やはりこのサークルのロリータものは一筋縄ではいかない。本作で描かれる愛とは、つまるところ「生存戦略」のように読める。少なくとも私は、そう読んだ。
私は特にロリコンというわけではないはずなのですが、pororiさんの描くロリータものは面白い。
pororiさんはきっと*1 ロリータが好きで好きで仕方ないのではないでしょうか。
子供というのは、周囲の庇護を必要とする生き物だと思います。
与えられた環境による影響は大きく、無垢な反面、危なっかしい。
この危なっかしさは形を変えて、ロリータだけでなく思春期に入ったばかりの*2少年少女にも存在します。
つまり、ロリータだけの専売特許ではないのですが、脱線するのもなんなので本作の話をしましょう。
ただ、一つ言えるのは本作において「無垢」なのは、ロリータの方ではなく主人公の方だと私は思います。
「相思相愛ロリータ」でも言える事ですが、私にはこの作品もまた、ハッピーエンドであるようには見えません。
本作のジャンルは『縁組み性愛ロリユートピアノベル』。
それは確かに「ユートピア」ではあるのですが、しかし「砂上の楼閣」でもあります。
古傷を癒すため寄り添える相手が欲しい啓人と、庇護者の欲しい鈴佳。
鈴佳が啓人を求めるのは、単純な「愛」というよりも「生存戦略」であるように思えます。
「ここにいてもいい」という安心のために鈴佳は身体を提供する。
そして、啓人はそんな鈴佳に溺れていく。
己が生存するために、鈴佳は啓人に「中出し」を迫り、*3既成事実を作り上げていく。
その手管は割と恐ろしいものだと思うのです。
とはいえ、鈴佳を責めようとは思いません。彼女は、生きることに「必死」なのです。
3年前に一度会っただけの男、寝ながら泣いていたという程度の触れあいしかない彼に、
縋りつかなければならないほど、追い詰められているのです。
それも当然でしょう。唯一頼りにしていた、大おばが認知症になってしまったのですから。
それにもちろん、啓人のことを「好き」だという事自体が偽りだとは、私もさすがに思っていません。
ただ、「好き」にはいろいろあるし、そこに滲むものは単なる「好意」だけではないと思います。
啓人はまだ20代半ばであり、鈴佳とその子供。
2人の未成年を1人で支えるには絶対的に力が足りません。
頼りは資産家の「大おば」なのですが、彼女には親族が沢山いて、それなりの名家でもあるようです。
小○生の少女を孕ませた主人公に、ほいほいと遺産が残されるでしょうか?
認知症にかかる前に大おばが何かしらの手を打っていてくれたとは思うのですが、もしそうでないならば
腕の立つ弁護士の用意なども含め、相当厳しい戦いになることは覚悟した方が良いと思います。
鈴佳もまた、「大丈夫」という確信はないはずです。まだ働ける年齢ではないから、家計の足しにパートに出ることもできないし、それどころか学校にも通わなければならないから、付きっきりで子供の面倒を見る事もできません。
砂上の楼閣のまま、そんな周囲の事に目を背けながら、彼らは走り出そうとしている。
茨の道です。決して甘いだけのユートピアではありません。
互いへの甘い感情が癒してくれるとはいえ、その生活は闘争の連続であるはず。
啓人も鈴佳も、将来後悔することがないと良い、と思います。
とはいえ、そういった「安易な孕ませ」をして主人公はバカだなーと言いたいわけでは勿論なくて、
一時の安寧のために、将来を「見てみない振りができる」その能力はある意味羨ましく思ってしまいます。
本当はやりたい事がたくさんあるのに、リスクを考えて躊躇してしまう私だから、こうして平穏に生きていられるわけですが、しかしそこに「冒険」はない。
「冒険」しないからこそ、万が一私の周囲に鈴佳ちゃんが現れて私を慕ってくれたとしても、啓人と同じ行動はとれないでしょうし、そうすればこのロリータとの甘いひとときを味わうこともできないでしょう。
安全な立ち位置から、自分にはできない経験をする。これもまた、エロゲに限らず創作物全般が備える大きな価値です。
安全で平穏でつまらない人生を歩む私が、そのつまらない「リスクマネージメント」を投げ捨てることで、ひょっとしたら得られたかもしれない波乱万丈の鈴佳との人生を、短い時間ながらも追体験させてくれた作品。
それが私にとっての本作、「ゆびきり婚約ロリイタ」です。
*1反面、氏の書く幼馴染モノは個人的にはイマイチ。氏が幼馴染に思い入れがないのか、私の考える幼馴染モノの理想と離れているのかはわかりません。
*2 「義妹ホールと妹ホールド」、「純情セックスフレンド」の二作は、『性』への目覚めと思春期の脆さから、
ヒロインが堕ちてしまうバッドエンドがある。これは、繊細な心理描写がなされている事もあり、よくあるエロゲの『快楽堕ち』とは一線を画します。
私が「義妹ホール~」を高評価するのは、ヒロイン千穂の清らかさと脆さが、周囲の環境によって「淫らさ」へと染められ、書き換えられていくさまが非常にエロく、かつ切なく。「ストーリーだけ」でも「エロだけ」でもない、両者を兼ね備えた上で、それが「作品全体のテーマ」と密接に絡んでいる好例だと思うからです。
*3 「いつか別れが来るかもしれない」、「でも、今は好き」、「その今をずっと更新していくことで、それが永遠となればいい」。
男女間(だけに限らないとは思うが)のこうした機微を、porori氏は以前からくり返し書いています。
これは、ポップなキャラゲー路線に見える「幼馴染の心が読めたらどうするか」の中にすら、そうした思想が
挿入されています。
本作の鈴佳もまた、非常に疑い深い人間です。
だからこそ、「いつまでも一緒」という口約束(形のないもの)ではなく、常に何らかの体験や事物によって、相手の心を繋ぎとめようとしていた事を思い出してみましょう。
それは「ゆびきり」であり、「指輪」である。そして、「SEX」、とくればその次は……?
もちろんこれは、「体験や事物そのもの」を求めるのではなく、
「SEXをしてしまった」=「悪いこと」、「子供を作ってしまった」=「悪いこと」
→「悪い事をした啓人は、鈴佳を捨ててはいけない」という一種の暗示として働いています。
つまり、鈴佳は啓人に次々と「枷」をはめ込んでいっているわけで、
ただ甘い日常をロリと過ごして幸せ~~というだけの物語ではないように思います。