プレイ後の率直な感想としては、ついにこの境地に辿り着いたか・・・という所。私の中のブランドイメージはなんだかんだ言ってもトゥルーのAugustだったのだが、その印象が完全に救いのない話が好きなAugustに大変身!!『FORTUNE ARTERIAL』で感じた嫌な想像が実現したのは喜ばしい事なのか・・・?とりあえず言えるのは、未プレイの方は慎重にご検討下さい。(そして私の感想はスルーして下さいww)という事でしょうか・・・?
とりあえずこの作品に対してまず言える事は、とても丁寧に製作された作品だったという事。正直、ユースティアルートを終えた時点では不覚にも感動した。
ここで『不覚にも』という言葉を使用しているのは、おまけシナリオを見てガッカリしてしまい、その後にもう一度最後の方だけ読み返したら感動が完全に吹き飛んだという経緯があります。
この作品は、世界と一人の少女(ティア)を天秤にかけた主人公(カイム)が論理の追求ではなく愛を選び、それを一人の少女(ティア)が己の命よりも愛する人(カイム)の生を選択したという、言わば感動的なお話なんだろうと最初は思った。物事を選択する葛藤、立場の違いによる取捨選択の差、様々な想い・思想が絡み合う本作は心理という点において考えれば、その表現力の素晴らしさは言うまでもない。
登場人物の複雑な心の機微は、見る者によって大きく異なった解釈を取れる事だろうと思う。
だからこそ、私の意見もまた一つの捉え方であるという程度に流していただければと思います。
この作品の受取り方は、それこそ様々な事だろうと思いますが、私のこの作品に対する印象は【とても残酷な物語】であるというのが印象です。
プレイ後の方であれば、お分かりの事と思いますが、まずはティアの処遇において。ティア以外の個別ルートにおいて言えば、それぞれある意味幸せな結末を迎えていた様だが、それは、相変わらず崩落の危機に瀕したノーヴァス・アイテルでの事、もしくはティアの天使の力の利用により一時的に崩落を免れたに過ぎないノーヴァス・アイテルという風に考えるのは間違いだろうか・・・?もし一時的にでも崩落を免れた状態であれば、ある意味マシなのかもしれない。もしかしたら、素晴らしい解決策が見出せるかもしれないという希望がある分だけという意味ではありますが。いずれにせよ、ティアの犠牲により成り立つ幸せという前提があってこその形に過ぎないと私は思っております。
では、肝心のティアルートにおいて私が納得できなくなってしまったのはどうしてか・・・?という点に話を戻させて頂こうと思います。
一度は感動したのに何故この様に私の印象が様変わりしたのかは、言うまでもない事かもしれません。それは、オマケシナリオ【楽園幻想】を読んでしまったが故。本筋でカイムはティアの身に起きた結末を納得しているかの様に伺える。ティアの愛に包まれた世界を聖女イレーヌの様に悲しませる事がないようにと、新たな決意を胸に秘めていた事だろうと思う。私はこの結末を美しいと思っている。愛と負の感情、世界はこれらの感情が混ざり合い成立する。それでも、愛を胸にというカイムの姿が私には宝石の様に輝いて見えた。
しかしながら、オマケシナリオ【楽園幻想】は一体どういう事だろう。私にはカイムの無念さがヒシヒシと伝わってくるという悲しい感情しか浮かんでこない。結局カイムは罪悪感に苛まれているという事の証明ではないだろうか・・・?もしかしたら、このオマケシナリオの目的はユーザーに対し仮初の救済を提供し、溜飲を下げてもらおうとしたのかもしれない。その可能性は十分考えられる事だろう。
だが、私の考えは別である。ユーザーに対して【幸せは何かしらの犠牲の上に成り立つ】という現実をまざまざと見せつけただけに過ぎないという印象です。
カイムがこの様な幸せな夢を見るのは普通に考えると当たり前の事です。割り切ったと思っても、幸せな夢に酔いしれていたいと考えるのは人として当たり前の事だろう。これはある種の自己防衛の手段でもあると思うので一概に悪とは言えない。それどころか人に起こりうる現象としてはむしろ健全な事だとも思う。
だが、私には逃げのみにしか受け取れなかった。何故ならカイムはその時における最善を尽くしたと思えなかったから・・・
作中に『出来る、出来ない・やる、やらないは違う』と描写があったが、ティアを救う事(世界の全てを犠牲にする事)はやる、やらないの部類であると作中でも再三描写されている。世界と愛する人を天秤にかける選択というのは、その責任の重さ故、決断に時間がかかった事は非難できる事ではない。だが、その決断の遅れこそがカイムの後悔であり、オマケシナリオに直結していると私は推測する。そして結局は【『やった』けど救う事は『出来なかった』】と自分を慰めているに過ぎないという事の証明でしかない。
だから私はこの作品を【救いのない作品】であると認識している。とても素晴らしい丁寧な作りではあるが、夢はない。あるのは見るものに現実を突きつけるという無慈悲だけ・・・
凄い作品ではあると認識すると同時に、私はこの作品が嫌いである。物語に何かしらのリアリティを求める方には良い作品になると思われます。
もし、人に作品の感想を聞かれる機会があれば間違いなく『しんどい作品』『読んだ後気持ちが沈んでもよければどうぞ』としか言えない。そして最後に『考えさせられる作品という』言葉も忘れずに付け足そうと思いますが・・・
この作品はブランドにとっても試金石の様な作品だったとの話をチラっと小耳に挟みましたが、私はその様な印象ではありません。
『FORTUNE ARTERIAL』で私はこのブランドに一種の残酷さを垣間見たと思っており、今もその印象は全く変わっておりません。個別ルートの捨石っぷりは半端なかったですからね。ただそれでも、『メインヒロインの砦だけは・・・』とどこかで高をくくっていたのも事実。驚きよりもガッカリの方が私の中では強いです。こっちの方向で、これからも作品を制作していくのであれば、私はこのブランドを買うことはないでしょう。物語においてユーザーの想像(創造)による幸せの逃げ道は必要であると私は思っているのでww
そんな感じで、いつかまた・・・