1つの肯定になる
そこには強烈なメッセージ性を感じなければなるまい
案外作者も恥ずかしくてこういう作品になったのかもしれない
絵もテキストも音楽もエロも物足りないし
文句なしの傑作には程遠いが
忘れ去られ埋もれるにはあまりに寂しい影の名作