コンフィグまわりとインターフェイスはかなり使いやすい。ゲームコントローラーの設定やキーボードの設定等、システム面での満足度は高い。グラフィックのクオリティも決して低くは無い。音楽、挿入歌のタイミング等の演出も見事。全ての部位が高レベルで全体的にレベルの高い作品になっていると思う。この作品をパルフェと置き換えて比べて考えるのは非常に惜しい。スタッフは同じではあるがまるで違う土俵で戦っている。笑いアリ、涙アリのとても良質な王道学園物です。余韻に対する見事なこだわり。このトリックはハマると抜け出せなくなること受けあいです。
本編シナリオは「約束の日」が描かれていないために常に微妙な食い足りなさを感じつつのプレイになる。しかも今回の丸戸も非常に「いじわる」で匂わせるだけでなかなか「楽園の終焉」を見せてくれない。まるでノーマルENDのみを見せ続けられるかのような、ひたすら物語の最深部に触れない作りになっている。
シリアスな展開を常に笑いで落としながら、暗い展開をしてもとにかく全てを丸戸と航はそれを笑い飛ばす。航はひたすらヒロイン達を支え自分自身も成長し、気持ちの良いままシナリオは終わる。主人公は常に格好良く、周りには人が溢れ、明るく楽しい物語という形に収まる。おそらくキャラクター達がもっとも悲しみ思い悩むはずの出来事をことごとくスルーされるため物語がひたすら明るく軽いのだ。
それもありシナリオ終了時のエピローグでの「食い足り無さ」感は強い。面白いもんで余計に「足りない」。しっかり感情移入し、しっかり感動し、しっかり笑った人間ほどより「足りない」。楽しめてる人間には、もっと食べたいのに食べさせてもらえない飢餓状態を6周も味わうことになる。
ぬるま湯の楽園から航の宣言していた「胸を掻き毟られながら」「悲しみに暮れて」旅立っていったヒロインと航達を見せてもらえないからだ。そのせいでプレイヤーだけ、その「期間限定のぬるま湯のような楽園」から卒業させてもらえない。最後に見せられる幸せそうなエピローグは「楽園は終わっていなかった」とプレイヤーに錯覚すらさせる。
そして6人のヒロインのシナリオが終わったところで、丸戸は非常に意地悪くプレイヤーを唐突に現実に引き戻す。
『約束の日』
やっと語られる楽園の終焉。ここで丸戸はネバーランドからプレイヤーを放り出す。
卒業させられてしまう。
全てのヒロインに平等に与えられる終焉。全てのシナリオと繋がる終焉。そしてヒロイン達が涙ながらに歌うそのシーンを背にスタッフロールが流れ、そのままタイトル画面に戻る。
消化不良のままシナリオを読み進めての流れを無視したかのような唐突な終焉。航の言葉を借りるなら、物語に入り込んでしまっているプレイヤーであれば、胸を掻き毟られ、悲しみに暮れて、胸にポッカリと穴を穿たれる。「あれ?終わっちゃうの?」という微妙な虚無感をプレイヤーに残す。
『本編 → 約束の日 → エピローグ』
という流れで見るならば、哀しい別れはその直後の幸せな再会でプラスマイナスゼロで最後の最後にきっちりとカタルシスを感じ精神的にも補完される。だが、プレイヤーがこれを見られるのは6本のメインシナリオが終わってからなのだ。どうにも意地が悪い。
それゆえに航に感情移入していた人間はポッカリと胸に穴の開いた虚無感を引きずることになる。
ここで感じるのは本編の6編のシナリオに繋がる「見れなかった終焉を見た」カタルシスと、色々な欲求不満が残ったままというアンチ・カタルシス。その二項対立がジクジクと心に微妙なしこりを残し、歯切れの悪いまま画面は無常にもタイトル画面を映し出す。
そしてここで現実に引き戻されたプレイヤーの前に新しいシナリオが登場することになる。
『逢わせ石』
もう一つの約束の物語
正直なところ、ここに至るまでは「面白いけど微妙」という印象しか持ちませんでした。しかしその微妙さはプレイヤーに「航の失った楽園」を共感させるための演出だったのだと自分はここで始めて気が付きました。凛奈だけではなく何時の間にかプレイヤー自身がすっかり世界に巻き込まれていたのだと。
このシナリオでは主人公の航は楽園を失い、失意に暮れています。これは航の2年間の楽しかった楽園を猛スピードで楽しいだけのシナリオで認識させられ、唐突に約束の日を見せられたと感じたプレイヤーには非常に感情移入がしやすい。ここに来て初めてプレイヤーの写し鏡のような主人公である航と邂逅する。
そう。楽園は終わってしまっているのだ。あの楽しかった「期間限定の楽園」には、もう戻れないのだと丸戸は意地悪く突きつけてくる。
そういった強烈なメタレベルで本編6本を踏み台にしたかのような「物語の否定」。プレイヤーに「現実に戻れ」と言わんばかり。本編から連なる「約束の日」が作品から得るべき最後のカタルシスであったなら、この茜ルートはまさに「アンチ・カタルシス」。本編が「ただ暖かいだけ」に終始するおかげで、この喪失感はなかなかすごかった。そういう作品としての別の側面をまざまざと見せ付けられる。
これは、物語に肩まで浸かっていたい私のような「エロゲーマー」にはまさに耳の痛い話。というか寝耳に水でした。
支えている側だったはずの主人公は実は周りの人間達ありきで支えられて生きていたことに気が付く。思い出の結晶で唯一の航の支えであった寮の取り壊しで初期の凛奈同様に周りの人間との関係を拒絶しだす航。その中で主人公は周りの人間と1人の少女に支えられながら立ち上がります。そう、航はどのシナリオでも基本的にヒロインの行く末に引っ張られるように人生を変革しています。完璧超人に見えるが実は誰かに引っ張られないと立ち上がれない人。
このシナリオは茜ルートというよりも星野航という人間をより掘り下げるためのシナリオです。いかに星野航という人間が「つぐみ寮」という存在に依存していたのか。それをプレイヤーに再確認させるためのシナリオ。
考えてみれば、「約束の日」における「さよならのかわりに」のキャラクターの泣き順なども、これは人により差があるのかも知れないが、泣き崩れる順番はどうも6本のメインシナリオから感じるキャラクター観とは逆であったようにも思える。
航は基本的に海己同様にものすごく利己的で、数々の彼の行動は自己防衛だったようにすら思える。静、宮、凛奈、彼女達を受け入れて仲間とすることで誰が一番救われたのか。それは航本人だったのだと思います。
茜ルートでは寮を失うことにより航の元々の保守的であり利己的な部分が発露する。その時、航を支え航の新しい港となったヒロインが今回の茜。彼女に支えられ傷を舐められることで、航とプレイヤーは今回の主人公の本質を知ることになる。
人は1人では立てない。
心身ともに相互理解のできる「仲間」そして「家族」
それらを失うというのは自らの死よりも辛い。
茜ルートで立ち直った航は気が付きます。
一番重要なのは「場所」では無い。「人」なのだと。
人と人との深い繋がり
現実性を持った「絆」それこそがこのゲームのとてもシンプルなメインテーマだったように思います。
このゲームをプレイし「足りない」と感じた人達、見事に罠にかかっているのではないでしょうか。真ヒロインのトリックに対する丸戸式の新しいトリック。喪失感や虚構感からくるプレイヤーのアンチ・カタルシスを上手く利用し、プレイヤーの神経を存分に煽る。しかしメタ作品の多くにあるような、ありがちな「読み手をあざ笑う」ようなことも無く、とても暖かいレベルできっちりとまとめられている。
『足りない』という計算された余韻。
航と6人の少女達がいつまでも同じようにずっと続けて行きたかった楽園での生活。ゆえに共感した人間には絶対的に分量が「足りない」。共感できたからこそ強烈な余韻を残し感じることができる。痛いほど楽園という存在に後ろ髪を引かれる。
茜ルートが始まった段階で心は警笛を鳴らし続けていたが結局回避できなかった。
もっと7人で過ごしている寮生達を見ていたかった。
もう少しでいいから彼らの「つぐみ寮」での生活を見ていたかった。
これは航や6人のヒロイン達の生の声そのものなはずです。
このトリッキーなプロットはその生の気持ちを共感させるための演出として本当に見事だった。(もちろんトリッキーすぎて真ヒロイン同様に多用されると微妙だと思いますが)とくに「約束の日」。これのおかげでヒロイン間のパワーバランスが非常に良いまま終わる。
これがライターが意図していてのことなのかどうかは正直なところ解りません。ですが自分にはプレイ時では予想できなかった切なさを伴った強烈な余韻がプレイ後に残った。正直なところ最初の6本のシナリオ終了地点は80点前後程度にしか評価していませんでしたから。終わってしまったことが残念で仕方なかった。
そういう意味でも個人的には心に残る作品でした。中学、高校、大学と毎回卒業のときに感じる「足りなさ」。終わってしまう「切なさ」そういった自分の生々しい青春時代を思い出させてくれる作品でした。期間限定だからこそ尊い。仲間達との1分1秒全てが尊い。そういうことを再確認できました。
キャラクターには愛を
そしてプレイヤーには現実を
プレイヤーを襲う強烈な喪失感
アンチ・カタルシスを語った作品で、ここまでの暖かさを最後まで保てた作品を私は知らない。
一週目と二週目でかなり印象が変わる作品だと思うので、この作品を好意的に受け入れられた人は、二週目をやってみるとまた違った視点から作品を楽しめると思います。