瀬戸口が言いそうな死生観はやや鳴りを潜めているものの、その構成力の高さと巧みな文章運びはむしろこれでもかというくらい押し出されている。異能バトル描写を作品としてやったのは初めてだと思うが、それもうまくて脱帽
瀬戸口作品と言えば、どうしてもその「生」に対する意味づけとかそういう話をしたくなる。本作も、様々な登場人物がこれみよがしに死生観や生きる意味について語り、その殆どは無残に死ぬ。キャラクター達が魅力的に描かれているから尚更悲惨である。しかしその部分についての詳述は発売して数日でできるものではないから、今回は構成やテキストを褒めたい。群像劇、マフィア映画、死生観のような食い合わせは決して悪くなさそうなところにやってきた超能力という設定は、本作の方向性を滅茶苦茶にすることなく素晴らしいものとしている。
シナリオの構成は、氏お得意のザッピング形式かつそれを包括するのは路地による神の視点という感じになっている。これまでの作品と比較して登場人物ははるかに多数であったが、それを鮮やかに統合する技量は見事としか言いようがない。
テキストは全体的に読ませる、ノベルゲームというよりは小説的な、いつもの、そしてそのワンランク上を行くものであった。氏の文章は、最近のゲームでは標準となった画面下部にテキストウィンドウを配置する構成とはすこぶる相性が悪く、時代の流れが彼をうけつけなくなるのではないかとも危惧されかねない。しかし、本作は文章が主体となりつつ、誰が話しているかも比較的わかりやすい(事後的にはわかりづらい)UIで現代に置いてもしっかりと読めるようになっており、氏のスタイルに合わせたUIもテキストとともに高く評価できる。
また、本作は全体的に無音や環境音のみの部分が多い。さっぽろももこ氏は遅筆というわけではないだろうし、いくらでもデータを詰め込むことができるこのご時世においてはおそらく意図的な演出だろう。総合芸術とみなす人もいるこのノベルゲームというジャンルにおいて、音楽をまるで流さない、声もないというのは場合によっては怠慢とも取られかねない。しかしこの無音、環境音しか響かない中で文章を読み進めるという体験は、本作に固有のリズムを生み出していると思われる。
本作における異能者は大まかにタイプAとタイプBに分けられている。読んでいればそうだろうと容易に察するだろうが、それぞれ身体障害者・精神障害者の比喩だろう。無論、ここから示唆的な要素を引き出すこともできる。収容所を襲撃したときに襲撃者の一人が「発症」してしまったタイプB患者と自分達を「区別」しているところは比較的軽い精神障害者の一部に見受けられる、作業所で自分より重度の障害を持つ人を見下す態度の写像だろう。そしてこれはタイプA(身体障害者)にも起こりうることだし、健常者同士であってすら何かと人を見下す心理がはたらくことはある。
このトピックはやぶ蛇になりかねない複雑な部分であり、一介のオタクとして迂闊に詳細な分析をすることは控えたいが、それでも上記のような読みはできるだろう。