認識の転換を主軸とした、見事なサスペンスであり、愛情の物語(長文は独自解釈、独自考察で埋まってます)
噂に違わぬ出来の作品でした。これがFD入れても4,000円を超えないとは破格ですね。
最も良いところは、1週目と2週目で印象が全く変わるということ。特に1~4章は、すべてを終えた後だと伏線の張り具合などが読み取れて面白いです。なんと1章ですでに最終章の出来事の一部が語られていたりするんですね。
2転3転する展開とキャラへの認識、先の読めないストーリー、徐々に解明されていく謎、その物語の構成力は同人・商業の境なく、トップレベルでしょう。制作に4年以上の時間がかかったのもうなずけます。
キャラクターも魅力的なものが勢揃いです。男女比もおおよそ半々で、その人物構成も物語に彩を与えています。
独特の絵や、秀逸なBGMについては、もはやほかの方々が語り尽くしていることでしょうから、今更私がなにか言うことはありません。ただ素晴らしいと述べるのみです。
では、これからネタバレ全開で章ごとの感想と独自の解釈と考察でも述べていきたいと思います。すでにFDまで終わっている状況で書くので、FDの内容のネタバレも含まれますので、未プレイの方は読まないことをお勧めします。
自分は理屈っぽい解釈をしないと気がすまない性質なので、あらゆることにこじつけ気味な理由をあてはめていくというスタイルとなります。苦手な方はバックしてください。
前段
そもそもに置いて、このファタモルガーナの館という話(の中盤まで)は、身も蓋もないまとめ方をしてしまえば「理不尽に殺された不幸な少女モルガーナが、死後自分に害を与えた3人の男に呪いをかけた話」となり。その呪いの効果が如何なく発揮されていたのが1~3章となります。彼らに掛けられているのは『再生』の呪いであり、本来なら輪廻の輪に入り、別の人物、あるいは動物、虫などに転生する魂を、性質が過去と同一のまま「破滅する」ように仕組まれたものです。
対象はメル、東洋の男、ヤコポの3名。それぞれに掛けられた呪いは以下のとおり
メル :妹の愛情により破滅する
東洋男:殺人衝動を抑えないで行動する
ヤコポ:友人も恋人も出来ずに、孤独に生き続ける
これを、彼ら3人の性格が同じのまま、最後には上記の破局を迎えるように脚本を組む、まさに「悲劇」の演出をする呪いと言えます。
しかし、呪いの性質が『再生』であるがゆえに、呪いの対象に必ず必要なファクターとなる人物がいます。
メルであれば、絶対に不可欠なのが妹のネリーです。ネリーがいないメルなど、それはもはやメルではありません。別の誰かです。その上、呪いの内容すら「妹の愛で破滅する」というものであるため、ネリーの再生もすでに組み込まれています。過去の出来事において、ネリーはただ病弱で、それでも兄を慕っていた少女でしかなかったというのに。作中No1のとばっちりだと思います。
また、対外的に見れば東洋の男の恋人という立場にあった、ポーリーンも、東洋の男を破滅させるには不可分な存在となります。過去において、東洋の男(以下面倒くさいから東男と書きます)の殺人衝動を抑えていた作中表現でいうところの『鎖』となっていたのがポーリーンだからです。
ポーリーンについて言えば、彼女はネリーと違い、その立場になったことにも自己責任の面が強いため、あまりとばっちりという印象はありません。
ヤコポについては、3章で後述しますが、呪いがもっとも上手く効果を果たした例であり、まったく効果を果たしていない例とも言えます。ヤコポの再生によって時代を超えて現れたのは、もっとも古い友人のマリーアでしたが、実をいうとマリーアはヤコポを苦しめるために「必要不可欠なファクター」ではないので、前2人より圧倒的に重要性が低いです。ある意味とばっちり具合が低いのもマリーアであり、別の見方をすればもっともとばっちりを受けた人物とも言えます。
モルガーナが呪いをかけた3人の男と、そしてそれに欠かせない(マリーアはそうではないが)3人の女性が、それぞれ時代を超えて再生し、過去と同じような人生を繰り返し、最終的に破滅していくのが、1~3章の流れです。
また、この1~3章の『悲劇』を回転させるために必要な歯車があります。これこそが、メインビジュアルに登場する「白い髪の娘」です。初プレイでは何らかの事情で輪廻転生を繰り返し、その度に悲劇の人生を送ってしまう非業の少女…… と思うところですが、なんのことはない、彼女こそが悲劇を回転させる『装置』だったのですから、悲劇が起きて当たり前ですね。むしろ白い少女登場=悲劇確定という具合です。
ネタバレ全開ですので、もう語ってしまいすが、白い少女は、男達に呪いをかけている少女モルガーナです。正確にはモルガーナが捨て去った『聖女性』が、ある一人の人物、即ちこの物語の主人公である聖人ミシェルに憧れたことにより形成された擬似人格です。
あまりに悲惨な目に逢い、自分を殺した人間たちを恨みたいが、「自分は聖女である」というアイデンティティ故にの呪うことが出来ない。故に魂を分けて、『聖女』と『魔女』の二極化させ、その『聖女』の部分がこの物語の主人公ミシェルの高潔な姿を見て模倣した姿が白い少女の正体です。ドラゴンボールの神様が、ピッコロ大魔法を分離したのと同じですね(オイ) その根源が『聖女性』であるが故に自己犠牲的な行動しかできず、しかしモルガーナの一部であるということから、モルガーナの望み、すなわち3人の男の破滅、に沿うように行動します。どのように破滅させるかは演者である白い少女のアドリブ次第ですが、どう行動しようとも、彼女がモルガーナの一部である以上、悲劇しか起こりません。
無論、『聖女』の体現者である彼女には、男たちを害する意図は全くないのですが、彼女が存在するというだけで、悲劇の回転率は加速します。白い少女は悲劇発生装置であるのです。しかし後述しますが、その悲劇のノーコン率は目も当てられないレベル…
なぜなら、彼女は人間として生を受けておらず、その発生から終焉まで超常的な力で編まれている存在であるためです。白い少女が持つ「人生の記憶」はあくまで「設定」でしかなく、実際には両親も家族もいません。1章では彼女は16歳の姿で登場しますが、赤子から16歳まで育ったのではなく、16歳の姿で「発生」するのです。そして、関わる人間に、自分が存在することに不都合がないよう、記憶を改竄させることすらあります。
このことに、彼女自身に悪意があれば「このクズ野郎」と糾弾することもできますが、悲劇発生装置である彼女が起こす悲劇により、彼女自身も傷つくので、もはや始末に負えません。
ですので、1~3章は、モルガーナの代行として現れた白い少女によって、3人の男が前世の行いを繰り返し、破滅する話となっています。前世を繰り返すだけでは破滅にならないので、当然様々な点が歪められます。その最たる例がマリーアでありヤコポです。
では、それぞれの章を紐解いていきましょう。
1章
1章の呪いの対象はメルです。過去においてメルがモルガーナに何をしたかというと、東男をモルガーナのもとへ連れて行き、彼女を騙したことです。モルガーナにとっては「心を開いた相手に裏切られた」というものですね。
しかし、メルにはメルの事情がありました。最愛の妹であるネリーが人質に取られていたのです。また、メルは自分がネリーを必要としていたのは、ネリー以外に自分を必要としてくれた人間がいなかったから、結局は自分のため、と自嘲していますが、メルはその人生の最後においてネリーが死んだことにより絶望し、ナイフで喉を突き自害するという、中々に壮絶な最期を遂げています。そうまで絶望するほど、彼はネリーを愛していたのです。ここはメルの自分への過小評価だと思います。
誰かに優しくするのは、自分も優しくして欲しいから。そんなことは人間当たり前ですし、妹を人質に取られ、出会って間もない人間を優先する人間こそ稀です。命の天秤がおかしい人間です。
私はメルに罪があるとは思いません。運悪くそこにいたのが彼で、他の人物がメルと同じ立場だったら、メルと同じことをするか、或いはもっと悪い結果となったでしょう。
彼に掛けられた呪いは「妹の行き過ぎた愛情により破滅する」というものですが、実はこれは、ただ魂を再生させるだけでは出来ないのです。
なぜなら、ネリーという少女は、自分の立場を理解し、分別もある少女だからです。メルが誰かを好きになれば、嫉妬こそすれ、最終的には認めることができる子なのです。そんな少女をメルを破滅させるほどの行動をとらせるにはどうするか、それが「メルが好きになった相手も自分と同じ妹だった」という設定です。
あくまで設定というのが、この呪いの性質が悪い所です。兄妹の母は浮気などしておらず、当然画家との間に子供などいません。しかし、白い少女が発生したことにより、偽りの記憶を植えつけられ、館にあった「メルとネリーを描いた絵」も、「メルと白い少女の未来予想図」と歪められてしまいました。これにより、ネリーは心を病み、遂には完全に発狂してしまいます。
また、メルもメルで性格が歪められているところがあります。メルがメルとして『再生』したならば、ネリーを「殴る」ことは出来ません。そこには白い少女の干渉が働いています。
これはあくまで私の印象なのですが、メルを破滅させるように脚本を組むのであれば、白い少女は「メルの妹」である必要があります。そして、メルは白い少女を愛しましたし、白い少女もメルを愛しました。実はこの関係、過去においてネリーが病気で倒れていなければ有り得たかもしれない未来なんです。過去においてメルは貴族の後継ではなく、そこから放逐された青年です。彼がああいう性格の人間だからこそ、後継になれなかったのに、この呪いが効果を及ぼしている世界では、後継として確定しています。これはあくまで時代的なものもあるかもしれませんが、このこともまず歪んでいます。メルから「廃嫡された青年」という要素を奪い、ネリーからは「病弱の少女」という要素を奪っています。
話がややそれましたが、つまるところメルと白い少女の恋愛は、有り得たかもしれない「メルとネリーの恋愛」なのです。もしもの可能性では、互いに自分たちが禁断の恋をしているという自覚があるでしょうが、呪いが効果を発揮している館の中では、それが最悪のタイミングで露呈します。
過去において、メルの「最愛の存在」は「妹」でした。そして、1章でもメル自身は気づいていませんが、傍らに「最愛の妹」がいるのです。かつての人生において、メルに「妹」は一人しかいません。これにより、ネリーはメルの「最愛の妹」というアイデンティティをすべて奪われたのです。 本来はネリーがいた場所に、白い少女が代わりにいるという状況は、ネリーには耐えられるものではないでしょうし、だからこそメルもネリーに手を上げたのでしょう。あの瞬間のネリーは、メルにとって「最愛の妹を害する女」へ認識を変えられておいたのですから。
これが1章における館の呪いであると思います。
しかし、この結末、この後にメルは神父の道を進むも7年後に投身自殺するのですが、ネリーの方は心を壊したまま18歳の若い花盛りで病死します。
なんで、モルガーナに恨まれてるメルより、ネリーのほうが酷いことになってるんでしょうか? モルガーナさん呪いの配分間違えてません?
それと、この章の白い少女がメルを愛したのは、まずメルを破滅させるには「愛される妹」になる必要があるという設定のためだと思います。白い少女のオリジナルであるモルガーナは、メルに対して心を開いていましたが、恋愛感情までは抱いていませんでしたので、モルガーナの秘めたる願望という線はありません。言うなれば1章の白い少女は、「生き別れになって16歳でメルと再会したネリー」であったと言えます。そりゃ恋におちますよ。
2章
実は、呪いの脚本がほとんど存在しないのが2章です。白い少女の登場のために、人々の記憶の改ざんまでしていた1章と異なり、凝ったシナリオはほとんどありません。
今回の呪いの対象である東男は、放っておけば勝手に殺人衝動で暴れる男ですから、文字通り好きにさせればいつかは勝手に死ぬでしょう。しかしそれでは呪いにならないので、東男のもうひとつの「平穏に生きたい」という方を用いて破滅へと導くのが2章。
唐突ですが、この東洋の男というキャラ設定になんかデシャヴを感じると思ったら、ジョジョの奇妙な冒険の4章の悪役「吉良吉影」と同じなんですよね。殺人は止められないけど平穏に生きたいとかぬかす外道。「会田幸正は静かに暮らしたい」ってか。テメーはオラオラされたあとに救急車に頭潰されて死んでろ。やれやれだぜ。
脱線しました。まあそんな吉良吉影もどき(もうこれでいいや)を破滅させるために、今回呪い仕掛け人のモルガーナがやったことは、この吉良吉影もどきの気持ちを「殺人」から「平穏」に寄らせている要因であるポーリーンの立ち位置に、白い少女を入れ替えれば完成です。これによってポーリーンは自分の「平穏」を乱す存在に早変わりです。構造的には1章とかわりませんね。本来いるべき人間をその立ち位置からどかし、代わりに自分の分身を入れ替えるという。
この章での白い少女の存在のためには、特に誰かの認識を操作する必要はないので、一番白い少女的には自由に動けた章かもしれません。1章は「ネリーに代わってメルを愛する」という設定の縛りがありましたが、東男(戻しました)過去においてもモルガーナを特別視していたし、時系列が混同しますが白い少女が憧れ模倣しているミシェルも特別視していました。なのでその二大要素も持ち合わせる彼女がそこにいるだけで、あとは勝手に東男のほうで特別扱いします。それ以降は彼女の好きに振舞うことができますから、白い少女としてはもっとも自由に人生を謳歌(?)できたのはこの章ではないかと。
この章では白い少女は盲目ですが、この理由を私は「モルガーナが東男を怖がってるから」だと考察してます。館の描写でもモルガーナは地下倉庫に近づくのを躊躇ったり、過去においては体が震えるほど奴のことを怖がってました。なのでつまるところ
奴の姿と、その凶行を見たくなかったんでしょうね(独断)
そのモルガーナの思いを反映して、白い少女は盲目になったんでしょう(偏見)
そして、この章でもモルガーナの呪いのノーコンっぷりが発揮されます。ポーリーンについては、あれだけ母も知人も、そしてハビ少年も止めたのに行ってしまったには自己責任と言えます。でも、ハビ少年にはなんの恨みもありませんよね!?
なんで過去の因縁も一切関係ない、勇敢な少年がもっとも悲惨な目にあってるんですか? 当の呪いの対象はこれで枷がなくなったぜー、といわんばかりにヒャッハーして楽しんでましたよ!?
流石に二回連続となると、モルガーナに人を呪う才能が皆無であったことが分かるというものです。
ちなみに獣=実はポーリーンの恋人まではすぐには分かりませんでしたが、獣=外国人だなというのはすぐ分かりました。イスラム教徒かな? と思ってましたが日本人というのは予想出来なかったですね。でもポーリーンの回想が挟まれる回数が増えたことで、あ、奴の正体分かった、ってなりました。
3章
FDをやったあとだと、特にいろんな要素がごっちゃごちゃになって、話として成立していないのがこの3章です。初プレイ時には私が唯一途中でスキップしたのもこの3章です。
いやだって、ヤコポと奥様のあのすれ違いは、どう頑張っても「ありえない」ことでしたから。何らかの外的要因が働いてるのが見え見えで、もう悲劇を通り越して喜劇になってましたよアレ。「神の見えざる手」が露骨すぎて、陳腐に過ぎる、の一言。
そして最終章及びFDの過去編見た後だと、言えることはひとつ、「誰だよこいつら」。
というのも、1章2章はそれぞれメル、ネリー、ポーリーン、東男の人格の再生は完璧で、ポーリーン以外の3人に、言うなればそれぞれ認識違いを起こさせることで、事態をこじらせたわけですが、ヤコポとマリーアについては人格の再生の部分から頓挫してます。
なぜなら、本来モルガーナが呪いたかった「領主」はヤコポではなく、バルニエだったからです。でも呪われてるのはヤコポなので、人格が再生されるのはヤコポ。にも関わらず「バルニエ」に対する呪いが掛けられてるので、3章のヤコポはバルニエの行動を模倣することを強いられています。
その最たる例が、白奥様の髪を掴んで怒鳴り散らし、殺すぞと脅すシーンです。これは過去にモルガーナがバルニエに神の教えを説いた際に返ってきた行動なのです。ヤコポという男は短気なところはありますが、間違っても女性に、しかも愛する対象に対してそうした行動を取れる男ではありません。にも関わらずバルニエの行動を模倣させられるという悲哀。(しかも舞台裏でさんざんネタにされる不遇っぷり)
言うなれば、あの墓地で少女モルガーナがヤコポを怒らせたからと言って、モルガーナの髪を掴んで怒鳴り散らしますか? するわけないです。
マリーアについても同様で、3章のマリーアは友人の振りをしながらヤコポの信用を得て、そして裏切りヤコポを殺してその地位を奪おうとするも、返り討ちにあい殺されます。
呪いの効果が「再生」であるならば、マリーアについては最も人格がかけ離れています。公式設定資料では「直情的なところがあるので、状況次第ではああなる」と書かれていますが、FDをやったあとだと、マリーアがああした行動を取るとは思えせん。どちらかといえば白奥様に辛く当たるヤコポを、自分の復讐はともかくまずは正面から妻に対する横暴を詰る、というタイプのサバサバした人物です。家族を大事にするし、なにより実は荒事は嫌いで、現状維持を重視する性格なんです。
だというのに、なぜ3章ではああも性格が違うのか? それはヤコポ同様に、別人の要素が混入してるからです。
過去において、ヤコポに立場に嫉妬し、まだ友人である振りをして、ヤコポを騙し殺そうとし、返り討ちにあった人物がいます。それがかつてはヤコポの仲間であった、腕自慢のグラシアンという男です。彼はモルガーナに対してはこれといった感情は抱いていなかったので、彼であればモルガーナの分身である白奥様に無体な仕打ちをすることに、一切抵抗感はなかったことでしょう。
つまるところ、3章のマリーアの行動の大部分はグラシアンの行動の模倣・再生であるのです。マリーアらしい箇所といえば、「ヤコポの幼馴染」という設定くらいでしょうか。
いや、ヤコポが『館』にくるまでは、前世のマリーアの性格だったのでしょう。しかし、『館』に入って、呪いの象徴である白奥様が登場してからは、ヤコポにバルニエが、マリーアにグラシアンが混ざっている。
そして、今回の白い少女であるところの白奥様もまたごっちゃになってます。今回の彼女の立ち位置は「ヤコポの妻」です。過去において、この立ち位置にいた人物は、モルガーナ本人です。もちろん過去においてはヤコポとモルガーナは結婚してませんでしたが、あの最悪のタイミングが重なることがなければ、そういう可能性もありました。1章の白い少女が「有り得たかもしれないネリーの立ち位置」にいたように、3章では「有り得たかもしれないモルガーナの立ち位置」にいるんですよね。
これは、少女モルガーナが秘めていた願望を、分身である白い少女が反映した形なのでしょう。現在呪いを掛けてるモルガーナはヤコポを領主と混同してますが、同一でありながらも別視点を持つことができる白い少女には、ヤコポがかつてモルガーナが想いを寄せていた人物だと、漠然としてかもしれないけれど気づいたのだと思います。故にモルガーナの分身である自身を、ヤコポの妻という立場に置いた。
……なのですが、ここで白奥様は浮気(?)をします。いえ、作中のマリシアンというべきマリーアが言った嘘八百ではなく、その行動そのものがある種の浮気(?)になります。
幽閉された環境で、かつての優しい光景を夢見ながら、返事がくるはずもない手紙を出し続ける…… この行動って、モルガーナじゃなくてミシェルの模倣ですよね? ミシェルが兄2人に対して行っていた行動ですよね? しかしそう考えると、白奥様が半年で壊れた状況を、ミシェルは10年も耐えたのか……
と言うわけで、白奥様はモルガーナの立ち位置にいながら、ミシェルの行動を模倣していたわけです。まあミシェルは白い少女にとっての憧れですからねぇ。
こうなると、3章のカオスっぷりがわかりますね。
自分自身として再生しているのに、他人であるバルニエの行為を模倣させられているヤコポ。
同じく、グラシアンの行為を模倣させられているマリーア。
モルガーナの立ち位置にいるのに、ミシェルの模倣をしている白奥様。
誰ひとり本人がいませんね。前2章では、多少歪められてもメルはメル、ネリーはネリー、ポーリーンはポーリーン、ユキマサはユキマサという具合だったのに、3章は本当にしっちゃかめっちゃか。だから物語の流れが強引で、まるでパッチワークのようにツギハギの物語。
しかし、最終章まで読み終わると、なぜ3章がこうも不出来なのかが分かります。要は、呪いを掛けてるモルガーナがヤコポとバルニエを混同したままなのだから、呪いの効果が不完全で意味不明なものになるのは当然と言えます。
バルニエは領主という立場を何より重視してましたが、ヤコポにとってそれは必要であるが、好きになれない荷物でしかなかったのです。彼がそれに固執したのは「これを失くしたら、自分は何のためにかつての仲間を、罪のない者たちを殺してきたんだ? あの犠牲を無駄にしていいのか?」という責任感からです。本当に真面目な男なんですよねヤコポは…… その彼がなぜあんな目にあうのか…… この世界の神の性根は腐ってますね。
呪いの対象という根本段階で間違ってるんだから始末に負えません。
メルという男を破滅させるには、ネリーがいれば十分です。吉良もといユキマサを破滅させるには同じくポーリーンがいれば十分。しかし、ヤコポという男を語るには、様々な人間が関わってきます。
モルガーナ、マリーア、グラシアン、ジュレン、バルニエ、オディロンといった具合に深く関わった人間だけでも6人いる上、さらに貧民街の仲間や娼婦たちまで加えると大変な数に登ります。当然でしょう、前2人と異なり、彼は革命を成し遂げた英雄なのだから。その内面を破滅させるのに、16歳の少女の人生では到底予想できないものが多すぎます。
故に3章はヤコポの人生を単純化させざるを得ず、その上、バルニエの要素を加えていったがために縁者であるマリーアもグラシアンの要素が混ざり、分身である白奥様にはミシェル成分が濃くなる始末。
ヤコポという人物を「再生」させたのならば、白奥様を幽閉するのは、マリーアの裏切りを受けてヤコポの精神が疲弊した硬化した後のはずですが、バルニエの要素が混じっているために、実にヤコポらしくない行動をとり、幽閉したあとは過去の再現で期限を決めてその日になったら解放するという訳わかんない状態に。始まりはバルニエで終わりはヤコポになっている。
その上、メルとユキマサは舞台装置である白い少女の退場が、呪いの成就であるという具合に2人とも破滅し命を落としていますが、ヤコポだけはその後もメイド長(ジゼル)と僅かながら心を通わすなど、物語が続いています。これもやはり「バリニエに掛けた呪い」が成就しても、それが=ヤコポの決定的な破滅、にはならかなったからでしょう。
そんな3章なので、初見では展開がもはやギャグになっている。しかしすべて終わってから見直すと伏線というか、解釈が膨らみ面白い話。
4章
身も蓋もない言い方をズバっとしてしまうと、「モルガーナのドキドキ☆妄想日記」となります。
厳密には日記ではなく創作ですが、4章も3章と同様、モルガーナの隠れた願望が露呈されている章です。3章では対象がヤコポでしたが、4章ではミシェルを対象にした妄想物語です。モルガーナ的にはオリジナルジゼルを騙すための嘘として作ったようですが、改めて見直すとすべてがモルガーナからミシェルへの親愛の情で彩られています。
また脱線しますが、モルガーナは2人の人物に特別な感情を抱いています(少なくとも私はそう思っています)。一人はヤコポ、抱く感情は恋慕。もうひとりはミシェル、抱く感情は親愛。モルガーナがミシェルと出会ったのは、すでに自らの聖女性を切り離して魔女になったあとですので、自分が自分で思っているよりずっと深くミシェルに対して親愛の情を抱いていることに気づいてなかったようです。
ですが、白い少女と再統合し、かつての「少女モルガーナ」に戻った後ならば認識できていました。メタ時空である舞台裏ではそれが顕著ですね。そして、そうして自己を取り戻した彼女がこの4章を見直すとどう思うことやら……
内容的には、5章のジゼルとミシェルの邂逅から別離までの出来事を、お伽噺にしたものです。面白い点は、白い少女の行動や独白が、モルガーナ本人のもの(無自覚)だからです。
白ジゼルがミシェルの側にいたがったのは、オリジナルのジゼルがそうしたからではなく、モルガーナがそうしたかったから。オリジナルジゼルは、当初あの館に来たかったわけでも住みたかったわけでもありません。ミシェルへの対応もある種自分本位な点があり、ミシェルの状況を慮ったものではありませんでした。
ですが、白ジゼルは初めからミシェルのことを思いやって行動していました。これはモルガーナが「自分なら彼にこう接する」という願望と理想が反映された結果です。
自分があの白い少女で、ジゼルのようにミシェルと出会っていたら…… という仮定から綴られた御伽噺……
「あなたと共に生きたいし、あなたを必要としたい。孤独は嫌です」
「きっとあなたは、わたしと同じだと思います」
「わたしは、あなたのことがとても好きなのだと思います」
「魔女はきっと寂しくて孤独なのでしょう」
「あなたに触れ合うことは出来なくても、そうすることが出来る夢をみていたい」
これは4章の白ジゼルのセリフですが、やはりモルガーナの思いが強く込められています。ミシェルは、あの館で朽ちた白骨となったモルガーナを抱き、憐憫の情を持って接してました。そして彼の神性である「魂の同調」により、館に浮遊する霊でしかなかったモルガーナを再生させたのです。その後霊体としての形を得たモルガーナは、いつもミシェルに話しかけます。しかし長期間の幽閉で精神に余裕もなく、自身に本当に神性が宿っているなど考えもつかないミシェルはモルガーナを否定します。この時のモルガーナは「魔女」ですので、ミシェルにも復讐と呪いをするのだと唆しますが、「魔女」であった時でもやはりミシェルに強い共感を覚えていました。しかし霊体であるモルガーナは、当時はまだ肉体を持って生きていたミシェルと触れ合うことは出来ない。
そうしたモルガーナの思いを、白ジゼルにやらせるとああいう形となった、というわけですね。
モルガーナの、自分と同種の存在であるミシェルへの親愛の情、自分を理解して欲しい、共感してほしいという思い。
白ジゼルへのミシェルへの思いと言葉は、そのままモルガーナからミシェルへの思いです。白い少女は、モルガーナの隠れた願望を形にする存在としても機能していますね。そしてだからこそ、白ジゼルからのミシェルへの言葉には一切の嘘がない。
(だってひとりは寂しいから……
ひとりぼっちで生きて、ひとりぼっちで死んでいくのは寂しいから……
誰にも見てもらえずに、誰にも知られずに死んでいくのは寂しいから。
せめて誰かが―― ここにいるよ、と、傍にいるよ、と言ってくれたら
傍にいて、手を繋いでくれていたら…… それはどんなに幸福なことだろう。
たとえ、長い時を、痛みと共に過ごしたとしても――
すべてを許し、すべてを受け入れられるほどの…… おだやかな気持ちに、なれるのだろう)
これも白ジゼルの独白ですが、モルガーナの過去を反映した、本当の気持ちの吐露ですね。あの時にミシェルが傍にいてくれたら…… きっと自分は呪いの魔女になっていなかった、という思慕の念なのでしょう。最終章のミシェルとモルガーナの邂逅ははこの願望が形となったものと見れます。
最終章においても、モルガーナは同じ心情をミシェルに語っています。
(貴方なら出来たんでしょう……?
だったら貴方が… 私を理解してよ…
私が生きやすいように、共感してよ…)
御伽噺である4章ですが白ジゼル(モルガーナ)がミシェルへ向ける想いだけは真実であるというのが、この章の面白いところです。
ノベルゲームという媒体を活かした、バックログ中に本当のモルガーナとミシェルの対話を隠し入れる、バックログの文章がぼやけてる、などのギミックが光るのもこの章です。初めて見たときは本当に驚きました。
5章~女中の物語
5章からようやくこの物語の主人公のミシェルの登場です。これまで自己を失い、望洋とした存在でしかなかったミシェルが4章を見たことにより自己を取り戻し、本物のジゼルである館の女中に、ミシェル同様に、本来の自分を取り戻させるために本当の過去を思い起こす流れとなります。
もっとも淡々と「事実」を語るのがこの5章であり、文量的にも1~4章の2倍以上あるのではないでしょうか。館の女中の正体であったジゼルという女性の主観と、館に幽閉されているミシェルの主観が交互になって話が進んでいきます。
ジゼルの人生は、なんというか一度つまづいてからの転落っぷりがすごいですね。まさに坂を転げ落ちるが如し。彼女に自分の肉体を武器にして貴族の主に取り入り、財産を奪おうという野心があれば別の物語が始まっていたのでしょうが、幸か不幸か、彼女にそうした才能はなかったようです。エメの1/10でも他者を蹴落としてでも自分の利を優先することが出来れば彼女も不幸も回避できたでしょうが、そうなってたらモルガーナとミシェルが救われませんね。
前半では紆余曲折を経てミシェルとジゼルの心が通じるまでを書き、後半ではその気持ちが愛情へと至るまでが描かれます。このあたりもミシェルの主観とジゼルの主観が織り合わさって、非常に感情表現豊かな章となっております。
それぞれ明るさを取り戻すミシェルとジゼル。特にミシェルは10年もの幽閉期間で閉じていた心が徐々に戻り、彼本来の「善」の気質がよみがえって生きます。それまでは厭世的で無感情な印象でしたが、ここで大きくミシェルの印象は変わってきます。
しかしあまり長々と書くのもアレなので、大まかな流れをざっと書くと
ミシェルとの出会い→一旦の別れ→再会→仲直り→告白→襲撃→別離
こうなります。最終的にミシェルは館にやって来た騎士たちに殺され、ジゼルはモルガーナに助けられますが、所謂悪魔との契約によって死のない身体、いうなれば青褪めた死人の身体のまま、館があるかぎり存在するものと成り果てます。平たく言えば館との同化なんでしょうか。ジゼルは次第に膨大な時間に耐えられなくなり、自己を見失いかけますが、それでもいつかミシェルが再びやってくることを夢見て待ち続けます。健気です。
ここからは「女中の物語」。ジゼルがいかにして、常に優雅な笑みを浮かべる不気味な「女中」に変貌して言ったかが語られます。
たった一人で姿のない魔女の声を聞きながら過ごすジゼルは、次第に精神をすり減らして、自分が「ジゼル」という人間であったことすら曖昧になったいきます。
そうして呪いの第一部であるところの1章の時代になり、時の狭間に揺蕩っていた館が現世に出現し、ヘイデン・ローズという老人が館を購入して、美しい外見へと改造させていきます。ジゼルもまた、このヘイデンによって女中としての作法や礼儀を教わり、さらには生きていくための処世術まで伝授されます。このお爺さんは作中随一の癒し。
ヘイデンが教えたことは、心が耐え切れないほど辛いことがあるのなら、強力な「殻」を自己の中に作り、本当の自分はその内側に隠しておくというもの。ジゼルにとっては『礼儀正しく作法も完璧な館の女中』がそれに該当します。しかし、ヘイデンが存命中はその『殻』にこもることはなく、ジゼルとしての自然体のままでいられました。
このヘイデンという老人、この作品に珍しい「大人」の人物です。この作品の登場人物は、みな人間らしい弱さを持っていますが、このヘイデン老人からは、その弱さすらも人生の積み重ねにより達観した、人間としての「重み」を感じさせるキャラです。この人がミシェルの父親だったら全然違う話になっていたんだろうなと思わないではいられません。
しかしそんなヘイデン翁も、相続権か財産かに心を奪われた息子によって毒殺されます。だがヘイデン翁は今際の際に、ジゼルへ「自分は美しい女の下で腹上死したと伝えてくれ」といって笑って死んで行きました。
FDのオディロンといい、どうしてこの作品のお爺さんは素晴らしいキャラなのに、すぐ死んでしまうんだ……
ジゼルが「完璧な女中」という『殻』に籠り始めたのも、ヘイデンが死んでからです。しかし、そこへかの白い髪の少女が自身を「ミシェル」と名乗り現れます。
この時ジゼルは、時の狭間で過ごした自己が希薄になるほどの時間のため、ミシェルの姿をもう朧げにしか思い出せない状態でした。彼女が覚えていたのは「雪のように白い髪と肌で、宝石のような赤い瞳をした美しい人」という特徴と、「ミシェル」という名前のみ。そして現れた少女はその特徴に一致していました。
故にジゼルは彼女を自分が待ち望んでいた「ミシェル」だと思い、彼女に自分との思い出を取り戻して欲しいと願いますが、その願いは叶いません。その後時代を超えて3度白い娘は現れますが、ジゼルの願いはその都度叶えられず、とうとう彼女は完全に『完璧な女中』という『殻』を自分自身だと思い込み。『ジゼル』という本当の自分のことを忘れてしまい、モルガーナの声によって自分こそが「魔女モルガーナ」で、ミシェルとジゼルというのは、自分が好きな物語の登場人物だと思うようになりました。
そして、物語は冒頭へとなるわけです。完全に自己を見失ったジゼルと、同じく自己を見失ったミシェルが時の狭間に揺蕩う館で再会するところからゲームは開始されます。
なんかダイジェスト的になりました。まあ5章は特に考察する点はないので、あらすじ的になってしまいます。しかし、黒幕チックな「館の女中」が作品のヒロインであったというのは、中々に珍しい、同人作品ならではのギミックではないでしょうか。
1~4章でミシェルが自己を取り戻し、5章でジゼルが自己を取り戻す。8章中5章が終わった段階でようやく主人公とヒロインが揃うなんて、なかなか出来ませんよね。だからこそこの作品は面白いのですが。
少し脱線しますが、第一回人気投票のおまけSSにおいては、ヤコポ主観と館の女中(ジゼル)主観の物語が語られており、これがなかなか興味深い。もしもミシェルがジゼルを取り戻すことが出来なかったらどうなっていたか、というIFが語られます。
本編の5章後の「女中の物語」においても、老いたヤコポは女中に「妻の名前は本当に”ミシェル”だったのか?」と問い、おまけSSにおいて女中が「わたしくの名前は”モルガーナ”でございます」と言ったとき、ヤコポは反射的に「違う! それは君の名前ではない」と否定します。そんな彼とのやりとりのなかで、女中はヤコポの人間性を見出します。ヤコポという男の本当の気質、その不器用さなどを彼女なりに理解します。
そしてミシェルがジゼルを取り戻せずに館を去り、現世で白い少女と生きるようになっていった(ミシェルと白い少女が現実で出会うのはこのBADENDだけです)後、、呪いの館では時間がたち、モルガーナは再び3人の男を現世に送り、再び破滅するよう呪いをかけようとしたのですが、メルと東洋はあっさり現世に戻りますが、ヤコポだけはここで「モルガーナの手」で罰を受けることを望みます。
そんな、モルガーナが知る「領主像」とかけ離れたことをするヤコポに対し、彼女は混乱に陥りながらも彼の腕を切り、体中を傷つけますが、復讐しているのに一向に心は晴れず、不安と混乱ばかりが募っていきます。このときのヤコポは魂の影であるため姿がはっきりせず、またモルガーナ自身が目の前の相手を「領主バルニエ」だと思い込んでいるため、それがかつて自分を救ってくれた青年「ヤコポ」だと気づけません。
そして、混乱と不安に耐え切れなくなったモルガーナはヤコポを殺します。ヤコポはそれを喜んで受け入れますが、モルガーナの心はかえって言いようのない焦燥感にかられます。自分はなにかとんでもない間違いをしてしまったのでは、と。
そこへジゼルが現れ、「貴女が殺した人は、本当に貴女が憎んでいた「領主」だたのでしょうか?」と問います。ジゼルはこのとき、自分がジゼルという名前を忘れた女中であるように振る舞い、モルガーナを欺いていました。そして彼女を誘導し、ヤコポを殺させたのです。「貴女にも全てを失ってもらいたくて」という言葉とともに。
ミシェルはジゼルがいないとダメだ、というライターの発言を見たことがありますが、それはジゼルにもいえますね。ミシェルがいないジゼルは、周囲の自らの絶望を伝播させる「虚無の魔女」となり、「呪いの魔女」であるモルガーナより性質の悪い存在となってしまいました。
元々の善性が強い分、それが堕天すると、下手な悪党よりもずっと厄介な存在となります。モルガーナといい、ジゼルといい。そして作中でもっとも善性の強いミシェルが堕天したらどうなることやら…… ミカエルの堕天ですから、悪魔王になること請け合い。
6章
6章は一転してモルガーナのターン。この章ではモルガーナの悲惨な人生が綴られます。
これまで散々ミシェルとジゼルの心を甚振るような言葉を囁き続けてきた魔女。しかし、それはあくまで「聖女性」、すなわち人の心の「善性」を切り離した「魔女モルガーナ」と成り果てたからこそ出来たこと。
8章以前のモルガーナの言動が意地悪いものばかりなのは、「善性」が失われているためです。だから台詞欄でも「魔女モルガーナ」と「モルガーナ」で別れています。
では、生前の彼女はいったいどういう人間だったのか? なぜ魔女として呪いの館にたゆたうモノとなったのか? それが明らかになる章です。
聖女として生まれ崇められた幼少期。母に売られ領主の館で虐待を受けていた時期。ヤコポに助けられ人間的な生活を送っていた3年間。そして孤独に隠者のごとく生きていた4年間。そして非業の最期、というのが語られます。
ここについてはFD(Another Storly)の方をプレイしたほうがより感動できます。5章のようにダイジェスト解説しても仕方ないので、また色々考察などをしようかと。
モルガーナの人生を語る上で欠かせないのが、その「血」と「声」であり「神性」です。彼女は自らの「神性」は「血」に宿ってると生前は思っていましたが、実は「声」であることが後に分かります。
彼女の声は、かの有名なSFの原典とも言える「指輪物語」の「白の賢者サルマン」が持っていた「支配の声」と良く似ています。何気ない一言にも彼女の声には万人を惹きつける魔性、いや聖性を帯びていますが、特に彼女が意識して語った言葉には常人では抗えないほどの「力」が込められます。
ですが、やはり私は「血」にも「神性」が宿っていたように思います。厳密に言えば彼女がその神聖を帯びた声で「この血は全てを癒す」と言った瞬間、その血もまた聖性を帯びていたのだと。
そしてその聖血の効力は、いかにモルガーナの「声」を信じていたかで効果が上下するであろうことも伺えます。彼女の言葉を信じきっていた老婆は全快し、逆にまったく信じていなかったバルニエたちには効果が薄い。モルガーナのモノローグでは「特別なことではく、偶然が重なっただけかもしれない」と言っていましたが、呪いの館が確固として存在し、ジゼルが不死の肉体になったことを見ても、不可思議な力が存在する世界観ですので、間違いなく『聖なる力』は存在したのでしょう。
しかし、それが却って彼女を苦しめることになります。「聖女」ということにアイデンティティを持ったモルガーナは、自己に厳しく「聖女らしくない行動はしない」と律します。それは幼少のころからそうでした。
その悲劇に最たる例は、顔の痣です。彼女は幼い少女が受けるにはあまりにも非道な行いを受け続けたことにより、精神の箍が緩み、終に血の晩餐を行う領主たちを呪う言葉を吐き出しました。
「つみぶかき者どもに…… 父よ…… 天罰をおあたえください……」
この言葉を発しながら、モルガーナは同時に「聖女でありながらこんなことを口にする、自分こそがもっとも罪深い」と思っていました。その結果は―ー
――彼女が最も罪深い者としたモルガーナ自身に、天罰が下されたのです。
モルガーナの持つ「神性」を最も信じていたのは、他ならぬ彼女自身です。それ故に、彼女自身に作用したその結果は、これまでのどの「奇跡」よりも強力なものとして発現しました。
しかし皮肉なことに、顔が醜く爛れたものとなったがために、彼女を「女」としてみる者がほぼいなくなり、「聖女」にとって最も重要な「処女性」が失われることがなくなっという事実があります。
まるで、モルガーナに「神性」を与えた神が『決してお前から処女性が失われないよう、私が聖痕を刻んでやったぞ』といわんばかりの仕打ちです。この世界の神は性根が腐っているに違いない。
この顔の変貌により、モルガーナは「普通の女」として生きる道を踏み出すことに躊躇し、かといって魔女のように醜い顔ではかつてのように「聖女」として振舞うことにも出来なくなってる。
与えられた「神性」に振り回された人生です。それでもモルガーナはその「神性」を拠り所にして生きて行きますが、その全てが裏切られ、ついには自らの「聖女性」、「善性」を切り捨てて自らを害した者を呪う魔女と成り果てます。
ちなみに、モルガーナの顔の変貌を「精神的な症状」だったのではないか、作中でありましたが、確かに神経性のアレルギー症状で肌が荒れることはあります。しかし、それは蕁麻疹やあかい発疹のようなものが出るものであり、モルガーナのような強酸を被ったようなものではありません、
また、FDのほうでその変貌の様子がありましたが、まさに一瞬でなりました。あれはまさしく「神性」の強力な発現であったのでしょう。
聖女として周囲の定義され、自身もまたそう律して生きていこうとしたモルガーナは、誰にも理解されず、看取られず、痛苦と孤独と絶望のうちに死にました。
これが、6章のモルガーナの物語で、これを聞いたミシェルの方にも異常が起こっていました。モルガーナの経験を追体験するように全身が傷つき、顔が爛れ、左腕がなくなったのです。
ミシェル以外の人間が魔女モルガーナと対峙したことがないので検証はできませんが、これはミシェルにのみ起こる現象であることが後々わかります。
そしてモルガーナが受けた痛みを全て受け取りながらも、ジゼルを館から開放するために終にモルガーナのもとまでたどり着いたミシェルは、自身の過去と対峙することを強いられます。それこそが最も救いのない章である7章です。
7章
ここで語られるのはミシェルの過去。6章最後にプレイヤーにとってはまさかの事実が告げられます。
ミシェルは男ではなく、女だった。というものです。正確には「男でも女でもない」という医学的にいえば「性分化疾患」と呼ばれる存在であったとが示されます。
彼は、生まれたときは間違いなく「彼女」でした。男性器はなく、14歳になるまでは肉体的に男性らしい兆候が一切なかったのです。しかし、14歳の出来事をきっかけに、彼女は彼に文字通りの変身をしていきます。
わずか半年で、それまで成長不良で12歳ほどに見られていたミシェルは、頭ひとつ以上身長が伸び、体格も男性のものとなります。これによって、ジェンダー、すなわち精神的な性別は生まれたときから男であったミシェルは喜びましたが、それは不完全なものだった。
母に溺愛され超がつくほどの箱入りだったミシェルは、なんと男性と女性の一番の違いである生殖器のことを知らなかったのです。使用人の男性器を見て初めて、自分が「男」になれなかったことを知ります。彼の性器は未だに女性器のままだったのです。
ここで、医学的にミシェルの体がどういうものかを調べてみると、候補は以下の3つになりました。出産時は女性として生まれたが、途中で男性のようになる症状は以下のとおりです。
・完全型アンドロゲン不応症
・不完全型アンドロゲン不応症
・5α還元酵素欠損症
アンドロゲン不応症の場合は、アンドロゲンすなわち男性ホルモンを分泌しているものの、それを作用させる受容体が欠いているために、必要な男性ホルモン量に届かない症状です。これが完全型で、一切男性ホルモンの受容体が機能しない場合と、一部機能しない場合に分かれますが、割合は圧倒的に完全型のほうが多いようです。完全型のジェンダーは女性であり、不完全型でも女性の精神を持つほうが多いようです。
5α還元酵素欠損症の場合は、胎内で男性器が形成されなかった男児であり、二次性徴によって完全に男性型になる症状です。この場合は6割がジェンダーは男性のようです。
ミシェルの場合は、症状だけ見ると5α還元酵素欠損症のように見えますが、この症状の場合は人口が60億超えた現在でもそもそも例が少なく、かつ出産の段階で性器が女性か男性か判別できない状態が多いようです。そして、2次性徴を迎えるころには、未発達ながら男性器も形成されるのです。男性器が形成されなかったミシェルは、この症状とは合致しません。ミシェルの症状は「陰核肥大」であったので、「陰茎形成」は起こらなかったのです。
逆に「陰核肥大」が起こるのが不完全アンドロゲン不応症です、こちらはいうなれば「女性としては多い量の男性ホルモンが生成されている」ためです。しかし、アンドロゲン不応症の場合は、完全型の場合は肉体的には完全に女性となり、不完全型だと「背が高く、胸は小さい女性」と見られるような体格になります。
つまり、どちらの症状もミシェルのようにはならないということです、5α還元酵素欠損症であるのに2次性徴で男性器が形成されていない。または不完全アンドロゲン不応症なのに体格が男性過ぎる、という具合に。
もちろん、人間の体はなにが起こるかわかりませんから、実際にミシェルのような肉体の方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ミシェルにはもうひとつの特徴があります。
すなわち、先天性色素欠乏症、アルビノであるという点です。
ホルモンバランスが先天的に崩れている上に、アルビノであるがゆえに日光からビタミンDを作れないのがミシェルの肉体です。そこへ、中世の欧州という時代環境が追加されます。
中世、それもルネサンス以前の前中世といわれる時代は、古代ローマと比較して「悲惨」の一言でした。衛生環境、栄養環境が劣悪で、科学的に人骨を調査したところ、骨密度が現代人の2/3
以下だったようです。慎重も160cm前後が平均であったとも言われています。
ビタミンDがないと、肉体は骨を作り、内臓を整える機能が低下します。ゆえに、これが不足すると2次性徴時に満足な肉体形成が出来ないのです。医療科学が発達する前のアルビノに、体が弱い人が多かったのはそのためです。アルビノは骨軟化症、骨粗しょう症になりやすい先天疾患なのです。
アルビノにも程度がありますが、ミシェルのそれは肌も髪も白く、瞳が赤いアルビノです。これはアルビノとしては最も重い症状になります。
さて、話を統合しますと、ミシェルは性分化疾患とアルビノを併発しているのです。その上貴族とはいえ栄養環境の悪い中世、まともな肉体形成が出来るはずもありません。
例え5α還元酵素欠損症で肉体が完璧に男性化したとしても、180cmの身長になることはあり得ないでしょう。元々ミシェルは14歳になるというのに、もっと幼く見られていた発育不良な子供でした。中世のアルビノという事実ということを考えれば、妥当といえます。
では、ミシェルの肉体の変貌はなんなのか? 科学的には説明つかないこの症状を、先のモルガーナの例を引き合いにすれば考察できます。
すなわち、それこそがミシェルの持つ「神性」である「魂の同調」の発現である、と。
モルガーナの「神性」は「支配の声」でしたが、ミシェルが持つのは「魂の同調」でありそれがために彼はモルガーナの痛みを自身の肉体でも発露させていたのです。この能力が発揮されていたのはもっぱら死後ですが、生前も間違いなく有していました。
おそらく、自らのこの「神性」にミシェルが生前気づいていたら、サイコメトラーや心を読むなどの能力になり、「聖人」として崇められるようになったでしょう。
しかし、彼、いえ彼女であったミシェルは死ぬまで無自覚でした。死後モルガーナと語り合い、初めて自身の「神性」を認めたのです。
では、どのような形で「魂の同調」が肉体の変異となったのか? それはミシェルが無自覚に深く深く同調した相手が、「逞しい男性」だったからです。
ミシェルには2人の兄がいます、騎士である長兄ディディエに、画家である次兄ジョルジュ。ミシェルはこの長兄ディディエに、深く深く傾倒しています。騎士物語や英雄物語を好み、逞しい肉体に憧れる。ミシェルの目は常に長兄ディディエを捉えていました。
父は常とは違う形で生まれた子を本能的に遠ざけ、母は逆に盲目的に「天使のような娘」または「理想の娘」という色眼鏡でミシェルを見ていました。そのため、本当に真摯に「ミシェル」という存在を見ていたのは、長兄ディディエだったのです。彼がもっとも純粋にミシェルへ愛情を注いでいました。
自分を深く愛してくれる長兄に、まだ精神構造が幼かったミシェルは全幅の信頼を持ちました。それは普通の子供であればなんら問題なかったことですが、ミシェルは普通ではなかった。ここで彼女の「神性」である「魂の同調」が発現したのです。
逞しい男性であるディディエに同調した幼いミシェルは、男性としてのジェンダーを確立し、女性として育てられることに違和感を覚えていきます。ですが、ミシェルのディディエへの対応は「兄と弟」というより、やはり「兄と妹」という印象が強いです。同調先であるディディエの前では、素の自分、すなわち「妹」である部分が強く出て行くのだと思います。普通男兄弟は、次兄のジョルジュが言うように張り合うものですが、ミシェルがディディエに向ける感情は、無条件の信頼と憧憬でした。
このときのミシェルは、モルガーナがヤコポとともに過ごした日々に「聖女」か「普通の女性」かを選ぶことができたように、ミシェルも「男性」か「女性」かを選べる時期であったのだと思います。
しかし、モルガーナと同様に、その選択を自身で決めないうちに、強制的に決められてしまう日が来てしまいました。それが、「ディディエとエメが逢引してる瞬間を目撃する」というイベントです。
ミシェルがエメのことを好きになったというのも、ディディエと同調してることが要因だと考えられます。エメに惹かれたディディエと魂でつながっていることにより、その影響がミシェルにもあらわれたのだと。
14歳の時点で男性のジェンダーを確立していたミシェルは、しかし自分の理想とはかけ離れた華奢な肢体に絶望し、「女性の肉体の否定」をし、その後見たディディエとエメの逢引の目撃によって、もっとも信じていた長兄に裏切られた、つまり理想が壊れて、魂の同調が途切れたのです。
弱い女性の肉体は嫌だ、しかし、憧れた逞しい男性もまやかしだった、その精神のままに、ミシェルは「男性でも女性でもない体」に変質します。すなわち、ミシェルの持つ「神性」が、ミシェルの魂が望む形へと肉体を変質させた、というものです。
これによって、彼は「天使の体」を手にしました。モルガーナが賛美する天使そのものの体です。天使には性別がなく、絵画などでは男性的な肉体でありながら女性的な雰囲気をもつ姿が描かれています。ミシェルの肉体も、まるで天使のような完成度を持っています。
しかし、そんなことをミシェルは求めていたわけではありません。肉体が完全に男になったのならば、母の反対を振り切って男性として生きていくでしょうし、反対に女性のものになってしまったのであれば、諦めもつき、折り合いをつけることが出来たでしょう。しかし、俗世の男も女も否定したがために、ミシェルが得たのは天使の体。
まるでモルガーナの時のような神の悪戯です。本当に性格悪いですねこの神は。
もしかしたら、ミシェルの兄弟が兄2人ではなく姉2人、いやもっともミシェルに愛情を注いだのが女性だったなら、ミシェルのジェンダーは女性となり、全うに生きていけたかもしれません。その「神性」のためにやはり肉体が不完全だった場合でも、完全型アンドロゲン不応症のような、「妊娠できない女性」の肉体になっていたでしょう。
しかし天使の体を得たミシェルは悪魔として幽閉されることとなりました。父によって殺されるところを兄が助けてくれましたが、その先に待っていたのは幽閉の日々。そこでモルガーナの魂と出会い、再び「神性」を発揮させて彼女の魂と同調したことで、ただの亡霊でしかなかったモルガーナに、現世に干渉できる力を与えました。それこそ、白い少女の魂が形成されるほどの力をミシェルは持っていたのです。
あの呪いの館は、モルガーナ一人では形成できませんでした。モルガーナとミシェルという、「神性」を持つ2人の力が合わされることにより、白い少女が生まれ、館も変質したのです。あの館が魂の集う場所という属性を考えると、あの館の主はモルガーナで会っても、作ったのはミシェルであるといってもいいかもしれません。
生まれ持った「神性」によって人生を振り回された2人。モルガーナは「神性」を肯定することによって「魔女」とされ、ミシェルは否定したために「悪魔」とされた。
肯定と否定が逆だったのならば、どうなったのでしょうか。「聖女」であることをやめ、普通の少女を選んだ段階で、モルガーナの顔は直るのはFDで確かなので、ヤコポと夫婦になって幸せにくらせたのでしょうか。
ミシェルが自分が特異な存在であることを認めれば、モルガーナの顔同様にミシェルの体も元の女性に戻り、ボランジュ家が崩壊することもなかったのでしょうか。
運命というものは皮肉です。ほんとにこの世界の神様の性根はくさってやがりますね。
さて、この7章によってミシェルの特異性が始めて明かされ、そうしてそれをジゼルに受け入れてもらったミシェルは、確固とした自身を形成し、モルガーナを救うことを決意します。過去にどんな可能性があったところで、ミシェルは男性のジェンダーを形成し、その自分を最後まで貫いたのです。そのミシェルをジゼルはすべてあまさず肯定しました。
自己を確固としたミシェルは、今まで目をそらしてきた「モルガーナ」という存在に、その過去を知り、そして「神性」により同調した今となっては、今のままの彼女を放って置けないと決意し動き出します。それが8章です。
8章
すべての答えあわせができるのがこの8章ですので、ネタバレ全開で書いてきたこのレビューでは、もうあまり語ることがありません。
3人の男とその所業、その縁者である女性たちとの関係、ヤコポの正体、白い少女の正体などですね。
しかし、モルガーナを抱きしめ、彼女の魂を救うために、今まで否定してきた自身の特異性を認めてそれを彼女に告げるシーンは、とくに印象的です。
もはや人間として生きていくことは出来ない、求めるのは天使による救いであると告げるモルガーナに対してミシェルは
「……そう、です。私は天使ミカエル…… 貴女の、魂を…… 救済に来た…! ……そのために、この世に、降り立った……!」
と彼女に言います。
先ほどから繰り返しているように、この世界に神がいるとしたら、この言葉こそが正解であるように思えます。
神は悪戯にモルガーナへ「神性」を与えたが、その結果は関る者すべてが破滅し、モルガーナを怨霊とさせただけだった。
それを戻すためにはモルガーナの魂を救済する存在が必要だが、人であることを否定して死んだモルガーナを救えるのは、先天的に人間とは異なる者、即ち「神性」を持つ天使のみ。
ミシェルはモルガーナと同様に「神性」をもち、その肉体は天使のものとなっていた。
ミシェルが少女の、人間の女性のままだったらモルガーナの魂を救済することはできなっかたでしょう。あれは天使となったミシェルだから出来たのです。
そうした意味で、まさにミシェルは「モルガーナを救うために、人間の少女から天使の男性」へと変貌した存在であると言えます。
見方によっては、神の失敗を全部ミシェルに押し付けた形になりますよね。しかし、そんな自身に振り被らされた不幸さえ飲み込んで進めるからこその、「善性」の象徴であるミシェルという存在なのでしょう。「聖女性」という概念体がミシェルに憧れてその体を模倣したのも頷けます。
モルガーナが出来なかった「誰も恨まない」ことを実践したのですから。
しかし人間は欲張りですので、モルガーナがヤコポとシチリア島で平和に暮らせる様子(当時のシチリアは『イスラムの寛容』のなかにあるので、欧州では平和な土地ですし)が見たかったし、ミシェルの肉体が変異せずに、またエメではなくノエミがボランジュ家に嫁ぎ、今度は女同士でミシェルと友人になっていたIFの世界も見たいと思ってしまうもの。
また、8章で面白いところは、ミシェルが「魔女モルガーナ」を白い少女と再統合させて「モルガーナ」に戻した後、モルガーナとは似て非なる「後悔の亡霊」となった長兄ディディエが立ちはだかります。この状態のディディエはすでに正気を失っており、生前自分がもっとも後悔してる事象を繰り返す存在と成り果てています。
その凶刃がミシェルとモルガーナを貫かんとしたときに、2人を庇ったのが絵画となって館に残留していた次兄ジョルジュでした。ジョルジュもまた後悔の念からこの魂の牢獄である館に辿り着き、ミシェルの助けとなっていました。
ここで面白い対比として、モルガーナに深く関わった者たちは彼女の「恨み」によって館に囚われているのに対し、ミシェルに深く関わった兄2人は自らの「後悔」によって館に自身を縛り付けています。恨んだ者も縁者も、恨まなかった者の縁者も等しくこの魂の牢獄にいるというのも皮肉ですね。
さて、長兄ディディエですが、彼もミシェルの言葉を受けて成仏します。生前、ミシェルのことを「弟」として認められず、その果てに殺してしまった彼ですが、もしかしたらミシェルの肉体の変異の根幹が自身のためであることを、無意識に察していたのかもしれませんね。それ故に「妹」だったミシェルを「弟」にしてしまったことを悔やんでいた。
しかし、ミシェルの自分が男になったことは自分が選んだことで、今の自分を誇っているし、誰のせいでもない、そして自分を殺してしまったことを悔いてこんな姿になった兄を恨むことが出来るはずがない、という言葉を受け、ディディエもようやく自分を許すことが出来、ミシェルを「弟」として誇っていると告げることが出来たのでした。
これにて、モルガーナによって囚われていた者も、自身の後悔によって残っていた者もすべて解き放たれ、物語は大団円を迎えます。その後転生した彼らは、当たり前の人生を送っていくことでしょう。
どうやらミシェルやモルガーナの「神性」は無くなっていないようですが、それを自覚した今の彼らならば不幸になることもないでしょう。
さて、ずいぶん長くなりましたが、作品としての評価は一番先にしてるんですよね。長々と1個人の作品考察にすぎない長文をここまで読んでくださってありがとうございます。この作品を読んだ後の解釈の一助になれれば幸いです。