愛を取り戻したがゆえに復讐を果たせなかったニナ。愛を取り戻すことなどあり得なかったゆえに復讐を果たせたコレット。激動の時代に翻弄され、翻弄した2人の高級娼婦の人生。
19世紀のフランス。ナポレオンの台東と彼の没落を経て、王政、帝政、共和政権が入れ替えたち変わる混乱の中のフランスの史実に則った物語。
その中核にいるは、2人の高級娼婦(クルティザンヌ)。彼女たちはその美貌と、なによりも抗いがたい雰囲気で男も女すらも虜にする魔性の者。
だがその真実は、愛を奪われ、奪われた愛に殉じた悲しい少年と少女だった。
物語は2章構成。1章の主人公は、艶やかなブルネットに赤いドレスを纏う魔性のクルティザンヌ、ニナ・フォートリエ。
彼女と関わった男は破滅するという、まさに傾国の美女。
その正体は1851年のルイ・ナポレオンによる共和政府へのクーデターにより両親を失い孤児となった少年。だがその美貌と肢体は男女を問わず虜にする魔性を秘めていた。
孤児となり路頭を彷徨っていた彼の美貌に目を付け、クルティザンヌに仕立てあげたのはルイ・ボナパルトの亡命中の愛人でありパトロンでもあったミズ・ハワード。彼女はルイ・ボナパルトの失脚させるための尖兵として、拾った美少年ニコルを、高級娼婦ニナ・フォートリエへと育て上げる。ミス・ハワードも元は高級娼婦だった。
ミス・ハワードがルイ・ボナパルトの失脚を願ったのは、自分と彼を隔てるものは、皇帝という彼の立場のためだと思っていたから。それは間違いない事実だが、彼のその目的に手を貸したのも彼女である。だが彼の目的がかなっ後だと、イギリスの元高級娼婦を手元に置くことも、ましてや結婚などできるはずもないため。関係を断つほかない。
理性では理解できても、感情では理解できないのが人間。特に情の深い女性であれば尚更に。かつての2人の関係を取り戻すために、ミス・ハワードはニナを利用したのだ。ニナ=ニコルもまた、自分から両親を奪い路頭にさ迷わせ、絶望を与えたルイに復讐の念を抱いており、同時に何も持たない自分が生きるためには、ミス・ハワードの手駒となるしかないこともわかっていた。
1章は、そんなニナの目線で物語が進みます。彼女となった彼は、その美貌と妖しい雰囲気で1951年のクーデターを主導した者や手を貸した者たちをどんどん破滅させていきます。ですが、それは単なる復讐劇とは一線を画すものであったことが、ニナに嵌められた者たちの声による分かります。
ニナによって破滅させられた者たちは、誰ひとりニナを恨むことなく、それどころかニナに対する感情を一切捨てていないのです。クーデターの計画者で、ニナの復讐対象であったド・モルニーは「彼のことを恨むことが出来る者などいない。皆憐れみを持って破滅を受け入れた」と言います。それはニナの復讐は憎しみではなく悲しみが源泉であったから。両親を失った悲しみに対し、復讐という行為を選ぶ以外に生きることが許されなかった、あまりにも悲しく美しい少年に、誰も憎悪を抱くことができなかった。
しかし、そんなニナも、有能な皇后の腹心ルエールにより正体が暴かれ、皇后の嫉妬が原因の法に則らない強引な摘発から逃れるため、使用人の少女一人を連れて隠遁しますが、執拗な捜索によってついに発見され、秘密裏に殺されてしまいます。
1章は、物語の主人公のニナの非業の最期によって終わるという、この媒体のゲームでは非常に珍しいものとなっています。
そして続く2章。舞台は1章最後の6年後。主役となるのは、煌びやかなブロンドに白いドレスを纏った、魔性のクルティザンヌ、コレット・ルクレール。
彼女は、共和主義者ティエールを介し、ルイ・ナポレオンに取り入り、かつての愛人によく似た容貌を利用し皇帝の愛妾の地位を確立します。
その正体は、かつて孤児となり路頭をさ迷っていた時にニナによって拾われ、彼により無償の愛を受け、居場所を与えられた少女。ニナ=ニコルはコレットを愛し、コレットもニコラに恋し、愛していました。
逃亡したニナ=ニコラが連れて行った少女がこのコレットであり、セーヌ川の河畔に打ち捨てられていたニコラの遺体を見つけ出したのもコレットでした。
2人の愛は、男女間の情愛というより、境遇が酷似したお互いへのシンパシーであり、ニコラはコレットに無償の愛を、コレットは惜しまぬ献身を彼に捧げました。男女の愛を超えた愛が、2人にはあったのです。
だから、コレットの行動はすべて帝政の崩壊、ニコラの復讐対象の皇帝と、ニコラを殺した皇后の破滅を目的としたもの。ただ生命を終わらせるのではなく、自分とニコラが味わった絶望を魂に刻み込ませることでした。
主人ニナ=ニコラを失ってから彼女は再びさ迷いますが、そこへ表れたのがニコラを拾ったミス・ハワード。ニコラを失って新たな手駒をみつけようとした彼女が見出したのがコレットでしたが、ここで彼女の予想していなかったことが起こった。
コレットは、ルイ・ボナパルトとミス・ハワードとの間に生まれた子供だったのです。認知することができず私生児として手放すしかなかった娘でした。コレットが母の形見としてずっと持っていた服の中に、その証の髪飾りがあったのです。
母との再会となるわけですが、コレットの心は動きません。彼女の心はニコラを失ったときに凍結しており、彼女の生きる目的はニコラの復讐を完遂し、ニコラを奪った皇后への復讐を遂げたあとニコラのもとへ旅たつこと。
泣いて謝るミス・ハワードの言葉も、一切彼女の心に入ってくることはなかったのです。
そして彼女はかつてニコラ=魔性のクルティザンヌ・ニナが行ったようにその妖しい雰囲気で相手を惑わし、余人には出来ない深淵を覗かせるような快楽を与え、復讐相手を自分に依存させていきます。
皇帝ルイ・ボナパルトと皇后ウジェニーに対しては、自らに依存させきった後に破滅させ、自らの正体と目的を告げた。
彼女は特に自ら動くことはありません。ただ夜伽の際に彼らの思考を「操作」させる方法を取ったのです。「コレットの言うとおりにしよう」ではなく「コレットが信じてくれる自分の方法は正しい」という具合に、あくまで選んだのは自分であり、コレットの意思ではなく自分の意志で行動してるように「錯覚」させて破滅の道を歩ませます。
しかし、コレットにそうした才覚があるわけではありません。第2帝政崩壊のシナリオの著者は、もはやミス・ハワードでもなく、かの鉄血宰相ビスマルクです。コレットは彼の計画に沿い、皇帝と皇后を破滅させるべく送られたスパイだったのです。
しかし、誰ひとりコレットの行為を止められませんでした。それは、コレットが一切未来を見ていなかったために、誰もその行為の真意が読めなかったのです。
本当に全てを奪われた者が、何を思って行動しているかを、「自分が望む未来」を描く当たり前の人間には分からなかった。だから有能で識見も高いティエールも「コレットを利用できる」と考えて油断し、オリヴィエも彼女の危険性を読み取ることが出来なかった。
「自分と手を組んだ方が有利にことを進める、後ろ盾になってやる」などといったティエールの誘いは、ニナにもコレットに通じない手法だったのです。彼女たちは「自分たちのより良い未来」など求めておらず、ただ愛する者を失った悲しみを憎しみに変えることでしか、生きることが出来なかっただけ。だからその胸にあるのは虚無のごとく深い、愛を奪われた悲しみ。彼女たちに不用意に近づくものは、その虚無に引きずられるように破滅していきます。
これに打ち勝てるものは、強靭な精神力と、冷徹な頭脳と、どんな犠牲に上にも自らの思い描いた世界を創るという理想を抱いた、英雄の気質を持った者たちだけでしょう。そう、かの鉄血宰相のような。
2章の終わり、物語の幕はコレットの死によって引かれます。皇帝と皇后を操作し普仏戦争を起こさせることによって帝政を破滅させ、復讐を遂げたコレットは、臨時政府となった共和政府からも、もはや用済みとなったためにプロイセンからも狙われますが、彼女は自分の生死に頓着することなく、ニコラとの想い出を辿るようにパリを逍遥していきます。
そして、市民の暴動に巻き込まれ死にます。ニコラの両親が死んだクーデターの時のようなパリの混乱に巻き込まれ、命を終えるのです。
権力者たちの政治闘争のために起こった暴動が発端で始まった復讐劇の主人公もまた、自分が破滅させた政府の崩壊により起こった暴動で死ぬのです。
あの激動の時代に翻弄された民衆たちの悲哀が、そこに表れているような印象を受けました。
全てを奪われた2人の高級娼婦。よく似た境遇の2人ですが、ただ一つ汚されることなく残ったものが、ニコラとコレットの互いの愛情でした。
ミス・ハワードがニコラを拾ったのは自分の目的のためで、2人にあったのは「互いの利害が一致しただけ」という関係であり、そこに愛情が芽生える余地はありませんでした。
ですが、ニコラがコレット助けたのは、彼自身すら戸惑った憐憫と共感によるもの。ただ復讐のために地獄に落ちるような行為をしてきたニコラ=クルティザンヌ・ニナは、コレットにだけは暖かな愛情を、自分が奪われた愛を与えていくのです。孤児となって身よりもなくなったコレットにとって、ニコラだけが生きる寄る辺でした。
私には、復讐に生きた2人のクルティザンヌのうち、ニナは復讐を果たせずに非業の最期を遂げ、コレットは復讐のすべてを完遂できた末に死んだという結末の違いは、本当に一切を無くしたのがコレットだったからだと思います。
ニコラは、復讐の途中でコレットを助け、コレットに愛情を与え、コレットからの愛情を受け取ることで、僅かですがコレットと2人で静かな生活を送ることを夢見ます。復讐以外の生き方を、見出してしまったのです。おそらく、それが彼の心の隙となってしまったのでしょう。
ですが、コレットには、「ニコラにとってのコレット」はいませんでした。ニコラの屋敷で自分に色々と教えてくれて、ニコラへの忠義を通し殺された女中長の娘の庇護者となりましたが、それは「女中頭への恩返し」であり、その子に対する愛情ゆえではありませんした。
彼女には、本当にニコラを奪った者に対する復讐以外を求めておらず、もはや心揺れることもなかったのです。その心はすべてを飲み込む虚無のごとくとなり、そのために彼女に触れた者はすべてその虚無に引きずり込まれて破滅する。
ニコラは他人のコレットに対して愛を与えましたが、コレットは生き別れた母にすら愛を覚えることはなかった。
コレットは最後までニコラに対する愛のみですべてを完遂し、死にました。
死後の概念などは不明ですが、彼女のその死に顔の満足そうな様子をみれば、一切の後悔などなかったのでしょう。
非業の人生を終えた2人ですが、互いへの愛だけは真実のままに。それを抱けて死ねた彼らは幸せだったのしょう。
ああでもしかし、ニコラが、そして幼いコレットが夢見たような、権力者の政治闘争にも戦争にも巻き込まれないで、2人で静かな生活を送れる未来は無かったのでしょうか。
両親を奪われることなかったニコラではクルティザンヌにはならず、皇帝の庶子でなかったらコレットは路頭にさ迷わなかった。だから2人が出会うことはなかった。
そういう運命だとわかっていても、幸福に生きていく2人の姿がみたいと思うのが、人間のわがままなところですね。
この物語は、「歴史の隙間」を突いた作品です。ナポレオン3世に庶子が多かったこと、かの「エムス電報事件」の陰謀論などを利用し、「実際にこういう人物がいたかもしれない」という架空の人物に実在性を与えている、読み物としては割とある手法ですが、それを無理なく行うには歴史の知識と、人物像に深い造詣がないとできないことです。大抵は「メアリー・スー」になってしまうのですが、この物語は2人のクルティザンヌ以外はすべて実在の人物であり、起こったことも史実に違わぬものですが、コレットの存在を無理なくその「間」に滑る込ませることに成功しています。
2人の少年少女の悲しい愛の物語であり、19世紀のフランスの動乱を描いた作品であるこの「亡国のクルティザンヌ」。出会えてよかった物語でした。