極めて個人的な印象だが、トノイケダイスケの書く主人公には常に過去が和解、超克、闘争――あるいは逃走すべき対象として立ちはだかる。
かたちはそれぞれではあるが、この構図自体は「水月」でも「さくらむすび」でも「Garden」でも一貫しているように思う。
ただし、過去に主人公が語りかけることが許されるのは常に墓石の前であり、直接に対話することはけしてかなわない。それはあり得た可能性を取り戻そうとする足掻きであり渇きとしてのみ語られる。
ひねくれた言い方をすれば、それは彼らが過去と通じ合うことができた、という幻想をプレイヤーに共有させようとする試みに他ならない。
しかし、死者を悼む行為は何より生者のためにこそ意義がある、との立場に立てば、彼ら死者たちの声はすなわち主人公を写す鏡であり、主人公たちがステップアップするための――歩き出すための踏み台としては充分に有効なのだから、例えそれが幻想であっても問題はない――いや、むしろトノイケダイスケは、それが幻想であることを主人公たちにすら認めさせた上で、彼らを羽ばたかせようとする――とも言えるかもしれない。
さておき、「ワンコとリリー」である。
ぶっちゃけお話は短い。ボリュームとしては掌編といってもいいくらいだ。
しかし、だからこそトノイケダイスケ作品に頻出する上記モチーフが端的に、また効果的に働いているともいえる。 日常を淡々と紡ぐ筆致にも味のあるトノイケダイスケではあるが、「さくらむすび」ではそれが一部で「退屈」「冗漫」と受け取られたのもまた事実。
だが本作ではそのコンパクトさ故にそうした不満を感じることもない。むしろもっとこの柔らかい空間に居たい――そんな気にさせられる程である。
CPを含めても非常にお得な作品だった――そう思う。