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gggrrrさんの親愛なる孤独と苦悩への長文感想

ユーザー
gggrrr
ゲーム
親愛なる孤独と苦悩へ
ブランド
楽想目
得点
95
参照数
359

一言コメント

心理学を通じ、人生をより豊かに、幸せになれる方法を教えてくれる教本。これを参考にして、現実での問題を解決することができました。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

実に心に刺さる話であり、生きていく上で指標になりうる物語でした。

 しかも、自分が最近よく思っていることに実に合致していて、このゲームと出会うタイミングも完璧でしたね。こんなにしっくりくることも稀でしょう。

 私が最近よく耽っていた思想は、仏陀ことゴータマシ・ダールタの悟りの真髄である「認識しうる全ては、無実体である」というものです。究極的に言ってしまえば、「世界」とは所詮「自分が感知しうる世界」でありそうでないものはこの世に存在していないもの同然なんですよね。

 例えば、今も5km離れたところで児童虐待をしている家庭があり、2km先で通り魔に襲われている人がいて、2000km向こうでは戦争している人達が居る。でも私は知らない、感知していない。だから「世界にそんなことは起きてない」

 今の私の境遇を、他人がどれだけ「不幸だ、気の毒だ」と言おうと思うとも、私自身が「自分は幸福だ、恵まれている」と認識していれば、私は幸福であり恵まれてます。だって、それを決めるのは私ですから。

 この「親愛なる孤独と苦悩へ」という作品は、その事実の重みを再認識させてくれるものであり、より幸福な生き方への教本ともなりました。

 ネガティブな自分を拒絶するのではなく、まず受け入れてやること。その後にポジティブな自分へと徐々に変えていければもっといい。

 他人が思う自分と、自分が思う自分は同一じゃない。その逆も然り。「この人は私を嫌っている」と思う人がいても、実はその人自身は私のことを嫌っていなかったという場合がある。
 その逆に、「この人は自分を気に入ってくれてる」と認識しても、実際はその人は自分を嫌っていた場合もある。

 この場合、どちらの場合が自分にとって幸せだろうか。どちらの生き方が幸せだろうか。どちらも自分の認識と事実が異なる場合だが、心に負担が無いのは後者だろう。事実を知った場合の衝撃は大きいかもしれないが、後者の生き方をしているのなら、その事実を知ったあとでも前向きになれるだろう。

 けれど、前者の場合は、「紛らわしいことをしないでくれ」とか「でも心の奥まではわからない」「きっと建前だ」と勘ぐってしまうのではと思います。

 ネガティブな自分を受け入れないままだと、ずっと暗く頑なな性格になってしまうでしょうからね。

 少し話が逸れましたが、では一章から順番にキャラクターを語ることで、内容にも触れていきたいと思います。


 あ、でもその前に、ゲームを起動した時に流れるムービーには度肝を抜かれました。まさか実写映像をふんだんに使うOPがくるとは…… しかし一見の価値はあるものでしたね。



 第1章  内田姫紗希

 この章は、教育実習生である姫紗希が、実習に憂鬱になったことで無料でカウンセリングをしている「橘 真琴」に依頼することで物語が動き始めます。
 
 最初、なにかバグったんじゃないかと思ってました。真琴さんが登場するまで、一切BGMが流れなかったので、インストールし直したくらいです。しかし、これは「演出」でした。どうも一人称キャラ(1章では姫紗希)の心情がネガティブなシーンは基本無音なのがこのゲームの「演出」みたいです。真琴とカウンセリングをしているシーンではBGMが流れています。

 1章では主に「観念」の話が取り沙汰されていました。この「観念」とは一種の精神的な「鎖」です。
 「~でなかればならない」
 「~ではダメだ」
 という、自分の精神に無意識に課せたルールが「観念」となり、1章では「優秀でなければならない」というものが、姫紗希の「観念」となっていました。
 しかし、実は「~でければいけない」必要なんてないんです。そんな法律も真理もない。自分の心が「~でなくてもいいや」と思えた段階で、心を縛っていた観念は消えます。無論この「観念」も良い方向に働くこともあるでしょうが、心を病むようならば、それはその人にとって無用どころが害悪です。

 個人的に、その人のプラスになるものは「信念」、マイナスになるものが「観念」だと思います。

 「~になりたい」が信念で、「~にならなければならない」が観念、とでもいいいましょうか。

 「観念」を取り除くためにはその「観念を持つに至った理由」を探り、納得することが必要で、真琴とのカウンセリングは、その「理由」を少しづつ明かしていくためのものとなりました。

 姫紗希の「理由」は「父親」であり、この父親は端的に言えば父親失格な人間で、どういう訳か「優秀さ」を娘に押し付けていました。口を開けば成績成績。どんなに娘が頑張っても褒めることはしないで、むしろ罵倒や嫌味をいう始末。この父親がこんな馬鹿な行動をしてきた理由が語られないのがややスッキリしないところですが、ことさら悪人ではないけれど、無能で馬鹿な男です。まあ、こういう人間もいるんだろうとは分かりますが、会いたいタイプの人間じゃないですね。本当、どんな人生送ったらここまで馬鹿になれるんでしょうか。まあ、これより酷い人間がこの先に登場するわけですが……

 こんな馬鹿な父親を持ってしまったため、姫紗希心の中には常に父親への反感・憤怒・憎悪があり、この父親を否定するために「教育」の道を選んだのです。しかし、それは長年蓄積された潜在意識の内での決定であったために、姫紗希自身が自覚することはこれまでなかったのです。

 しかし真琴のカウンセリングによって姫紗希をそのことを自覚しました。そして最近彼女が憂鬱になったのは、父親が癌になったことにより、「復讐相手」がすぐにいなくなる可能性が出たことで、その熱意がくすんでしまったからです。「復讐」だからこそ辛いことも耐えてきたのに、その「復讐相手」がいなくなったら、辛いことに耐える理由はなくなります。だから「熱意が」消えた状態で「辛い復讐の過程」をこなすのが、とてつもなく憂鬱になったのです。ですがこんな馬鹿な男への怒りで人生を決めてしまうのは、あまりにももったいないということに気づいた彼女は「優秀でなければいけない」という観念を捨て、父親という鎖から解き放たれました。

 一応この馬鹿な父親とも和解しましたが、まあそこは重要ではないですね。姫紗希が前向きに人生を送る心構えが出来たのが、何よりの収穫であり、成長ですから。和解は彼女が成長した結果の産物でしかありません。和解しないよりはしたほうが良いでしょうが、今の姫紗希なら、和解せずとも前に進めたことでしょう。


 4章で明らかになりますが、姫紗希の本当にやりたいことは「歌手」でした。しかし社会的に「優秀でなければならない」という観念を持ったしまっていた彼女には気づくことすら出来ませんでしたが、それを手放した彼女は遂にそれを見つけることが出来ました。

 1章での観念の説明は、カウンセラーである真琴の人生経験からの実感があったからこそ、説得力があったのでしょう。観念の恐ろしさをもっとも分かってる真琴だからこそ、多くの人が納得した。



 第2章  那古龍輔

 この章は自分が一番好きな章です。理由は2つあり、一つはこの章には自分が嫌いな「醜悪な人間」がほとんど出てこないからです。1章には毒親、3章にはいじめっ子、4章はその2つのダブルセットという状態の中、2章の登場人物は気さくな人が多いです。
 その理由であり、同時に私がこの章が好きなもう一つの理由でもあるのが、主観である龍輔が「前向きで強い人間」だからです。前向きで強い人間にいじめっ子は近寄らず、彼がそうした人間に成長したのは、親が真っ当であったからです。その相乗効果で、彼と深く関わる人間に、悪い人間は出てこないのです。

 また、1章と異なるところは、姫紗希は「ネガティブな状態からの脱却」をするため、言うなれば「精神的にマイナスの状態から0へと戻したい」というものでしたが龍輔は精神的にマイナスな状態にはなっていません。「やる気を出したい」というのが彼の依頼だったので「0の状態をプラスにする」というものです。

 精神的に問題という問題を抱えてないので、話も1章よりは深刻さはないです。龍輔自身も「不安」や「焦燥」をそれほど抱えている状態ではないので、精神状態も作中ずっと安定してます。

 彼は格闘ゲームが好きで、世界で通用するレベルまで上達しているのに、最近昔ほどゲームに熱中できない。就職活動はもっと熱中出来ない。その理由はなぜか?
 それを探るために真琴のカウンセリングを受けるのが2章で、真琴がカウンセリングにて提唱したのが「自分の好みの見つけ方」と「夢を諦める方法」でした。

 やはり自分が好きなのは格ゲーだが、かといってゲームのプロになるには壁がある。そこでなぜ自分が格ゲーを好きなのかを探ってみたらその理由は本人も強撃の事実。

『妹が喜んでくれるから』でした。

 龍輔自身が「マジか……」と唖然とした理由ですが、プレイヤー目線では相当前から予想できました。まあ、これは1章の姫紗希の時もそうでしたが。

 龍輔には6歳年の離れた唯菜という妹がおり、21歳と15歳にしてはかなり仲が良いように見えました。かといって、恋愛ゲームのような兄妹の恋愛、異性に向ける愛情、というのは互いに一切なく、本当にただ普通に凄く仲の良い兄と妹。

 妹の受験の下見に、2人で行ったり、兄のゲーム大会に応援に行ったりして凄く仲がいい2人ですが、作中で恋人のようなベッタリと仲が良いことを強調してるシーンは一度もありません。しかしなんの違和感なく2人きりで行動、会話して笑顔でいるところが、これ以上ないほど「仲の良さ」を感じました。

 同じ空間にいて、互いになにも話さなくても一切不快にも不安にも思わない関係、いいですよね。

 本人無意識でしたが、兄は妹を喜ばせるために一生懸命で、妹はそんな兄に全幅の信頼を置いています。おそらく、この妹の唯菜にとって、物事の判断の根底に有るのが「兄」なのでしょう。「兄が言ったから」「兄がそうしたから」が彼女の大前提。おそらく、「小説家になりたい」というのも、いつか兄がそうした旨のことを言ったからなのだと思います。作中でもペンネームを決めるときに兄に意見を聞き、その意見をそのまま吟味することなく採用しました。彼女の中では「兄の言うこと」に間違いはないのでしょうね。

 真琴も言っていましたが、龍輔は本当に「良いお兄ちゃん」です。この物語の人物は何らかの精神的問題を抱えたり、不幸な境遇だったりしますが、もっとも恵まれている環境に居るのは唯菜だと思います。こんな妹思いの兄ちゃんなんか滅多にいないぞ……!

 なので、自分がゲームが好きな理由を自覚した龍輔は、以前ほどゲームに拘らなくなり、その分就職活動に前向きになりました。子どもの頃は格ゲー以外に唯菜を喜ばせることが出来ませんでしたが、今はいくらでも探せるし、無理に喜ばせ続けることもないことを理解したからです。幼い唯菜は兄が笑顔にさせてやらなければならなかったとしても、15歳の唯菜はもう自分の意思を持っている年頃です。

 それでも妹思いなお兄ちゃんは、妹の夢を諦めさせないため、というより「夢を追ってもいいんだ」ということを教えるために、ゲームのプロに挑み、勝利を掴みます。そしてその兄の姿を見て笑顔でいる妹を見て、彼も満足するのでした。

 ああ、とことん妹思いな兄ちゃんだよな…… 唯菜は果報者や……



 第3章  都宮 海


 3章の主人公は、長年真琴のカウンセラーを受けていた、元いじめられっ子、元引きこもりの大学生である海くんです。
 
 彼の問題は長年の相棒との軋轢でした。物事の事情は至ってシンプルで、コンビ解消しようと言う相棒に、その理由を聞く、ただそれだけです。

 海くんと相棒である朽木尋は、幼稚園のことからの絵のパートナーで、下書きを海くんが、彩色を尋が、という担当で二人三脚でやってきて、アメリカの美術雑誌の表紙を飾ることを目的として大学生に今までやってきました。

 しかし、応募した賞で2回も準入選という結果を上げたというのに、尋はコンビを解消しようと言う。海くんはそれに納得できずに、真琴と相談しなからも、頑なに本当の理由を語ろうとしない尋に向き合っていく。というのが話の流れ。

 尋が頑なに言わなかったその理由とは、「自分は海の足枷にしかなっていない」というものでした。

 尋は美術の専門学校に行きましたが、海は通常の大学に行きました。それでも上達し続ける海に対し、尋は周りの自分より才能ある者たちを見続けることで自分の才能の限界を感じ始めていました。同時に、海と自分の才能の差も。

 海は幼い頃こそ、色盲であったために色が上手く塗れませんでしたが、美術の勉強を重ねた今では、すでに尋より上手く塗ることが出来るようになっていました。

 これまで一向に取れなかった賞も、自分より才能が有るだろう美術大学の友人に塗ってもらったものと、海くんだけで塗ったものは入賞した…… この事実に打ちのめされた尋は、海の元から去ろうとしたのが、コンビ解消の真実でした。

 ですが、海は尋の絵がとても好きであり、夢である表紙を飾るのも「2人で」なくれば意味はなく、そもそも自分は尋といっしょだからこそ絵が描けるのだと心の全てを語り、かつて幼少時に尋から言われた「僕のために描いてくれ」という言葉を真っ直ぐに返し、尋をそれを受け取ったのでした。

 前2章はカウンセリングを受ける本人の精神状態の向上を目指すものでしたが、3章は「対話」「コミュニケーション」の方法を探るというもの。自分の精神ではなく、相手の精神を主眼に置いて、「客観的に」自分の行動を見ることで、相手が自分をどう思うかを探りながら、相手の心を開かせていく方法を模索していくものでした。

 というのも、この章は前2章と比べて、問題を持っているのは海くんではなく尋の方で、それを主人公である海くんが真琴と相談の末、その心の淀みを取り払う形になっていました。数年間に及ぶ真琴とのカウンセリングによって、海くんの精神は相当に成長していましたね。だからこそ、決して引くことなく、諦めることなく、相手に対して真摯に向かっていけたのでしょう。

 そして、だからこその4章が始まります。そんな海くんだからこそ、真琴自身の問題の解決の道を切り開く役を担えたのです。



 4章  橘 真琴

 
 これまでカウンセラーとして、各章の導き手となっていた真琴自身の心の問題に決着が付くのが最終章である4章です。これまでは頼りになるカウンセラーであった真琴でしたが、個人としての彼女は、他3人よりさらに大きい、大きすぎるものを抱えていました。

 カウンセラーという「公人」としての彼女は立派でも、「私人」としての彼女は未だ解決していない悩みをもつ一人の人間でした。

 そして、作中でもっとも過酷な経験をしたのが真琴であること判明すると共に、これまでの3章は真琴が「持っていなかったもの」を持っていたからこそ、真琴の時より良い結果になったことが分かります。

 橘真琴という存在の真実は、19歳の時に自殺し、魂だけの存在となったものが、唯一干渉できるパソコンを通じて、カウンセラーとなったというものでした。

 一見するとオカルトですが、自分はそこまでありえない事でないと思います。真琴が活用していた機械は、言うなれば脳波、電波、振動といった「波」の形を感知・認識し、出力するものなのでしょう。現在の科学上「有る」と証明できていないだけで、精神の残留思念というものが「無い」ことも証明できていないのです。

 ならばこそ、その精神の「波長」を認識、登録する機械が、思念だけとなった真琴を感知してもおかしい話ではありません。現在の科学でも、「念じるだけで動く機械」は既に開発されています。車椅子に乗った人が「前へ」と思考すれば前進し、「止まれ」と思考すれば停止する自動車椅子は、すでに開発されているのです。ならば10年後にはそうした機械が当たり前になるのは、むしろ既定路線でしょう。

 なので、私はそこまでオカルトでもファンタジーでもないと思います。精神、思念というものの研究も、まだまだ未知の部分が多いのですから。

 話を戻すと、前述したように、真琴は作中でもっとも不幸な目にあった人物です。親は1章の姫紗希の親より輪をかけたろくでなしで、学校では3章の海くんより長くいじめられ、兄は唯菜にとっての龍輔のように完全に味方になってくれなかった。

 この真琴の問題を、前3章の主人公たちはそれぞれ一部ずつ持っていました。

 1章の姫紗希は、「優秀な上の兄弟」がいることと、「親がろくでなし」という部分が似ていました。しかし彼女の親は真琴の両親よりはずっとマシで、両親ともに正真正銘のクズだった真琴に比べ、母はただ弱く、父は致命的に間違いつつもその教育の動機は「娘のため」でした。そのために同じ中学のころでも、姫紗希は真琴ほど暗い性格にならず、友達もおり、父に「憎悪」を抱く強さも得ていました。

 3章の海は「いじめられていた」という部分が共通しています。しかし、彼には色盲という肉体的なハンデがあり、かつ「絵」という夢があり、尋という相棒がいました。真琴はどれも無かったのです。いじめられる分かりやすい理由がなく、夢も相棒も無い。だから奮起するきっかけがどこにもない。

 2章の龍輔は、もっとも真琴と類似点がない人物です。多少なりとも類似点があるのは妹の唯菜の方で、いうなれば「真琴の兄が龍輔だったらこんな結末にはならなかった」という感じです。真琴の兄は、妹が死ぬまで本当の意味で「妹の味方」になり、「妹のために」行動することが出来なかったからです。彼がそれを出来たのは、妹の死後でした。龍輔は無意識に「妹のため」行動していたのに対し、真琴の兄は意識的に「妹のため」行動するも、その実すべて「自分のため」でしかなかったのです。


 4章の前半、真琴の生前のシーンは、作中屈指の胸糞シーンです。これでもかというほど、クズ人間の見本市になります。いじめられっ子&毒親、このコンボが延々と続きます。

 私は個人的にこういうシーン、つまり人間の屑が陰湿な行為をするのが大嫌いなので、このあたりは本当に読んでいて苦痛でした。どうしてそんな行動ができるのか、意味が分からない。誰かを虐めて楽しむことが出来る精神など理解したくないし、子供を自殺に追い込む親などこの世に存在して欲しくない。

 このゲームの唯一の不満は、この毒親が相応しい末路、報いが与えられないことですね。2人の子供から死んだ事実を一切悲しまれていない程度ではたりません。真琴が受けた苦しみの10倍の苦しみを、地獄で味わって欲しいですね。鬼灯さまお願いします。


 しかし、そんなあまりも過酷な過去を持つからこそ、真琴には傷ついた人の心が誰よりも理解できる。彼女が自ら命を絶つほどの苦しみを経たからこそ、200人以上の人間の苦悩を取り払うことができた。

 作中の言葉を借りるなら、自殺したからこそ得られた結果、なのでしょうか。真琴の人生は、肉体を捨ててからが本番だったんですね。

 真琴がその最期に、今まで彼女が救ってきた人たちから感謝され、送られる場面は心に響きましたね。彼女はただ自殺した少女ではなく、多くの人の心を救ったカウンセラーであったことの証左でしょう。立派な人生でしたね。真琴の兄も、ようやく自分を許すことができたようですし。


 余談ですが、最後のシーンでキャラクターの中でもっとも海くんが号泣し、龍輔が冷静だったのは、真琴との「共感」の強さによるものかなと思います。海くんや姫紗希には真琴と共感する部分が多かったけど、龍輔にはほとんどないあたりがその要因かなー、と思ってました。

 物語というものは、登場人物の心の成長を、読み手が受け取り、そして作中の人物の成長に感化されてこそ、それを読む意味があると思います。この「親愛なる孤独と苦悩へ」を読み、私はさらに自分が抱いていた思想をより明確に意識し、そして他者への向き合い方を考える機会を得られました。

 奇しくも、この話を読んでいた最中に職場で同僚同士に諍いが起こり、この物語の「観念」や「話し方」の手法を使うことで、円満に解決させることができました。

 この現実世界で生きる上で、この物語に出会えたことはとても幸福であったと実感しています。






点数が95点なのは、どうしても真琴の過去シーンでクズ人間たちが登場するため、あのあたりのシーンを多少減らして欲しかったからです。

 また、真琴の人生をみていて、ふと「Dear my abyss」の主人公、『朝戸 昴』を思い浮かべました。彼女も他人との交流に軋轢を感じていましたが、その原因は「他人を嫌う自分の心がもっと嫌い」というもので、「誰も嫌うことない、孤独の世界こそが幸福」という、常に「寂しい」「誰か私を見て」と思っていた真琴とは正反対でした。
 真っ当なのは真琴で、異端は昴でしょうが、私はその『朝戸 昴』の潔癖すぎるほどの綺麗な精神性にも憧れます。