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gaogaogao改め烏賊悪魔さんのCLANNADの長文感想

ユーザー
gaogaogao改め烏賊悪魔
ゲーム
CLANNAD
ブランド
Key
得点
100
参照数
570

一言コメント

アンチkeyへ捧ぐKEYブランドの集大成。サブタイトルは『ONE3』

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

はじめに。今作がアンチKEYに対するアンチテーゼである理由。

『オンナノコが電波。実社会に沿ぐわない(記号化された萌え。)』
『濡れ場必要なし』
『主人公が社会を舐めすぎ(誰がお前を養ってるんだ)』
『主人公に友達いなさすぎ』
『何処も彼処も父親不在の家庭ってのは不自然すぎる』
『訳のわからない終わり方。エヴァのパクリ』
『安易に運命とか奇跡とか使いすぎ』

アンチKEYは二言目には↑の問題点を指摘する。
詳細は省くが、今回の作品はその全てが解消されていると言っても過言ではない。
スタッフが真摯にアンチの声を汲み取った結果だろう。
恐らく私を含めてkeyブランドに心酔する人たちは、kanonやAirを『おとぎ話』と割り切っているが為に気にならなかったのであろうが、物語を『疑似人生』と考えている人たちにとってkeyブランドは全くの虚像でしかなく、特に『記号化された萌え』に対して嫌悪感を抱いていたのであろう。
(実際、私もあまりよくは思っていない)
そのアンチ陣からの欠点指摘を真摯に汲み取り、作品おいて実行したkeyのスタッフを素直に評価したい。
なお、『現実の社会』から目を背けていた主人公が社会に目を向けざるを得ない状況になって、初めて社会と協調していけるようになった。という筋書きは、そのままKEYブランドの成長を意図しているようで面白い。
kanonにせよONEにせよAirにせよ、あまりにも現実世界とはかけ離れたキャラ設定やシナリオであったことが叩かれていたからだ。(ついでに言うと、18禁の足枷から離れたことも『社会要因』として大きい)
今作はアンチKEYからの批判を意識して作られていることがよく判るが、ONE時代からのファンである私としては、その変化っぷりが主人公と重なってしまうのである。


さて、本題。
主人公と社会との係わり合いというのは、他のブランドの作品も含めて、今まで回避される傾向にあった。
特に父親という存在は、メインユーザー層である十代後半から二十代前半ぐらいの男にとって非常に恥ずかしく、情けない存在である。
何故なら主人公(プレイヤー)はその父親に養われているわけで、自分は既に親からの精神的自立を果たしていると思い込んでいる彼等にとって、それは動かし難い劣等感であるからである。
今までのゲームで父親を描くシナリオが少なかったのはそういう理由であるし、恐らくこれからも変わる事のない共通認識であろう。


しかし、それでも父親と言う存在を、ひいては社会における自分の立場というものを敢えて描く今作品は、他の雑多な作品とは一線を画すテーマを持っていると言っていいだろう。
近いテーマの作品としては『家族計画』が挙げられる。
家族計画のテーマは『人は一人で生きていくことは出来るけど、それだと生きているだけだ』であると私は考えている。それに対してCLANNADのAfterStoryに至るまでの主人公は
『集団(家族、部活)でいることなんて煩わしい。一人で生きていければいいのに』
と考えており、家族計画のテーマはその答えとなり得る解答である。
実際に渚Afterstoryと茉莉エンディングは、それぞれヒロインと結婚し、子を為すという筋書きに至るまで似通っている。
では具体的に二つのシナリオの何処に差異があるのかといえば、それは
『主人公のスタートラインが読者(層)と等身大か否か』
に尽きるのではないだろうか。
集団行動や家族を嫌うようになった主人公が如何に読者に近しい位置にあるか。
『感動』という感情にもっとも密接に関わるのは『親近感』であると私は考えている。
その意味で『高校→社会人』という筋書きは非常に巧い造りであろう。
(誤解を受けたくはないので言うが、私は家族計画とCLANNADの優劣をつけたりはしない。家族計画は等身大である以上に『不自然な家族』という設定が巧いのである。ちなみに双方の笑のレベルは最高峰である)


さて、幻想世界(Ⅰ~ⅩⅡ)とエンディング後に登場する少女についての解釈を少し。

先に結論を言うと、
「幻想世界はONEにおける『えいえんのせかい』である。岡崎朋也の夢に出てくる男の子は折原浩平であるが、朋也本人ではない。えいえんの少女=エンド後にタイトルに登場した少女、である。そしてその少女は翼を持って後に星の記憶(観鈴)となる。少女は友達を求めて永遠の世界から出て行ったはずなのに、友達が出来そうになると拒絶してしまう。浩平がいなければ意味がないということだろうか。
kanon(舞、名雪、あゆ、真琴)における奇跡は『街(場所)』が作り出した奇跡である。
風が生まれる場所であるというならば『風の辿り着く場所?』の可能性もある」
(↑は私の妄想的予想を含んでいます。注意!)


幻想世界は変化のない日常であるとされていたが、実は雪が降ったり主人公が生まれたりと結構忙しい場所。
そこにいた少女はONEに登場したえいえんの少女(浩平の妹)ではなかったであろうか。
エンド後にタイトルに出てくる女の子の髪の色、服も見てピンと来る人も多かったと思うが、ストーリ-的にも『この場所は変わっていく』『変わって欲しくない場所』などの永遠の現状を望んでいるシーンが多々ある。また幻想世界の挿入方法がONEと似通っているのも意識的と考えるべきではなかろうか。
『いつか遠い昔、あるいは未来、僕は違う場所にいた』と幻想世界内において男の子が語っている通り、その世界に時間軸は存在しないらしい。観念的な世界だから当たり前と言えば当たり前かもしれないが、敢えてそれを彼に言わせたと言うことは、それはその世界が『えいえんの世界』だからではないだろうか。
『ああ、僕はこの世界にいたんだ。この子と…ずっとふたりで』
『この世界では何も生まれない』
『とっくにこの世界は終わっていたんだ』
『過ぎる時間さえ存在しない』
『前にいた場所はいろんなものがあって、楽しかった。(略)そこには人がたくさんいた』
『僕一人だけ行ってはいけない。彼女が一人になってしまうから』
↑の台詞を鑑みるに、彼(浩平)は少女(妹)を孤独にしないために永遠の世界を望んだのだろうか。
浩平は少女ととともに友達を探すが、三匹の優しい匂いのする獣(美鈴、往人、神奈?)以外の生き物には出会えない。そして冬が来て、雪が降り、彼は外の世界に出たいと少女に言った。
少女は彼と一緒に乗り物を作ってくれた。
それは
『空を飛べる大きな翼』
だった。
二人は外の世界へと旅立つ。友達を探しに。
少女は力尽きて、言う。
『私はこの世界に残らなければいけない。私はこの世界の意志になるのだから』
↑『星の記憶』と『世界の意志』は若干苦しいが、『大きな翼』がAirの神奈(翼人)を指している可能性は十分にある。終わる世界で力尽きた彼女は翼を持って平安時代(具体的には994年?)にジャンプしたと私は解釈する。

さて、妄想的考察はこんなところか。
是非とも皆様の意見をいただきたいところであります。


最後に普通の感想

具体的なキャラの考察までは手が回らなかった……残念。
でもテキストにメリハリがあって笑いが巧く取れてたし、どのシナリオも本当によかったと思います。
ただし、今回はキラーミュージック(雨、冬の花火、風の辿り着く場所、夏影、鳥の歌)が少なかったのが残念と言えば残念。渚はイイ曲ですけどね。
涙腺が刺激されるというよりは背中のほうからぞくぞくっ、と来るような感動でした。
特に春原兄妹の話はよかった……
春原くんには是非とも幸せになって欲しいと思います。

さてさて、まだ書きたいことはありますけど、こんなところでしょうか。
ではでは、またそのうちにお会いしましょう。