特異な設定が多い女装主人公の中で、ほぼ唯一無二と言っていい「男であった事がない」主人公、和久津智。
前提として、この点数は「明日の向こうに見える風」を含めた点数です。これは2作品がひとつになって完結する物語だからです。
この「るいは智を呼ぶ」の主人公である和久津智は、他のゲームの主人公、同じジャンルの女装主人公たちとさえ、育った環境が断絶されています。
ヒロインを攻略していくゲームなのですから、百合ゲーでもないかぎり主人公は男性で、女装主人公でさえ、文字通り男性が女性の格好をする「女装」をすることで物語が動いたり始まったりするので、基本的な姿は「男性」のものです。
ですが、和久津智は生まれてからゲーム開始時点まで、「男性として生きたことがない」のです。これはもちろん智の人生の根底に根深く刻まれている「呪い」のためですが、そのために智は男としての立場を得たことも、男としての服装をしたことも、男として振舞うこともしてきませんでした。
これは、元ネタである「南総里見八犬伝」の「仁義礼智忠信孝悌」の仁義八行のなかで「智」の犬士、犬坂毛野の要素が濃いと思います。毛野は女装の美少年で、彼は一族皆殺しにされた仇を討つために、性別と生まれ偽り女芸人として生きてきました。
また、智の字は二の腕ですので、この位置の犬士は犬塚信乃ですが、彼もまた元服するまでは女の童の格好をしてきました。これは当時の風習だったようですが、元服後に男性の姿になりました。
というわけで、智は八犬士の毛野と信乃を元ネタに構成されたキャラと言えます。八犬士の怪力キャラは犬田小文吾ですが、彼を元ネタにしてるのが皆本るいですので、このあたりは毛野(あさけの)と小文吾が出会うことで毛野の物語が動いていくことをオマージュしてるのでしょうか。
犬坂毛野は八犬士の中で、珠の文字のどおり「智」の要素が強く、里見防衛戦での役割は参謀のような位置づけでした。和久津智がグループの中で参謀の位置にいるのは元ネタどおりかと。
そんなこんなで、和久津智は「女性」としての人生しか経験したことがなく、しかし元ネタの犬士のように時期が来れば正体を現すこともできない、呪いというものに縛られている。この物語に足りないものは「伏姫」の位置にある存在だったのではと思います。
また、私はこの和久津智という主人公を、実は「女装主人公」としては見ていません。まず女装とは男性としての姿が前提として無いとありえないと思っていますので、女性の姿がディフォルトの智にとって、女装は女装足りえないのです。
そしてもう一つ、これは私の勝手な想像かつ妄想ですが、「智は本来は女性であったのでは」と考察してるからです。
このゲームの「呪い」と「能力」はセットで、かつ女性にしか宿らないものでした。そして和久津の一族が継承してきたのが八つの力で飛び抜けている「望んだ未来を引き寄せる」能力。その力の強大さ故、代々の継承者は自壊していった。
それを打破するために、智と真耶の父親は「意図して双子を生み出す」術式を構築したのではと思います。父親の行動からして、たまたま双子が生まれたからというより、意図して双子を作り出したといったほうが適切です。大元の「呪い」にしても、やはり人が編み上げた「術式」ですから、そうしたこともできる考えてよいかと思います。
ですが、前述のとおり呪いと能力を授かるのは女性のみ。呪いと能力がどの時点で赤子に宿るのかというのがネックになりますが、卵子が受精した時と考えると、まだ真耶と智に別れる前に能力と呪いを得たと仮定します。
そして、その後に受精卵は真耶と智に分化する。この時点で呪いは「どちらに行けばいいかわからなく」なります。本来は一人だけに宿るものですから。結果として真耶に宿ったわけですが、しかし智もまだ真耶と一つだった頃には呪いを宿していたわけですから、痣を持って生まれてくる。しかし、呪いは原則女性のみ。なので呪いが宿ったほうは当然女性であり、「宿らなかった方は女性ではない」、という逆説が可能になります。こじつけですが、そもそも呪いというものが不可思議なものですから、ある種の言葉遊び的な要素も真実味を帯びてくるのではと思います。
というわけで、誕生時に呪いと能力を宿していなかった智は、その不可思議な力によって「元来は一卵性双生児で姉妹として生まれるはずだったものが、姉弟として生まれた」ということになってしまったのではと想像してます。
真耶と智の父親は、もともとは「強すぎる力を双子で二分すれば制御できる」と考えて術式をおこなったのに。結果として能力を宿していたのは真耶だけ。しかし、もともとは一つであったためか智に「真耶の能力と呪いを一時的に移すことができる」ことを見つけた父親は「能力」と「呪い」をそれぞれの個体に分散せることに成功しています。ですが、やはりそこまでで、強すぎる力を制御することは失敗しました。それにより彼もまた狂って行き、最後は真耶によって殺されます。
ですので、私は和久津智は元々女性として生まれてくるはずだったものが、超常的な現象により男性にされてしまったと考えています。
別の作品ですが「ファタモルガーナの館」という作品の主人公も、自身が持つ「神性」のために「男性でも女性でもない、天使の肉体」を得ていました。智もその類ではないかと思っています。
智はよく「姑息」「陰険」と表現されますが、その性格や性質はかなり女性的であることが作中で分かります。特に恵ルートの智の行動は、真耶の狂気を彷彿させるもので、「やはり双子の姉妹だな」と思わせるに足るものでした。
あのグループの中では、もっとも男性的な思考をしてるのは花鶏でしょうしね。
そしてこの物語は、序盤のレースの時点で本来の時系列は止まり、それ以降は智と真耶の能力による精神世界の話であることが明らかになります。
この世界でのみ、薬物によってまとまな精神から逸脱してしまった真耶と、智は語り合うことができました。だからこの物語は「双子の姉妹の再会と、互いの想いを分かち合う」ものであると私は思っています。
その精神世界で二人が心を通わせあったことが、例えそれが泡沫であっても互いの心の深くに残り続け、現実で再開した時に、その想いを縁に互いに分かり合い、共に生きることが出来るのではないかと、そう思います。
ですので、私としてはこの話は「双子の姉妹」の物語で、「女装主人公もの」ではないんですよね。現実で二人が再会した時に、分かり合え、共に生きるための「想い」を得るための物語であると思っています。