なんだかんだで自分はやっぱりkeyが好きらしい。
keyの描く物語が私は好きだ。
いつも同じ(ような)テーマで、プレイする前から話が収束する方向が
わかってしまっていても、やっぱり好きだ。
痛い電波系のヒロインも結局、テーマ(目的)のための伏線、道具で、
悉く無慈悲な淘汰に合う運命を強いられていることに強い作為を感じても、
それでもやはり私はkeyが好きだ。
価値観や感性において、なにか共感するものがあるから、なのだろうか…。
key作品で描かれる優しさに強く惹かれてしまう。
keyは(良くも悪くも)、作品の一つ一つに強いイデオロギー性を感じる。
もちろん単純にテキストやシナリオ構成の妙、秀逸な音楽等の演出など、
技巧的な部分においても目を見張るものがあると思うけど、
そんなものがどうでもよくなるくらいプレイ後に残るのは、ただその強いメッセージのような何か。
相対性…。
現実において、科学の世界において、主流なのは進化論。
弱いもの、異質なものは淘汰される。ただそれだけだと。確かに事実。
でもただの事実。それに挑む数は少なくとも人の数だけある。
それが何を意味するか。keyの作品はいつもそんなことを考えさせてくれる。
keyが使うお定まりの「奇跡」。これは単にキャラクターを救済して
彼女達の世界を幸せに治めることで、現実に希望的観測を促すものというより、
私にはむしろこの酷薄な現実に対して、どんな時でもニヒリズムではなく
希望を持って、というかとにかく前を向いて生きるという、生きることそのものの表徴に思えた。
あるいは希望的観測というわけではないけど、結局イデオロギーに呑み込まれ、
思い込みの枠に気付けない現実に対するアンチテーゼ…だったり…するかもしれないし
違うかもしれない。
理屈で語ってしまったけど、とにかくリトバスはすごい良かった。
自分もこんなサイコーなやつらのように、真っ直ぐ生きていきたい…。
…さて、勉強しよ。