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irtelishさんのR.U.R.U.R ~ル・ル・ル・ル~ このこのために、せめてきれいな星空をの長文感想

ユーザー
irtelish
ゲーム
R.U.R.U.R ~ル・ル・ル・ル~ このこのために、せめてきれいな星空を
ブランド
light
得点
89
参照数
1266

一言コメント

新ジャンル「ショタ(が)凌辱(される)SF(すこしふしぎな)おとぎ話」。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

……ほぼワン&オンリーな気もするけれど。

以下、ゲームの流れに従って各ヒロインに触れてみる。

「繰り返される日常」

>コバトムギ、タンポポ
 一周目は選択肢のない一本道ルートだが、後で見返すとバッドエンドとほぼ同質のものであることがわかる。
 で、二周目以降は秘密を知ったイチヒコの記憶が継続するか消失するか、あるいは「どうでもよくなる」かによって展開が変化するのだが、記憶が消失、あるいは「どうでもよくなった」場合はタンポポもしくはコバトムギルートに進むこととなる。
 この2ルートは、ヒロインとイチヒコの関係を中心に見るならバッドエンド、という見方も出来るだろう。
 しかし、世界観を補完すると同時に寓話として機能することがこの2ルートの役目だと考えるなら、「おとぎ話」としては良く出来ていると言える。
 ここでのヒロインとイチヒコはSF的なテーマ・ガジェットを有効に表現するための道具である、とも言えるかもしれない。あるいは教科書におけるジャック&ベティ。
 タンポポの「罪」についてはベニバナルートや他のルートからある程度推測は可能だが、ゲーム内では明確にされてはいない。
 コバトムギは本当に「横道にそれた」というのがぴったりな印象のお話。
 面白かったけど。
  
「ひとりではないことの幸福」

 ミズバショウ→シロツメクサ→ヒナギクの順番でやると展開的に飲み込みやすい気はする。
>ミズバショウ
 以下三人については、ルート途中で優柔不断な選択肢を選ぶとバッドエンド……だったと思う。 
 ここからはイチヒコが「責任」を行使することによってループ/モラトリアムからの脱却をはかるルート、であると見て取れる。で、○○に対する責任より家族に対する責任を選んだのがみず姉ルートだと。
 しかし、みず姉やしろ姉については選んでも問題先送りであることには変わりなく、そういう意味では「繰り返される日常」の延長にあると言えるかもしれない。イチヒコに成長がみられるのが救いではある。
 個人的にはバッドエンドを見た後だと、これら三人のルートにたどり着くまでみず姉は何回イチヒコの記憶を消したのだろう……とか怖い考えになってしまったりしなくもない。
 
>シロツメクサ
 最も人間に近く、最も「子供」に近い彼女はある意味でもう一人のイチヒコである。
 彼女が人間に近づき、イチヒコが彼女に近づくこのルートでは、ミズバショウルートにおけるイチヒコの「世界に対する責任」は矮小化し、責任はシロツメクサに委ねられる。それ故にシロツメクサ個人に対するイチヒコの「責任」がクローズアップされる、という構造。
 さておき、「ま○こみたいに穴あいて死ね」は語り継ぎたい名言。
 しろ姉かわいいよしろ姉。でもこわいよ。魔王が来るよ。
 あとさんしょううおがかわいい。
 尻尾を非常食にしたい。

>ヒナギク
 テーマ的にはシロツメクサに近いが、こちらは「世界に対する責任」もしっかり回収している。
 エンドの綺麗さとED曲のシンクロ具合から言っても、このゲームの中心となるルートと言って差し支えないだろう。
 とは言えみず姉、しろ姉とはほぼ等価な扱いではあるし、どのヒロインも多かれ少なかれ「きがちがうくらい きみがすき」ではあるのだけど。
 
>ベニバナ 
 ヒナギクルートのいわば裏。ヒナギク終了後でないと選択できない。
 同じように「人間らしいレム」を持つからこそ正反対の結論に至ったという意味でも表裏一体だろう。
 ただし、ルートにおけるテーマを語ることに傾注したせいかイチヒコがほぼ空気。

>「夜間飛行」
 最後に読むことになるこの「おとぎ話」の判断は少々難しい。
 バッドエンドあるいはベニバナ以外であれば、どのルートから繋がっていても不思議ではない。(ベニバナにおいてもヒナギク同様、三等船室の連中だけを降ろして再び飛び立った、という解釈は不可能ではないけれど)
 最後でテーマを総括した、というよりはおとぎ話を終わらせるために必要だったおまけ、という印象も。
 こういうちょっと意地悪ともとれるオチをつけたくなるというのはプロパーなSF小説的、ではあるかもしれない。 
 「語り手」が誰か、というのを追求してみるのも面白いかもしれないが、これが「おとぎ話」である以上、それはむしろ無粋かもしれない――とも、個人的には思う。

「総括」 

 ヒロインであるチャペック達は「マンカインド」について限定された知識しか持っておらず、そのため彼女らが捉える「にんげん」というものはプレイヤーから見ると微妙に歪んでいたりとんちんかんだったりする。
 ミズバショウやシロツメクサの愛情ややりくちに気持ち悪さを感じたとすれば、むしろそのプレイヤーは正常であるとも言えるだろう。
 個人的にはその「ずれ」の処理の仕方にもまたSFマインド(?)を感じて楽しめたけれど。

 イチヒコについて付け加えるなら、彼もまたあくまでも「イチヒコ」であって僕らが通常考えるところの「人間」とは違う視点を持っている。
 故にこちらもプレイヤーから見るかなり歪んでいたりとんちんかんだったりするので、主人公に感情移入して楽しみたい、というプレイヤーにとっては入り込みづらい世界ではあるかもしれない。
 しかし、語り手が再三言うようにこれは「むかしむかしの、おとぎ話」なのである。
 俯瞰的に話を、世界そのものを楽しむくらいの気楽さでよいのだと思う。
 
 とりあえず、こんなところで。