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eroger_tさんのニルハナの長文感想

ユーザー
eroger_t
ゲーム
ニルハナ
ブランド
ゆにっとちーず
得点
83
参照数
224

一言コメント

彼らは言うほどクズだろうか・・・。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

僕は物語で暖をとっている。登場人物たちの悲しみや怒り、喜びや楽しみを啜って、彼・彼女たちの人生がトリミングされたエモーショナルな物語に心を動かし、日々の慰めにしている。物語を読む誰もがそうではないだろうが、創作を通じて、感情や体験を思い出し、適度な距離で眺めなおして暗い気持ちになることに快楽がないとは言えない。だから僕はこういう物語が好きだし、読むことが、ある種の精神的な自傷行為であるとも思っている。当然そればかりでは疲れちゃうから適度にしかしないようにしているけれども。

偽善も偽悪もそうありたいと願う心が本物にしていくというのは、まさしくその通りだと思っていて、ただこれは良くも悪くも、他人の言葉に規定されて自己洗脳を繰り返すことだって該当する。リュウヤがとんでもなく歪んだのはマユに「ひとごろし」と罵られて否定されたからだと思ってる。そういう自分を自己洗脳の末に獲得したのだと。彼が死ぬ寸前の女を拾ってくるのも、いつの間にかできていた性癖的な表現がされていたが、なんてことはない。マユから受けた呪いがそうだと思い込み続けることで形を成し、心の奥の切り離せないところまで癒着しただけである。と、思ってる。真相は分からないが。

どうしても手に入らない存在へ純粋な愛情や好意だけを維持するのは非常に難しい。タツヤとカスリの関係性が歪んでいく姿にはとても共感ができた。愛情や好意、善意でもいいが、なにかをしたときに自然と対価を求めてしまう。席を譲ったとき、対向車のために一時停止したとき、誰かの落とし物を拾ったとき、誰かを好きになって誰かにやさしくしたとき、なんだっていいが、少なくとも自分は頭の中ではいくつもの考えが湧く。共通してるのは対価を求めてはいけないと思う心と、対価を求める心。譲ったのに、優しくしたのに、拾ってやったのに、感謝の言葉の一つもないのかと思う心。これっぽっちしか返ってこないのかという心。根底には与えられたものを返したい返報性の原理が染みついているからなのだとは思う。自分がやるからと言って他者に求めるのは違うことは分かっているが、心理は意識で止まるほど易しいものではない。タツヤはカスリのために様々なものを犠牲にしているはずである。働く場だったり人間関係だったり。それは別にカスリのためならば何一つ惜しくはないものだったのかもしれないが、たくさんの犠牲の上に与えた愛情が十分だと思えるほど返ってこないときのやるせなさは察して余りある。何度かモノローグにもあったが、タツヤはカスリのことだけを考えて生きているのに、カスリは過去や家族にとらわれて自身を傷つけ、人生を終わらせようとしたり、タツヤから離れてゆこうとする。正義感や好意・愛情から行った善行は、返ってこないもどかしさに押されてより一層激しさを増し、その連鎖が純粋さを曇らせて執着心や独占欲へと変わるのである。半端に愛されて半端に執着されて、好きだからとそれを必死で返しているうちに、いつの間にか天秤が傾いているのだ。願いが欲に。美しかった愛情は醜い独占欲に。離れがたくなり不満が募り、貰う愛情よりも与える愛情のほうが大きいように感じるようになる。唯一幸せにできる自分という特別感の麻薬に狂っていく。

愛することに対価を求めるな、などと尤もらしい言葉が浮かんだ方もいるだろうが、もしも対価を求めないのであれば、相手が死にたいというのであれば死なせてあげるべきだ。その際あれだけの愛情を注いだのにと反発したり否定するのはもってのほかである。相手の想いを汲み取って愛情を注ぐことだけをして、相手は死や過去、家族にうつつを抜かして自分を見なくても何も求めない。無私の愛情とはそういうことである。相手を愛したままこれができる自信がある人だけタツヤくんを存分にクズ呼ばわりしてほしい。純愛を妄信できるのはまともな恋愛経験がないか、周囲について無知で自身を顧みたことがないか、忘れっぽいか、よほど運よく幸福な人生を歩めているものだけだと思う。できればただ、みなが無自覚なだけであってくれ。醜いのは一部の歪んだ人間だけだと突きつけないでほしい。

エピローグはなんだか幸せそうで、ユウとタツヤが結ばれたハッピーエンドで、少しだけ明るいほうに考えて、それを信じて生きようなんて言葉で締めくくられるが、そもそも、ただただ許していきたいと前向きに語ったマユから何かを書くための力、意志であるユウが零れ落ちたことがこの悲劇の発端である。直接的な原因は呪いかもしれないが、怒りや憎しみ、妬みや悔しさへの執着からの反逆ともいえる。結局呪いと心が零れた結果、生存本能のために感情を搾取する怪物になるのはやるせなさを覚えるが、生きるためにさんざん利用した心を捨てることができるのがマユという女の本質な気はする。殺人をした兄を捨て、弱者を言い訳に澄田の死の悲しみや愛情を捨て、兄への依存心で生きる。終盤、身勝手に捨てたユウに触れようとしたときに拒絶されたマユを見て因果応報だなぁと思った。捨てることが悪いとは言わないし、前を向くためには必要なことであるが、隣人のような死と向き合っていたカスリに比べて、発狂はするものの死への積極的な行動は起こさない彼女の生き汚さには目を見張るものがある。にもかかわらず常に被害者面で不幸を享受し、膝を抱えて拗ねて見せて誰かの救いを待っているところは少し嫌いだ。最後には何十年も抱えて生きる原動力にもなっていたであろう感情も捨てようとしたのだから、彼女に同情するところもあれど、過剰に被害者として扱いたくはないなと思う。

たくさんの感情や傷を再発掘できた本作。物語に寄生していることを自分自身ですら否定することはできないけれど、この物語に魔法は存在しなくてもいいな。と身勝手なことを考えた。いじけているようでなんだか恥ずかしいが、救われた二人を見ても祝いたい心が全然湧いてこないのだ。救えなかったカスリのことばかり考えてる。過去との距離は確実に離れていっているけれど、それでも完全な忘却は難しい。小さいころ何もないコンクリートでずっこけたときにできた傷跡が今でも残ってるのと同じで、なんてことはないなぁと思えるようになりながらも、思い返したり見返したら、いつまでも(あぁあの時は痛かったな)って思いだすんだろう。明るいほうはまだまだ先にある。もう少しだけ適度に距離を取りながら物語に寄生して暖を取りたい所存である。