高坂スミレの生涯の意味
高坂スミレと篠原あかり。現実を見ることをしなかった少女と、現実を見ることをやめた少女。2人の物語。
このナルキッソス-スミレ-はこれまでのnarcissuシリーズ、とくに1と2、姫子EPと深い繋がりがあります。
例えば優花。現実と対峙することを辞め、仮病(寝たふり)の世界に居続けようとしているあかりを、手を引いて現実の世界と再び繋げたのは彼女でした。しかし、元来昭島優花という女性は臆病で自分から他者と触れ合うことをする人間ではありませんでした。しかし、彼女があかりを強引に外に連れ出すような性格にしたのは、彼女の亡き親友「篠原姫子」の存在があったからです。
心と目を閉じたあかりに「迷い」を生じさせたのは、優花が強引に彼女を外に連れ出したことがきっかけです。自己の世界だけで完結しようとしていたあかりの世界に、初めの亀裂を生じさせたのは他でもない昭島優花です。あかりはその強情(というかアイデンティティ)故になかなか認めませんでしたが、優花という「友達」が出来たことにより、あかりの人生に大きな変化が生まれます。彼女は優花に連れられ「自分が定義した閉じた世界」から抜け出します。
そしてセツミ。7階の住人となったスミレは、まだ7階の住人になっていないものの、相変わらずの長期入院中のセツミに会います。セツミは彼女の性格ゆえに、優花のように踏み込んでくるようなこともしません。スミレもセツミも活発な性格ではないですから会話も弾むことなく、二人の交流は「知り合い」とも言えない状態までしかいきません。ですが、セツミはスミレに道を示します。それはある種「自分が将来やる行動」であることを予見したが故に、「将来の自分」の状況にいるスミレにその行動を促したのでしょう。「友達は作ってもいい」と教え、「地図を渡す」という行為にそれが表れています。
そして、セツミに地図を贈った人物、それもまた篠原姫子です。
姫子という一人の今はもう亡き七階の住人は、セツミと優花、ネロとアロアとなる2人の存在のこの上ない影響を残して去ってゆきました。彼女が遺した影響は、セツミと優花の2人に留まらず、波紋のように広がっています。そのうちの2人が、奇しくも名字を同じくする篠原あかりと高坂スミレです。
優花に連れられ自分が知りうるはずもなかった7階で、かつて「公園の住人」同士だったスミレとあかりは再会します。しかし、かつては共に「居場所がない者」であった2人は「去る者」と「残される者」に明確に分かれてしまっていました。
あかりは自分の存在をなかったことにしようとしています。自分が存在することで及んだ影響を全て無くし、眠りの世界へと行くことを目的としています。ですが、再会したスミレはもはや否応なくこの世からいなくなることを約束されていました。だというのに何ら行動をしようとしないスミレを見てあかりは苛立ちます。実はスミレこそがあかりの理想形である「誰かに影響を及ぼすことなく消える存在」であるというのに、スミレの消極性に自分でも分からない怒りを覚えています。
この時点であかりには「自分はこのままで良いのか」という思いが強くなっていたのでしょう。その気持ちを芽生えさせたのが7階へ連れてきた優花であり、再会したスミレです。スミレに対するあかりの態度は、常にスミレを通して自分自身へ問うているような印象を受けます。
そしてセツミの言葉を聞いたスミレは「自分の人生の証人」としてあかりを選びます。
かつて姫子がセツミを最後の伴としたことに似ています。姫子は最期にセツミへ「魔法」を遺しました。その「魔法」はその先に生きるセツミの導として効力を発揮します。
貸し借りのない0の状態でいることを信条としてたあかりでしたが、スミレの最期に立ち会うに際し、自分では彼女の生きた証人になることはできないと思い辞退を述べ、代わりの願いを聞きますが、スミレの答えは「友達になって」でした。
これがスミレの「魔法」です。自分ではなくあかりへ。その魔法がどんなものか互いに分かることはないけれど、魔法は確かに存在しました。
その効果は「ナルキッソス-スミレ-」ではなく「すみれ」で分かります。
あかりは自分が存在したがゆえに人生が大きく狂ってしまった2人の人間、『健ちゃん』と『義理の妹=雛姫』をネット学園にログインするよう仕組み、HN「多恵」として接触します。その真意は2人に引篭りで陰鬱な人格から前向きな性格へと立ち治ってもらうこと。即ち「あかりがいなかったらなっていたであろう姿」になってもらうことです。
ところが、そこへあかりが想定していなかったもうひとりがネット学園に紛れ込みます。これは完全に偶然で、あかりが意図したことではありません。
そして、紛れ込んだ少女の名前は「初芝 すみれ」。ネット初心者であったすみれは、HNに「ハツシバ すみれ」と本名を書き、それをあかりが扮する多恵に指摘されます。
すみれ…… あかりのもういない友人と同じな名前をした少女が、偶然迷い込んできました。
あかりは『健ちゃん』の状況を調べていましたから、『初芝すみれ』が現実ではどこにいるかすぐに分かったでしょう。
そうして、「誰にも貸し借りは作らない」ことを信条とするあかりが、その信条に反するおせっかいを、すみれに対してだけは行います。何度もすみれに接触し、アドバイスをし、親切にします。自らの信条に真っ向から反することをあかりは重ねていきます。
その後「すみれ」本編が示すように、すみれの立ち直りは『健ちゃん』の立ち直りに繋がり、成長した『健ちゃん』はあかりを完全に閉じた世界から外へ連れ出すことに成功します。
「すみれ」本編の最後はすみれ、雛姫、あかり、健ちゃんの4人が笑顔でいる絵で締めくくられますが、私はこの光景こそが「高坂スミレ」が生きた証だと思いました。
偶然に出会った同じ「スミレ」の名を持つ少女。その少女をあかりと健ちゃんが救済することが、あかり本人を救済することへと繋がった。
「高坂スミレ」がいなければ、あかりは眠りの世界へと旅立っていたでしょう。
篠原あかり、そして初芝すみれ、この2人の曇りない笑顔こそが、高坂スミレの命の証明であると、私は強く感じました。