友情をテーマにしたギャルゲー。この矛盾は解消されなかった。
【08.02.23追記その5】恐らく最終追記
自らの納得いかない心を解消するため、みなさんのレビューを読み、レスを読み、
リトルバスターズ再プレイ致しました。
結果から言いますと、やはり評価は変わらずでした。(まぁ二点ほどあがってますが)
非常に不本意ですが、リトルバスターズは自分には合わないゲームだろうと思います。
自分なりに問題点をまとめました。
こんな長くて読みづらいの読む人いないだろうなー……。
ちなみに、『問題点』といのは、自分に合わなかった理由ということであり、
この作品の問題点という意味ではないので。一応補足。
━━━━問題点━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【問題点①】
・そもそも『リトルバスターズ』って何なのだろうか?
作中ヒロイン達が平気でリトルバスターズの面々のように描かれる場面が
いくつかある。事実そうなのだろう。
しかし、ならば現在までにもっと友人が増えていてもいいのではないか?
何故友情の輪は5人で止まってしまったのだろうか。
『一人じゃ辛いから二つの手を繋いだ。
二人じゃ寂しいから輪になって手を繋いだ。』
たった5人で満足したということか。
その輪は5人で十分だったのか。
普通に考えれば、
幾千の人間が輪になって『リトルバスターズ』になっているはずではないか。
リキの言動から、リトルバスターズなんてものは活動停止していたらしい。
リトルバスターズは小さい頃だけの遊びで、人員募集もあの頃のみだった?
すると、現在までずーっと五人で友情を固めてきたことになる。
ではなんでそこにヒロイン達が割り込める道理がある?
結局ヒロイン達は野球の人数合わせでしかない。
そう、ヒロイン達がリトルバスターズの一員になれるわけがない。
『リトルバスターズ』の実態は五人だけで何年も友情をガチガチに固め続けた
仲良しグループなのだから。結局ヒロイン達は補欠メンバーにしかなりえない。
そうなると、個別ルートは一体なんだったのか?
いってしまえば、『リキは友情より愛情を取った』
そういうことにならないだろうか。
そんなものが友情をテーマにする今作に必要だったのだろうか?
普通に考えれば、友情を希薄にしていく恋愛はあからさまに今作のテーマ外で
あり、本道とは外れた位置にある。
しかし、ギャルゲーである以上、恋愛は不可欠……。
それが『リトルバスターズ』最大の問題点。
このテーマをギャルゲーでやったことである。
タイトルが『リトルバスターズ』の時点ではっきりしているのだ。
初めの構想があの五人の友情話であり、ヒロイン達は後付で作られたオマケだと。
しかし、ヒロインをオマケにするなんてあってはならない。
keyはこの『リトルバスターズ』という友情をテーマにした作品を
思いついても、作ってはいけなかった。
また、作るにしても、『ヒロイン』を用意してはいけなかった。
恋愛を数多く用意してはいけなかったのである。
結局、あの恋愛劇にrefrainによって強引に意味を持たせようとしたが、
あきらかに意味を持たせきれていない。
個別が本編とあまりにも遠い位置関係にあるのに、強引に繋げようとするから、
意味が分からなくなり、まとまりにも欠ける。
家族の次は友情だ。
そんな安易な発想から始まったのかもしれないが、話はそう簡単ではない。
家族は恋愛に直結するが、恋愛と友情は別物である。
友情をテーマにしたいならば恋愛を切り捨てる度胸が必要だった。
この業界に友情メインのゲームが私が知りうる限りコレしかないのは、
このことが原因だろう。
いっそのこと、個別ヒロインを全員消して、
リトルバスターズの話を掘り下げた方がタイトルの趣旨通りの
作品になったのではないだろうか。
【問題点②】
・最後のハッピーエンド
話の意味全てを無に帰す究極のご都合主義設定。
初めのBad End。あれを起こすこと自体が奇跡だったはず。
あの奇跡を起こすために長くプレイしてきたはず。
奇跡なんてこの業界、ましてやkeyじゃあ当たり前。
だが、条件付けされた奇跡と突然起こる奇跡は別物。
あのBad Endからもう一度奇跡起こしてHappyにしたいなら、
長々と描くべきだ。そのための努力を。過程を。
あの奇跡には説得力が感じられない。
あのBad EndのAfterでも作ったほうがまだマシだったのではないだろうか?
Clannadと違い、このゲームに人生感に近いメッセージ性を感じた人はあまりいない。
このゲームのテーマは『友情』としか認知されていない。
作りを変えていれば、恭介の作中趣旨である、『リキと鈴を強くする』
という趣旨から、『人間は悲しみを乗り越えて強くなれる』という
テーマを持たせることが可能だったのではと思ってしまう。
恐らくkeyは、『Clannad』と『智代アフター』のせいでBadEnd恐怖症なのだろう。
あのBadEndのままで進んだら『智代アフター』同様の評価だったかもしれないので、
気持ちは分かるけれど……
【問題点③】
・友情を描くには過程が足りなすぎる。
個別になると出てくる「幼き頃の出会い」だが、どんな風に成長して、
どんな活動をして、どんな風に友情を確かめ合ってきたのかが伝わりづらい。
あそこまでの固い友情で結ばれる過程がないことには正直感動できない。
出会いだけであんな仲になることなんて絶対にないのだから、
Refrainと同格に過去のリキor恭介を主人公とした過去話が
あってもよかったのではないだろうか。
それがあれば、この作品の評価は10~15は上がっていたように思う。
【その他の問題点】
・個別の方向性がバラバラで、一本道にするにはまとまりに欠ける
・学校の雰囲気がどことなく暗い。
(あの面々のテンションに見合っていない。おそらく背景描写の影響か)
・設定上の都合もあるが、時間の流れが希薄で感じにくい
(一日一日を繰り返してフラグ回収している気になる。
寮という設定もあるため、永遠に繰り返される宿泊研修という感じだった。)
・町の雰囲気が都会すぎる
(keyは人間同士のやりとりに温かみを感じるので無機質な都会は合わない。
というかBGMが田舎向け。荒廃した感を感じさせやすい。
そういう面では鈴ルートの田舎は好感を持った。ものすごく個人的な話だが)
【まとめ】━━━━━
keyは脱家族愛を目論んだ。
Kanon,Air,Clannadと、感動するところは全部家族愛なので、
いい加減マンネリといったところだろう。
その気持ちも分かる。かなり違う位置にいたClannadでさえKanonのパクリと
言う人がいるのだ。keyが誰もパクリと言えない作品を作り、
尚且つ、それなりに感動する話を作ったのは賞賛に値する。
同じような家族愛話でないと、うまく感動を引き出せない。
けれど、それを描けば二番煎じと言われてしまう。
だからこそ、ライターは引退するのだろう。
友情をメインにしたこの話が最後のアイデアだったのだろう。
ならば、もうkeyに期待することは何も残っていない。
keyが次回作で家族愛以外の泣きゲーを作るとは、私には考えづらい。
*この後にあった追記は削除させていただきました(あまりにも見苦しいため)
この追記にレスがついているにもかかわらず、削除してしまい申し訳ありません。