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enkn_9905さんのサクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-の長文感想

ユーザー
enkn_9905
ゲーム
サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-
ブランド
得点
87
参照数
564

一言コメント

Ⅳ章までは100点(恋愛をオミットすればそれをも超えそう)、Ⅴ章は破綻しており、Ⅵ章は蛇足だと感じた(たしかに微笑ましい内容で好ましくも感じたが)

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 当初この作品には100点をつけようと思っていた、というか最初の記録では100点をつけた。それは、Ⅴ, Ⅵの出来の悪さを加味してもⅣ章は作劇上語るべきことを語っているし、何より夏目圭というキャラクターの魅力を十二分に表現できていたから。また、それ以前のルートも恋愛要素でダレた部分は否定しきれないものの、放哉という「狂人」をうまいこと使って芸術観を主張していたり、前作でもコケていた真琴√も一応の意味付けができていてちゃんと次の章への期待感を持たせてくれていたことから加点方式で満点をつけるのが適当かなと考えた。
 しかし時間が経つにつれて、後半の直哉に絵を描かせるために登場人物たちが「亡霊」に踊らされるあの流れ、そして肝心の直哉が絵を描くプロセスのお粗末さは無視できないマイナスだと考えざるを得なかった。
 あれは確かに「燃える」展開で、演出も頑張っていたので、その場では凄みを感じた。なので最初に100点をつけた自分の心理を全くの見当違いとは思わないけれど、少し冷静になれば絵画バトルについての説明を放棄していることがわかる。Ⅴ章はその絵画バトルに付随して色々語らせていたのに、バトル要素がおざなりになってはもう何を言っても空疎で、まさに「煙のような言葉」だった。
 そのバトル要素の説明放棄のやり方は、まあ一応擁護することも可能ではある。夢水を使ったのも御桜凛の心象を具現化する能力を疑似的に発揮するためだった。結局あの作品において美≠芸術であって、最終的には技巧は全然本質でなく、心象そのものをどうキャンバスに塗りたくるかの方が重要であった。ここで夏目圭の時は命を賭すどころか実際にペイしてまでやった心象の表現を、直哉は命を削ってはいるものの燃え尽きるほどにはやらないということしかできない(それをやったら圭と対にならず彼はいっそう無駄死に扱いされるだろう)のだから夢水というファンタジー要素に頼らざるを得なかった。いや夢水に頼ったこと自体もう擁護しきれるものではないだろと言う意見もわかるが、しかし直哉が絆パワーに頼りつつ夢水を使わないで絵を完成させた場合、圭は言うほど凄くないやつだったんじゃないか?という疑念が出てもおかしくない、ような気がする。とらのあな特典のタペストリーのように圭と直哉が並び立つことを最後まで夢想するなら、このような「バランス調整」もやむなしだったかと考える。

 そこから続くⅥ章は蛇足だった。あれだけの大立ち回りをしてそれでなお恋愛要素を捨てないとしたら、夏目藍以外の人間はパートナーにならないというのはわかる。そこから子供が生まれるのも想像がつく。それは、最早誰にでも想像できるレベルであり、だからこそ、作中の議論や主軸のストーリーのノイズとならないように、また余白を残すために語るべきではなかったと思う。確かにちょっと成長したキャラクターや、幸せな草薙ファミリーが見れるのは嬉しい。圭っぽい娘がいるのも胸熱。だが、それはわざわざしっかり描写するのは野暮な話で、やるにしても特典小説ぐらいの位置づけであってほしかった。