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eroger_tさんのはじめるセカイの理想論 -goodbye world index-の長文感想

ユーザー
eroger_t
ゲーム
はじめるセカイの理想論 -goodbye world index-
ブランド
Whirlpool
得点
91
参照数
465

一言コメント

やはり近江谷作品はいい…。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

夢と現の狭間を生きている、と感じる。物語を読むときのスタンスの話になるのだが物語を主観と分離して、ただ物語として楽しむことが少なくなったような気がする。

言い回しが難しいが、例えば桃太郎を読んだとして、育ての恩から鬼退治を決意すること、次第に仲間が増えていくこと、鬼を退治することなどを楽しむのではなく「世の中は勧善懲悪どころか善人こそが悪人によって搾取されているから、今こそ勧善懲悪の物語が世界に必要なのかもしれない」なんて考える。

要は物語を通じて、自分のセカイを見つめなおして、その影響の多寡で物語の評価を決めているように思う。この目はいつも内側を向いていて、フィクションに対して無意識に実際的なアプローチを試みるのが癖になっていると感じている。別段それが悪いと思っているわけではない。辛かったことや苦しかったことの対処法や対症療法を学んだり、瘡蓋を剝がす自傷じみた行為で悦に浸ったり、どちらかというとネガティブな方向に進むことが多いのは、我が事ながらちょっとどうかなって思うけれど。せっかくなら楽しくて明るくて、ちょっとエッチで、なんだか笑えてくるような、優しい影響を受けて優しい人間になればいいのにな。

閑話休題、物語というフィルターを通して現実を見る行為をしているから、一定以上現実的な理想を物語に求めているのに、現実の中でも物語のような理想を探していることは問題だと思う。そんな美しい現実なんてあるはずないよって悲観的に世界を見つめているせいで、理想的すぎる物語に馴染めない。追いかけながらも手に入らないことを自覚していて、現実から離れることだって自由なはずの物語の中ですら、現実を見てしまっているのだから、自分の気質が自分の首を絞めているんじゃないかと思う。(なのでしょうもない理由で恋愛をして、いつセックスするか程度のくだらないことで悩んで、周囲の人間の温かさに救われながら、物語的な起伏をつけるために用意された諸問題をご都合主義的に乗り越える、みたいな無条件に世界から祝福されているような作品を見ると反吐が出る)

だから、現実に殺された少年少女たちが不器用な交流の末に理想を獲得し、世界の在り方や世界との関わり方を変えてゆく様は、物語を読むときに抱いている願いの成就に近くて本当に好きだった。別にこれで不条理が消えるわけでも、格段に生きやすくなるわけでもないけれど、世界の理不尽さに対してコンセンサスが取れたようで、ちょっと慰めに近いなとも感じる。


『猫忍えくすはーと』『恋する少女と想いのキセキ』『初情スプリンクル』などなど近江谷宥氏の書くお話は個人的に打率が高いので、近江谷作品の良さについてしばらく考えていた時期があったが、その時はやはり埒外の隣人との心の交歓こそがその本質ではないかという結論になった。

本作においてもその強みは健在で「言葉が通じるのに会話が成立しない」ヒロインが多数存在する。しかしそれはどちらかのコミュニケーション能力の欠如が原因ではなく、単に彼女らの軸となる価値観とまだ交わっていないだけだ。事実(主に主人公側と合致することの多い)私たちが考える常識と氏の描くヒロインらの持つ常識が異なるのは、本作のようにそもそも生まれた世界が違ったり、文化や生活様式が異なっていたり、生い立ちが特殊であったりとバックボーンを知れば理解が及ぶような要因によるものが多い。ゆえに、埒外の隣人なのだ。彼女たちは決して相互理解が不可能な化け物ではなく、壁は高くとも言葉を交わし心を通わせ合うことができる私たちが愛すべき存在である。

「言葉が通じるのに会話が成立しない」人間は私たちの生きるこの世界にもたくさんいて、本当は一人ひとりと分かり合えなかったとしても無闇に傷つけ合わない・ぶつかり合わない程度には理解し合えたらいいと思っているのに、小さな町の小さな学校の小さなクラスの中ですら対立が起きるようなままならない現実があるし、実際問題大なり小なり、関わる人間一人ひとりと時間をかけながら対話をして分かり合うような余裕もない。

だから、取りあえずはノゾミ先生が言っていた「私を必要としてくれる、皆様を愛することは……世界を愛することに等しいのだと思います」で良いと思う。セカイとは自分なのだから、自分を構成するものが手に届く範囲にあって、それらを愛していられれば良い。大切にしてくれる誰か、大切に思える誰かがいるならばその人を。いないのならば分かり合いたいと思えた人とのコミュニケーションを。他者と関わらずに一人でいたいのならば自分が好きなものを。ただそれだけでセカイを愛せるんだろう。

世界は不完全で、両手を広げた目いっぱい程度の小さなコミュニティの得が時にぶつかり合ってしまう。よって、作品の中では誰もが夢を見て願いが共存し、尊重し合える世界が理想を結論として良いと思う。(世界が平和でありますように)

現実はそうはいかないって分かっているから、世界を変えない等身大の理想を描いたヘル子√がとりわけ大好きだった。恋愛を経て互いの本当を知り、それを許容し合い、その在り方と世界との関わり方を変えていく。彼女が笑いながら言った「世界とケンカしてやろう」のなんと頼もしいことか。彼女の思う半径1メートルの理想郷とは、とどのつまりセカイを愛した結果だ。彼女のような輝かしいヒロインと物語に出会えた時、少しだけ視界が良くなって、もう少しだけこの不完全な世界を生きてみようと思える。

埒外の隣人たる魅力的なヒロインとの交流が世界認識や変革へと繋がる。ハードルの先にある相互理解がイコールでより良い生へと結びつく。現実的な視点も踏まえつつ、ファンタジーであっても世界に対する祈りが込められた氏らしい温かみを感じる良い作品だった。



追記
書く場所がなかったのと書き忘れていたので追記で。赤文字で嘘がわかるという表現方法めちゃくちゃ良いと思いました。一手で嘘か本当か読者に共有できて、どういう嘘なのか考えるような投げかけになっていたり、本心に至るまでの心の流れに想いを馳せられるのが素晴らしい。