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hkmaroさんの波間の国のファウストの長文感想

ユーザー
hkmaro
ゲーム
波間の国のファウスト
ブランド
bitterdrop
得点
70
参照数
616

一言コメント

美少女ゲームなのかアレゴリーなのかその両方なのか。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

このゲームは面白いと思いましたが、それは美少女ゲームとしてなのか、疑問なのであります。美少女は確かに登場しますが美少女とのだんだん仲良くなっていく過程とか、イチャラブな生活とか、エロエロライフとか(こっちのほうはシナリオ進めればオマケで見ることができますが)、そういうのは一切ありません。「いや、これそういうゲームじゃねえから!」という意見もあるかもしれません。なるほど、世の中には上記に述べたような美少女とのラブコメ的展開を主な魅力として呈示するエロゲーもあれば、別の部分を主な魅力として売り出しているエロゲーも存在しています。例えば燃えゲーなどと呼ばれるバトル展開を主な売りにしたゲームであるとか、泣きゲーなどと呼ばれる泣けるシナリオを主な売りにしたゲームであるとか、抜きゲーと呼ばれるようなエロければレイプやスカトロその他何でもありというカテゴリーのゲームなどあります。しかしそれらが本当に所謂エロゲーのラブコメ的な部分というか、より正しく言えば、美少女を攻略する、という目的因的な側面を持たないのかと言われると、これも答えあぐねるところをなしとしないと私には思われるのであります。美少女を攻略する喜びとは、エロゲーに固有の喜びであると私は考えます。たとえ選択肢がなくたって、プレイヤーである私たちが主人公とある程度一体化できていれば、美少女と主人公が徐々に親密さを深めていく過程であるとか、あるいは逆に主人公が美少女を世にも陰惨で鬼畜な罠にかけようとしていく過程などが、大きな臨場感とともに追体験でき、その臨場感は、美少女をついに脱がし、エッチシーンに場面が転換したときにある種の臨界点を迎えるわけであります(あるいはその予兆として個別ルートに入った時の喜びを置くこともできるかもしれません)。私は昔からエロゲーにはなぜエロシーンが必要なのか、ということを疑問に思っていました。ご承知の通り、エロゲーの中にはエロを主たるアピールポイントとしないエロゲーも存在するのです。エロがおまけなのであれば母体の大きいコンシューマーで売ればいいじゃないか、そっちのほうがずっと合理的じゃないか、と、そう疑問に思っていました。もちろん18禁の市場ではエロに限らず純粋にプロットや視覚的表現の上でも一般向けの市場に比べてエグイ表現が許されます。これによって流血や四肢損壊などのグロテスクな表現を含むオトナの娯楽としてのエロゲーが可能になる側面は否定できません。しかしながら、なおそれでもエロが主体でないのであれば「このゲームはグロテスクなので18禁です」と表示するだけにしたほうがずっと良いと思われます。むしろシリアスなシナリオを作品の魅力として打ち出しているゲームならば、唐突にエロシーンが挟まれたりするとユーザーの興を殺ぐことにもなりかねません。事実、私自身はエロ主体でないゲームにおいてはエロシーンは未読スキップで飛ばすことが非常に多いです。

しかし、そんな私自身が、エロシーンのないギャルゲーには相対的にエロゲーほどの魅力を感じないのであります。これが謎なのであります。合理的に解釈すればエロ主体でないゲームをプレイするにあたってエロは邪魔なのに、それにも関わらず、エロが入ってないゲームは相対的に魅力が感じられないというのは一つの矛盾です。ということは、エロゲーにおけるエロシーンとは、実はその実用性が重要なのではないのではないか、と、そう思われるわけであります。もちろん私個人の一例を持って性急に一般化することはできません。ですが実際申し訳程度にエロシーンが添えられているだけのゲームが非常に多いことを考えてみると(本作ももちろんその一種だと言えるでしょう)、あながち私自身のみに当てはまる問題とも言えないのではないか、と思われるのであります。要するに何が言いたいのかと言いますと、エロゲーのエロシーンとは、そのエロさが本質的な問題なのではなく(もちろんエロさが重要なゲームも沢山ありますがあんまりエロくないゲームにおいても妥当する一般的な性質として)、エロシーンが存在することそのものが極めて重要なのではないか、とこう考えているわけであります。つまりエロシーンは実質的な使用価値というより、何か象徴的な価値を持っていると思われるのです。

そのような観点から今作を照らしてみると、エロシーンが存在することの象徴的側面を満たしていないように感じられてなりません。エロゲーにおいてエロシーンが流れるということは、つまるところ美少女の攻略が成ったということを意味するのであり、それはエロシーンがエロいかどうかとかオカズとして使えるかどうかということとは全く無関係に重要だと考えられ、実はエロシーンはこの象徴性をこそ演出するべきなのだ(特にエロが主体でないゲームにおいては)、ということが言えるのではと仮定できるのでありますが、その象徴性が今作には乏しく感じられるのであります。それは、エロシーンが物語の本筋とは独立してシーン回想モードにまとめられてしまっていることも関係していると当然に思われるのですが、この美少女攻略の象徴性をかろうじて満たしているのは白亜ちゃんのみなのであります。とはいえその白亜ちゃんの攻略も、いささか唐突な印象を受けることを否めません。もっと丁寧に段階を踏んで主人公と白亜ちゃんの関係性を描くことができたのでは? と感じられるのであります。そしてこのように感じるということがすなわち美少女攻略の象徴性に乏しいということなのだと思われます。美少女を攻略する、あるいはユーザーが美少女を攻略した、と感じるには、プロット上のラブコメ的段階、あるいはラブコメでなければ美少女を脅迫したり罠にかけたりする段階を、つまるところフラグを、通過せねばならないということがわかるわけでありまして、これについては、繰り返しになりますが、選択肢がたとえなかったとしても大事なことなのだと思われるわけであります。

そういうわけで、私はこのゲームを美少女ゲームとして、もっと言えばエロゲーとして高く評価することはできませんでした。がしかし、このゲームは経済をテーマとしたゲームであり、そこを売りにしたゲームでもあります。しかも、ある程度資本主義経済に批判的な視点を持つゲームです。その意味では、このゲームは単に買収劇とかの経済バトルが面白いゲームというよりは、そのアレゴリーとしての側面に大きなメッセージ性とかテーマを持っていると思われるのでありますが、しかしそのアレゴリーというのも何とも素朴です。つまり、この世にはカネ以外にも重要なものがある、それは人間の絆だ、と、そういうことを言っているだけなのです。言い換えれば、カネと生活世界という、大変素朴な二元論がここにはあるわけであります。そして予定調和的に物語はカネでは買えない何かを肯定することによって終わります。正直ここだけを見ると何も新しい視点というものは無く、陳腐という他ありません。

ではこのゲームの何が面白かったのかというと、その語り口ではないかなと思うのです。文体と言ってもよいかと思います。エロゲーとしてもエロゲー固有の魅力を持たず、また経済に関するアレゴリーとしても陳腐であるが、しかしそのちょっと頭良さげなテキストこそが良かったのだろうと私は考える訳であります。例えばゲームの最後の方に、この国は今までに三回の大きな変革があった、一回目は力を求め、二回目はモノを求め、三回目の今はカネを求めて変化した、みたいなセリフが出てくるのですが、この一回目と二回目はそれぞれ明治維新と高度成長を指しているんだろうと思うんですが、こういうのが説明無しにポロッと出てくるが、かといって調べなければわからないわけでもない、ほとんどの人が容易に読み解くことができるにもかかわらず、読む人の知的優越感をくすぐらずにはいない、こういったインテリ臭の微妙なさじ加減が見事であったと私は思うのであります。そして十分に新鮮味のある試みだと思います。こういった試みが増えてくれれば良いと率直に思います。