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k-qさんのCLANNADの長文感想

ユーザー
k-q
ゲーム
CLANNAD
ブランド
Key
得点
100
参照数
4521

一言コメント

奇跡とご都合主義。私が好む唯一の鍵作品。(Kanon Air リトバスのネタバレを含みます)

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

(*智代アフターは除く)

■初めに──

まず初めにはっきりと。

私は『Kanon』『Air』『リトルバスターズ』は好きではない。
特に、『kanon』と『リトルバスターズ』か。

奇跡なんて言い換えればご都合主義だし、ファンタジーだって同義だ。
奇跡の安売りは、収集のつかない展開を纏めるために他ならない。
ファンタジーは、奇跡に正当性をもたせるための設定でしかない。

これが、Keyというブランドだろう。


『CLANNAD』だってものすごい奇跡があるではないか、とお思いになることだろう。
確かに、最後の最後に大きな奇跡が巻き起こる。

だが、それでも『CLANNAD』は他の作品とは違う。
違うと思う。
以下にその理由を書きたい。


■奇跡とご都合主義

この鍵四作の登場人物を並べてほしい。
キャラクターがファンタジー設定ばかりの『Kanon』
同じくキャラクターがファンタジー設定な『Air』
むしろ全てが説明不能なファンタジーの『リトバス』

それでは、『CLANNAD』はどこまでがファンタジーか。

考えてみると、驚くほどファンタジー設定が少ない。
(※現実的かどうかは度外視)

 親との不和で学校をさぼりがちになる主人公   『朋也』
 部活の人間との兼ね合いからサッカーをしなくなる『春原』
①原因不明の病気を抱えて留年する        『渚』
 智也と仲の良い女生徒             『杏』
 智也を気にかけるクラスの委員長        『涼』
②幽霊と噂のヒトデを彫る少女          『風子』
 家庭の崩壊で傷を持つ             『智代』
 親を事故で亡くした天才少女          『ことみ』
①ヤンキーな兄貴がいた妹            『有紀寧』
③奇跡をかなえる猫と一緒にいたことのある寮母  『美佐枝』
 兄をどうにかしようと奮闘する妹        『芽衣』
 様々な過去を持つ、元人気歌手         『芳野祐介』
 病気で陸上を辞めた元陸上選手         『勝平』
②眠ったままの風子を心配する姉         『公子』
 男手一つで息子を育て上げた父         『直幸』
 病気がちな渚との過去をもつ両親        『秋生と早苗』
 智也と春原を引き合わせた老教師        『幸村』

①そして、『汐』


異なる事例と思われるファンタジー設定には違う番号をつけたが、この番号もほとんど意味をなさない。
これらの事例は全て一つの現象として表現される。

『昔からある奇跡、人々の思いによって現れる光の玉』

そう、実はCLANNADは『幻想世界』という背景があるだけの、あくまで人間の物語なのである。
これが、私が思う限りの他作品との違い。
私がこの作品を好きになった理由の一つである。

さらに言えば、この奇跡を現実世界に同化させようとしているのもポイントの一つだろうか。
渚の病気についても、唯の病気と何が違うという範囲の異常でしかないのだから。

『kanon』について言うことはない。
この作品は良くも悪くも"奇跡"を題材にした物語だ。
奇跡が多様(多数ではない)に起こるのは仕方なしと言える。

『Air』については言いたいことがある。
確かに、この作品の奇跡も原因は一つなのかもしれない。
しかし、原因から発生する現象が多岐に渡りすぎている。

設定の端から端まで、ファンタジーと奇跡が関係していない要素がほとんどない。
「奇跡の安売り」以外の何物でもない。


『リトバス』についてだが、これは論外だ。
そもそも、うまく例の精神世界について説明しきれていない。
精神世界のくせに、意外と幅が広く(遠方の村まである)、一般人も存在する。
ヒロインの両親が存在したり、その問題までも忠実に再現している。

それを、あの男達が精神世界として再現した?
まさに、『奇跡』の一言で設定を強引に結び付けようとしているとしか思えない。
そもそも、そんなことができた理由すら碌に説明されていない。
私が企画書を見たら、まずボツにするだろう。初期設定から奇跡の目白押しなんだから。

そして極めつけに最後には、「本当にこれでいいのか?」
Noと選べば、みんな不思議な力で生き返ってHappy END。
精神世界と生き返った理由のつながりについても特に説明なし。

keyお得意の奇跡?
そんなレベルじゃない。
取り繕いの説明すらされないなんて、それ以下だ。

これは"物語の中の奇跡"ではなくて、"作者が作ったご都合主義"だ 




私は、上に書いた二つは明確な違いがあるように思える。
"奇跡"と"作者によるご都合主義"は違うのだ。

読者が理解可能な設定が、前者。
読者が理解不可能な設定が、後者。


そして、『CLANNAD』は前者であるというのが私の意見だ。




■ご都合主義を奇跡に昇華した『CLANNAD』


『CLANNAD』は物語の冒頭から、しつこいくらい幻想世界という謎の世界の話を入れる。
この時点で、プレイヤーは「幻想世界って何だろう?」と疑問に思うばかりだ。

謎の少女に変なロボットが登場する不思議な世界。
そんな世界が存在すること。
それを冒頭でプレイヤーに認識させること、これは非常に重要なことだ。

そして、一人のキャラクターとの何の変哲もない(風子除く)、"人間"どうしの交流をしてエンディングを迎えた先で登場する"光の玉"。

これについても、プレイヤーは疑問符を浮かべるばかりだ。


だが、プレイしていくうちに気づく。
タイトル画面に増える光の玉。
有紀寧との話に出てくる光の玉の伝承。

あの光の玉は、なんだったのか、それに気づく。


人の世界で起こった物語の裏で、ファンタジー世界が同時並行で走る。
この世界には何かがある、とプレイヤーに思わせる。

そして、最後に起こる奇跡。
『街』と人々の繋がりからおきる奇跡。

終わった後に妙に納得してしまったのを覚えている。

確かに、この話の登場人物達は皆繋がっている。
不思議な縁で街の様々な人間どうしが繋がっている。

芳野 祐介と伊吹 公子の結婚もそうだろう。
伊吹 公子と幸村 俊夫との繋がりもそうだろう。

藤林 杏と岡崎 汐(やり方による)もそうだろう。
一ノ瀬 ことみと智也の幼少の出会いもそうだろう。

芳野 祐介のファンである春原 芽衣もそうだろう。
柊 勝平と藤林 椋の関係もそうだろう。

また、学習塾を開く古河 早苗もそうだろう。
誰に対しても優しく、誰に対しても親切な古河 秋生もそうだろう。


登場人物や、登場すらしていない人間達との繋がりをプレイヤーが感じる。
街を駆け抜ける暖かさを感じる。
それが、奇跡の原因。

この長い話の初めから引かれていた伏線の答えは、十分納得の行くものだったように思える。

だからこそ、『CLANNAD』に起こる現象は『奇跡』足りえるのだ。

そして、何より、この奇跡には奇跡足りうる、重要な条件がある。

よく言われることがある。
安易に作られた唐突な奇跡という点でリトバスと変わらないと。

それは違う。
この奇跡を起こすための努力は、物語の始まりからずっと続けられてきた。

光の玉の回収だ。
何度世界をやり直しても、渚と生きたい。
その思いがなければ、起こりえない奇跡。

プレイヤーが、「渚との幸せな物語を見たい」と願わないで、全ての光の玉を手に入れるという苦労が果たしてできるだろうか。
私の知人は最後のHAPPY ENDは見ていない。聞けば、渚は嫌いだそうだ。

そういう人にはたどり着けないほどの長さ。
奇跡までの道のり。
それを踏破した先にある一つの奇跡。

そこまでしないと起こらない現象こそ、奇跡と言えるのではないかと思う。




■CLANNADとは何か


『CLANNADは人生』
2chから出てきたこの言葉はもはやかなり有名な言葉となっている。
最も、意味合いとしては発言者を揶揄する内容なのだが。


私は、この言葉が間違いとも思わない。
もちろん、現実の人生ではない。

綺麗すぎる世界かもしれない。
幼稚といっていいまでに優しすぎる世界かもしれない。

そんな世界の中で、主人公朋也が経験した現実とはかけ離れた、それでいて現実に少しだけ似通った──幻想的な人生がこの作品にはある。



親との不和。
学園生活
様々な街の人との繋がり。
同棲。
社会に出る辛さ。
家庭の癒し。
仕事の成功。
親の犯罪。
妻の出産──。
娘。


この物語の主題は奇跡でもなんでもない。
朋也の人生と、街に住む人々との暖かな交流、そして家族の交流だ。


物語のエンディングで、幸せそうな家族が浮かぶ。
父となった朋也。
母となった渚。
そして娘の汐。


これは奇跡の末に起こった事象──。

しかし、ある意味当然の話。


OPの直前で問われる渚のセリフ。


この物語の始まりをつげるセリフ。







──あなたを、お連れしましょうか?…この街の、願いが叶う場所へ──







家族との不和に悩み続けた主人公朋也の願いが何だったのか。

あのエンディングを見てしまえば、言うまでもない。







──蛇足として付け加えると。
この感想はCLANNADが名作であると他人に押し付けたくて書いたわけではない。
問題点や突込みどころが多い作品であり、酷評する人の気持ちも分かる。
良くも悪くも極端な演出が目立つ作品であり、作品のどこを評価するかで100にも0にもなる作品ではないだろうか。