大戦末期の残り少ない日々。狂気の実験と、死に彩られた愛憎劇は、敗戦の日へ向かって爛れ落ちていく。ただの凌辱ゲーではないが、想像以上にヒロイン二人の思いが絡み合い、凄まじく捩れた百合ゲーの様相すら呈している。「雌豚」である事を徹底した結果、生み出された退廃的な美しさは、無人化したサナトリウム同様にひっそりと在り続けるのだ。
エロゲにおける文学性、というものを語るのは鬼門と言われている。
特に抜きゲーマーな私が発言したところで、狂言にしか思われないだろう。
しかし『公衆快楽施設』の後継作と思われる本作を語るには、やはり単純にエロだけを見る訳にはいかないようだ。
エロゲにおける文学性とは何ぞや、というと難しいが、ここでは単純に「性行為を通じて根源的なものを表現する」としておく。
「エロさえあれば何でもあり」がエロゲの強みなのは分かっているが、エロカットで家庭用移植できるのは「エロもあるゲーム」なのだと思う。
そしてエロの羅列だけで深みはでないので、それ以外の部分での人物描写も大事になってくるだろう。
近未来が舞台だった前作は、安楽死施設に嬉々と入ったヒロインが、徐々に追い詰められていく様がサディスティックな欲望を満たしてくれた。
だが最後の種明かしには賛否あり、物語的には良くても『エスカレイヤー』『時間封鎖』同様にエロ的なリアリティが失われるのは痛かった。
本作は「人間へ豚の臓器移植」こそSF的であるが、ヒロイン達が被る性実験は作品世界において逃げ場のない現実である。
重病人故に唯一成功した被検体として、人の尊厳を奪われつつ日々生かされる、まだ恋も知らぬ見目麗しい少女、零。
完璧故に他者に頼る事ができず、研究にしか興味のない尾崎様に懸想し、零という「作品」に嫉妬する有能な助手、華音。
戦争と研究の終わりを感じつつ実験する、ある意味で安定した日々のバランスを崩したのは、華音のすぎた愛情だった。
最初は、実験中の零へギリギリの責めを行う程度であったが、先生の許可もなく零を連れ出して男達の性欲の捌け口にしてしまう。
更に「被造物」として愛してもらおうと、免疫不全で摘出した零の内臓を自らに移植する事を望み、不完全な存在になる。
それで華音の望みは叶ったのか? いや叶わない。
華音の想いをあえて突き放す事が我々の関係には一番良い、という徹底してサディスティックな姿勢を尾崎は貫いたのだ。
「持てる者」は「持たざる者」に置き換わる事ができず、助手兼被検体として縋りつく道が残されただけだった。
「持たざる者」零は、自らの生に絶望しており、しかし自殺を選ぶには覚悟が足りず、宙ぶらりんのまま教会で祈りを捧げる。
綺麗な異国の容貌も、純真な心根も「雌豚」の表面を覆っているだけと自嘲し、また華音から「雌豚」と呼ばれる事で再認識させられる。
華音に憎まれる自分、大人の肢体を持つ彼女が未成熟な自分を羨望するおかしさ、報われないとはいえ恋をする彼女を羨望する自分。
白と黒、交わらぬはずの二人は、機能不全な零の内蔵を移植した事で、奇妙な共有関係となる。
相手の痴態を見るだけで、それがまるで自分に起こっているような錯覚。まるで心臓移植すると提供者の好みに変わるかのように。
表面上はお互いに何も言わない。しかし深い部分でつながっている。倒錯した百合の香りがするエロティシズム。
実験での尾崎は常に零ばかりを気にかけ、ほんのわずかな温もりすら与えられぬ華音は、徐々に余裕を失っていく。
対照的に、淫らな雌豚と化していく我が身を嘆くばかりだった零は、性行為で消耗して残り少ないだろう生を受け入れる余裕を見せる。
三者の視点を通じても、内面の変化の確たる理由は分からないが、その真意は敗戦前夜の乱交で知る事となる。
それは、真夏の夜の悪夢だった。
今まで常に受け身だった彼女が主導し、その場を異様な雰囲気に変え、彼女が最後に望んだ「もの」を見て、見せつける独壇場だった。
互いに持たざるものを羨望した二人は、ここに至るまで同一化していき、ここに至って完全に分かたれたのだ。
間に尾崎が男達が豚がいるとはいえ、これは二人の物語であった。
あえて回りくどい書き方をしたのは、できれば各自の目で確かめてほしかったからだ。
そして、できれば彼女が蓄音機に残した、最期の言葉も。
この物語にエロはどう関わるのかというと、基本は軍令による性的な実験である。
ただ物資に乏しい時代故に『公衆快楽施設』ほど機械姦はなく、兵士達の肉棒を機械の如く投入するのが基本となる。
顔の見えない彼等は道具の延長であり、モノとして扱われる彼女達にとって重要なのは互いの、そして尾崎の視線と気持ちである。
尾崎は実験に参加せず常に観察し、零は常に観察され、華音はその時々で立ち位置を変えても、尾崎との関係は決して変わらない。
尾崎の性処理を自ら買って出て、精液逆流で鼻提灯ができるほど熱心に口と胸で奉仕した華音に、報告書と同じ調子で無情に後始末を頼む尾崎。
「零を勝手に輪姦させた罰に同じ事をされろ」と言う尾崎に、「せめて処女だけは尾崎様に…」という華音の願いはあっさりと却下される。
拘束され媚薬を打たれ放置される零の前で、同じく拘束された華音は鞭打ちされ男達にひたすら犯され、そして尾崎は零だけに触れる。
最初は、内臓から人間の尊厳を奪われ、ただ実験に翻弄される零にサディスティックな興奮を覚えた。
しかし中盤以降は、文字通り尾崎なしでは生きられぬ身体となっても埋まらぬ差、不公平さに苦しむ華音の内面にこそ興奮を覚えてしまう。
綺麗な夜会服を着て犬食いを強制される零。クズ軍人の乱入で、豚と交わされ、豚の胎児を擬似出産する零。熱狂の最中豚に犯される華音。
そして雌豚に堕ちた零の手による狂宴は、爛れ落ちていく果実の最後の味わいに間違いなかった。
この果実の味が好きかというと、素直に首肯する自信はない。
しかし、これはエロゲでしか味わえないのは疑いなく、口当たりの良い味に走らない心意気は好ましいと思う。
文学云々は差し置いて、終末を目前に理性と本能の狭間でもがく、人間の性と生の退廃的な美しさは、同種の人間を惹きつける。
願わくば、私の書き残した証が、このサナトリウムへのささやかな呼び水にならん事を。