当初の謳い文句通り、実に雰囲気の良い「交流ゲー」。
この塵骸魔京が燃えゲーかと言われると、確かに疑問があります。
メインテーマは、やはり当初の謳い文句どおり「交流」でしょう。
絶対悪など何処にも無く、価値観の違いのみがそこにある。
互いが憎いわけではなく、生きるために相容れない者同士が、まみえて何をなすか。
故に、絶対的で強大な悪役、それに対抗すべく切磋琢磨するライバル等の不在等を嘆くのは、
魚に空を飛べと言っているようにも聞こえます。
魚は、泳いでいる方が綺麗ではないでしょうか。
その意味で、このゲームの真骨頂は「風の後ろを歩む者」ルートでしょう。
「人でない」彼女の倫理は、人の倫理の枠内に納まらない(筋が通っていて気持ちはいいんですが)。
故に、「感情がない」克綺だからこそ、激昂せずに意思の疎通が成り立つ。
そして、克綺の理解できる所の「論理」的には得心がいく筈なのに、
同族食いという「人としての禁忌」に彼の心臓は疼きだす。
主人公の特異な設定と作品のテーマが活かされた彼らのやり取りを見ていると
もうそれだけで心が浮き立って仕方がない。
彼女の獣を本性にする純粋さは、展開によっては身を呈して克綺を護る盾にも、彼に向かう刃にもなり、
その緊張感も含めて彼女の魅力です。
…まぁ、つまり
ネイティブアメリカンだの祖霊信仰だのアニミズムだのそこら辺そのまんまな
彼女の生き様自体が、正直、ピンポイントで狙われたとしか思えないツボっぷりで、
抗うに抗えなかったというのは否定できない所なのですが。
僕が死んだら食べてくれる?という会話は、コミカルに交わされながらもエロい。
倒錯路線カニバリズムは少々守備範囲外なのですが、こういう真摯な流れは大歓迎。
彼女が弔いの場面を語る所は、何度も読み返したシーンの一つです。
ことほどさように、このルートは塵骸の謳い文句そのものです。
ヒロイン自身が人外だから、彼女との交流が該当するのは当然として
一々のシーンがそうなのです。
襲ってきた魚人に対し、克綺と峰雪が敢えて戦うのではなく交渉しようとするシーンは
必死さを伝えながらユーモラスで、
ああいう結果に終わってしまったことを含めて印象深い。
また、本来「燃え」である筈の戦闘シーンですら、「交流」の側面が強い。
塵骸の世界で、魔力とは自己そのものです。
故に、己の認識世界を知り、彼女の世界を理解する、
そのプロセスとして胸に落ちる仕上がりになっています。
これには「燃えた」。燃えゲーではないと言った舌の根も乾かぬ内になんですが、「燃えた」。
いや、いわゆる血沸き肉躍る銃撃戦の燃えとは明らかに異質なものなので、
「高揚感を覚えた」という方が正しいかもしれないのですが。
かくして、終盤の見せ場、絶対絶命の場面の突破口は、その集大成。
それは人からすれば全く出鱈目で、しかし、正しく彼女の世界を動かす法だった。
そして、「人の」正義感のみで動いた神鷹には、彼女の世界が理解できない。
そのことこそが鍵になるとは、全く、このシナリオのテーマは一貫しています。
だからこそ、主人公が神鷹に出した解答には心から頷かされたし、
ED3種どれもが心に響くのも、最後まで貫いているからでしょう。
思うにこのライターさんの戦闘シーンなら、燃えを狙うより、
このシナリオのように、テーマとの相乗効果を狙う位置づけにした方が
結果的には「燃え的な」高揚感も与えられるのではないか…
…と要らんことを考えた次第でありますが、
ニトロブランドで売ろうとしたんだから、そういうわけにも行かないんだよ
と言われてしまうと、口を噤むしかありません。
ただ、あの宣伝フラッシュを見て、血が滾る燃えのみを期待してこのゲームを買った人には
確かにこのゲームは「外れ」なのだろうと思うと、ひたすらに哀しい。
さて、長々と1ルートの偏った部分のみについて書いてきてしまいましたが、
他の側面も魅力的でした。
暗黒絵師の作品と相俟って、ギャグの破壊力はなかなか壮絶。
またこのゲームの日常描写は白眉で、雰囲気作りに一役も二役もかっていました
(余談ですが、Fate並みの飯ゲーでもあります)。
脇役も、数こそ少ないが魅力的なキャラ立ち。
(それだけに、宵闇の民の活躍の少なさが惜しまれます…)
「親友」キャラで峰雪と張合える奴はなかなかいないし、メル神父も実にうまい立ち回り。
そして、テーマを体現したのは風の後ろを歩むものですが、
管理人さんのシナリオも、出来としては甲乙つけ難いものがあります。
これ以上長々と書くことは控えますが、感動を求めるならこちらでしょう。
また、この作品に敢えて燃えを求めたとしても、管理人ルートなら耐えてくれるのではないでしょうか。
…ただ、問題は、イグニスルート。…後述します。
そろそろ苦言を呈しましょう。
燃えが足りないこと、文章がくどいと言われること等は
(個人的にはとても綺麗だと感じましたが。
風の後ろを歩むものEDの読後感は、この文章による所が大きい)
偏に作品の性質です。好みの問題です。
それだけが問題点なら、自分はこのゲームに
(あまりにも自分の属性一直線であったが故の贔屓目を自覚して悶えながらですが)
満点を与えていたでしょう。
だが、問題はそこではない。このゲームは未完なのです。
主人公の心臓が無い理由、シナリオ二つにおいて、意義を欠く死を迎える恵、
いつのまにかファンタスティカ化していてフォロー無く死亡する牧本嬢。
これらは、描かれる「予定は」あったようです。
主人公の心臓については、恵ルートで補完され(一石二鳥だ…)
牧本嬢ルートも存在し、そこでストラス側が掘り下げられる「筈だった」らしい(おまけシナリオ参照)。
…なんで、それを描いてから発売してくれなかったのか。
先に、イグニスのシナリオについて後述すると述べましたが、
メインヒロイン3人の内、イグニスのシナリオだけはどうかと思います。
材料は悪くない。導入はいい。なのに、後半の突っ走りは一体どうしてしまったのか。
これは、恵が最も不自然な死を迎えるルート。そして、明らかな「牧本さんフラグの選択肢」があるルートです。
そう。ちょうど、「恵死亡のあたりから」、シナリオがぶっとび始めるルートです。
…ひょっとすると、と邪推もしたくなります。元凶ではないのか。あの二人のシナリオの不在は。
ああもうなんでなんでなんだってこんな穴を。
…明らかに宙に浮いたままの設定がある以上、どうしたって高得点はつけ難い。
作品は作品の中で完結すべきです。
別媒体(あるいは続編)による補完がどれだけ優れていたとしても、
それが「オプション」ではなく「必需品」になってしまったこと自体が作品の汚点です。
…と、いうわけで、94点。
100点つけさせろと喚く本能と、上記を理解した理性の、鍔迫り合いの結果になります。
甘いと言われてしまえば、返す言葉がありません。
ありませんが、無理です。私には、このゲームに、これ未満の点をつけられない。
重ねますが、これを燃えゲーと言うのは苦しい。
魅力を言葉にすることが本当に難しいゲームで、敢えて表現しようとすれば、
私では上記のように冗長な文を書いてしまいます。
強大で完全悪な敵。強力なライバル。血沸き肉踊る銃撃戦。
そういったものは確かにこのゲームにはないし、私は必要性も感じなかった。
詰まる所、とても地味なゲームです。
ですがそれ故に、このゲームにしか持ち得ない輝きも持っています。
だから、「ニトロ的でなくて地味だから」という理由で受け入れられないなら、
それはとてもとても哀しいことだと思う。
…それだけに、潰せる欠点は潰しておいて欲しかった。
こんな明確な欠損があっては、その色眼鏡で、
本来美点となる所までただの「地味さ=欠点」として処理されかねない。
ああもうなんでなんでなんでなんでなんでなんで
最後に、シナリオ以外も少々。
地味といっても、そこはニトロ。
音楽、絵師、演出には恵まれすぎるほど恵まれています。今回はシステムも好調です。
特に、音楽。この日本舞台でありながら異郷的な雰囲気を実に上手く醸し出しています。
敢えて盛り上げるより不思議系をぶつけてくる局面もあって
実に「らしい」なぁと口元が緩むことも多かった。
そしてOP最高。ED必聴。当然すぎて、蛇足だったかもしれませんが。