最後の10分でそれまでの全てを乗り越える物語。この物語の主人公は、まもなく死を迎える少年・彼方であり、永遠の生を与えられた少女・クリスでもある。
・ 優シナリオは、時系列的に本編開始時点よりも前にある。その中で、彼方は祖父を遠ざけようとする優を何とか思い留まらそうと奮闘する。
・ つまり、彼方は優の振る舞いがいかに悲しいことであるかを既に理解していたはずだ。にもかかわらず、彼方自身は佐倉に対して、優と同じ行動を取った。
・ その矛盾の理由は、苦しむのが他でもない「自分」だからではなかったか。彼方の思考の鍵は、自分と他人との差別化にある。他人が苦しむのであれば自らの身を差し出すことを厭わない考え方。両者の関係をイコールとせず、自分の方を割り引く考え方。
・ 私はこの作品を読むまで、それをむしろ当然だと思っていた。
・ しかし、その彼方の考え方は、今作の最後の最後で覆される。
・ この作品のトリックは、全てが彼方の一人称視点から描かれている点にある。読み手である私は、初読時に「彼方が気付いていないこと」には気付けなかった。
・ それが何かというと…「クリスがいったい何を思って彼方に接していたのか」という点だ。
「それは、本来起こらないはずの出逢いだった」
・ 初回版のパケ裏にこんな文句があるが、これが一つのフェイクになっている。クリスは、他でもない彼方に逢いにやってきたのだから。
・ 彼方は物語序盤でそのことに気付くことができない。それは、クリスがそのことを伝えようとしていないからだ。
・ クリスは、最初に彼方と再会した時点で既に自分に暗示をかけている。それは彼方の病気のことを知るよりも早い。クリスは目の前の少年が彼方であることを承知しながら「見ず知らず」のふりをし、追っ手が迫っていると悟るや彼の元を離れようとする。最後の最後、彼方の病状が悪化して延命のためという理由ができるまで、彼女は「エンゲージ」を提案しない。
・ 彼方が自らの短い生に相手が付き従うことを望まなかったように、クリスもまた、自らの長き生に付き従うことを相手に求めようとしなかった。
・ クリスと彼方は背中合わせの関係にある。二人の考え方は非常によく似ているのだ。自分の苦悩を相手に知られないように、自分ひとりで抱え込もうとする。何食わぬ顔をして、相手を送り出そうとする。
・ 彼方は子供の頃のクリスとの約束を思い出すまで、それに気付くことが出来なかった。その瞬間、彼方はこう思ったのではないだろうか。
「なぜ、真実を告げてくれなかったのか」
「どうして、僕に頼ろうとしてくれなかったのか」
・ だけど、その理由を、彼方は他の誰よりもわかっていたはずだ。だって、クリスと彼方は全く同じことをしていたのだから。
・ 彼方はここで初めて、自分の行為を客観的に見ることになる。相手のことを思いやり、真実を告げなかった彼方は、相手に思いやられ、真実を告げられなかったことを悟る。
・ そんなクリスの選択を「なんて馬鹿なことを」と思えば思うほど、彼方は自らの行為を振り返って、苦笑するしかなかったのではないか。答えは、ごく単純なものだったのだ。
・ 改めて振り返ると、クリスノーマルエンドは、やはり「ベスト」のエンディングではないと思う。
・ 彼方はクリス以外のものを捨てられず、エンゲージを拒む。それはその限りにおいて間違ってはいないだろう。少なくとも、クリスを手に入れてその他の全てを失う生き方を肯定することはできない。「死なない」ために「永遠を生きる」のは確かに目的と手段を混同している。
・ だけど、ラストで…笑顔を浮かべて彼方を見送るクリスは、その後も一人で彷徨うことになる。結局彼らは、最後の最後で自分の内に全てを抱え、互いに甘えようとはしなかった。
・ そして、彼方は相手に必要なのが他でもない自分だと自覚していなかった。他の誰かが、自分と同じようにクリスを幸せにできるものと思っていた。
・ しかし、ずっと前に、その問いは投げ掛けられていたのだ。
・ 共に優しく、相手のために自己を犠牲にすることを厭わなかった二人は、「相手に必要とされること」を忘れていたのだと思う。
・ トゥルーエンドで彼方がエンゲージを受け入れるのは、まもなく癌で死ぬからではない。癌であろうがなかろうが、彼方はエンゲージを受け入れなくてはならない。それは、クリスと共に生きるために。どちらか一人ではなく、二人で生きるために。
[演目紹介]より
在りたいように在る、ということはとても難しい。それは、生きることが難しいという事だと思う。僕は今になってそう思うようになった。
在りたいように在るには、他人を考えずに行動しなければならない。しかし、おおよそ人間は他人の感情を無視して行動する事を良しとしない。だからこそ時に人は迷い、そして予期せぬ生き方を強いられる。それはどこまでも『自分』に付いてまわる、永遠のジレンマだ。
本当に自分のしたいように生きるためには、たった一人孤島で暮らすことが必要なのかもしれない。
でも、もしかすると、在りたい自分、というものをはきちがえているのかもしれない。時折、そう思うことがある。本当に大事な事は、例外なく成り立つはずなのだ。他人が居ようが居まいが、時間がどれだけあろうがなかろうが、そんなこととは関係なく成り立つはずなのだ。
それが解っていても僕は迷う。どうしても人と時とに迷う。迷いを断ち切ることが出来ない。頭で考えた事をこころが拒絶する。その当たり前の現実に押しつぶされそうになる。
砂時計が落ちきる前に、こころに折り合いを付けなければならない。起きて、食べて、寝る、そんな諾々と生きるためだけの人生など願い下げだ。生きているうちから死んでいるようなものだ。
もっと、違う人生を。
それはきっと…………
・ 大切な人に何を与え、何を求めるか。
・ この作品は、「本当に大事な事」が、「他人が居ようが居まいが」「時間がどれだけあろうがなかろうが」、「そんなこととは関係なく成り立つ」はずであることを示した、恋愛物語なのだと思う。
[あるいは、こなたよりかなたまで]より
―――あなたは、
数ある人々の中からめぐりあった相手をただ一人のパートナーと認め、
敬い、慈しみ、
富める時も、貧しき時も、
健やかなる時も、病める時も、
互いに助け合い、
堅く貞操を守り、
死が二人を分かつその時まで、
あるいは、こなたよりかなたまで、
変わらぬ愛を誓いますか?
・ 「永遠の愛」を誓うということは、たぶん、こういうことなのだ。相手のことを大事に思うのは当然だが、「本当の正解」は、その更に一歩先に在る。それは、一人ではなく二人だということ――。
・ 私達は彼方ほど明確に自分の死が見えているわけではないし、クリスほど永遠を生きることができるわけでもない。
・ ちょうど中間の私達は、もうしばらくすれば、大切な人を置き去りにして死ぬか、大切な人よりも生き永らえるか、どちらかを体験することになる。その時、私達は彼方やクリスと同じ問いを投げ掛けられる。それに対する解がここに在るのだと思う。
・ 先に書いた通り、私はこの作品に出逢うまで、本作序盤で示された彼方の考え方が理想に近いものではないかと思っていた。
・ だけど、本作はそれを完膚なきまでに論破してみせた。だからこそ、この作品は私にとって大きな意味を持つのだと思う。