「紙芝居」カルチャーから距離を取ったコンシューマー恋愛ゲームだからこそ作れたゲームシステムと感じた
あまりにも細かい。イベントマップの7割ほどを埋めた段階でそう感じた。エロゲー批評空間における本作のプレイ時間中央値は30時間となっているが、これでは全員のスキエンドを見たか見ないかぐらいだろう。ナカヨシエンドやBAD END、隠しキャラ、デートのダブルブッキングからの片方すっぽかしイベントを見ようとすれば、攻略サイトに頼っても50時間くらいはかかるのではないだろうか。
そんな長いゲームを、イキッて攻略サイトに頼らずに進め、100時間ほどかけるはめになった(しかも最後は攻略サイトを見た)うえに、マップも7割までしか埋められなかった本作を、というかそこまでしかプレイできなかったプレイヤーが批評ないし感想を書くのは不適切かもしれない。しかし、7割でも、そして30時間のプレイであっても本作の魅力は強く感じられるはずである。それを書く。
本作はクリスマスデートをすっぽかされ心に傷を負った主人公が、その2年後の冬、再びクリスマスデートをせんと彼女づくりにはげむ作品だ。古きよき?ナンパゲーの雰囲気を醸し出しつつも、同級生シリーズのような街型のマップ上を徘徊する形式ではなく、六角形グリッド上のイベントを選択していく。大方のイベントは学校内で発生する。
上記のシステムを取る点については「そうなんだ」と呑み込めばよいのだが、問題はその数である。マップのサイズは63×63=3969マスある。このすべてが踏まなければいけないイベントマスというわけではなく、目印のマスであったり他のイベントの発生で埋まるそれ自体はイベントではないマスであったりするわけだが、ともあれ4分の1か3分の1くらいはテキストのあるイベントマスになっていそうである。膨大である。
もちろん、最初に述べたように、遊びつくさなくとも本作の魅力はわかる。だから、このイベントはマイナスポイントではなくゲームから汲みだせる魅力の豊かさの量と言っていい。
本作のイベントの多さはどのように魅力に繋がっているのだろうか?それは、攻略の「複数性」にある。どういうことか。
例えば、多くのエロゲーが採用するADV、ノベル形式は選択肢がある、ないし選択肢なしの一本道のシナリオを読むことになる。これによりゲームよりは小説やラノベに近い感覚でプレイすることになり、それに合わせて「エロゲは文学」と言われるような(これは言い過ぎだと思うが)プレイヤーの感覚を育むことになった。反面、女の子との関わりは、そのゲームないでの画一的な身振りによってしかできないか、できたとしてもいくつかイベントをスキップしたりする(効率よく攻略するためのセーブデータ作りで心当たりがある人もいるだろう)程度に収まることが多い。
しかしながら、『アマガミ』は、そのイベント数の多さをキャラクターとの関係性の構築や破綻の可能性を豊かに描くことに使っている。例えば、本作のメインヒロインたちは、攻略をはじめる前にまずエンカウントするマスを踏む必要がある。メインヒロイン6人には、それぞれ3マスずつエンカウントマスが用意されている。これはつまり、出会いが3パターン存在するということである。また、親密度をあげる鍵となるイベントマスを開放する経路も2,3パターンある場合があり、この点でも攻略に柔軟性が存在する。これは「紙芝居ゲー」とは異なるアプローチで女の子との恋愛を楽しむことができ、自分でヒロインに対するアプローチを選んでいるような感覚を得られる点でよい。もちろんゲーム開発者の想定の上での柔軟性や自由意志ではあるが。
上ではゲーム進行システムがいかに本作の魅力に寄与しているかについて記したが、システムで評価すべき点はほかにもある。会話と連動する表情である。筆者は最近までWindows専用のエロゲ・ギャルゲを中心にプレイしていたので知らなかったのだが、コンシューマー作品ではセリフと同期して口が動く程度のことはよくあるようである。しかし、『アマガミ』はそこに表情の変化もつく。PCゲーにおいても表情の変化はあるが、大抵は1クリック1回だろう。しかしながら、本作は1クリック内で3回ほど表情が変化することもあり、しかもそれがそれなりの頻度で発生する。目線の動きで感情の揺れを表現し、口元の変化で感情の高ぶりを演出する。非常に細かく作りこまれていると言えるだろう(ちなみに、PC作品でe-mote的な技術を除き、表情が頻繁に変化していた作品はカルタグラリメイクだった)。
イベント数の多さによって攻略の「複数性」、豊かさが生まれている点を上記で指摘したが、シナリオ面でのあっさりさには気になる点があった。梨穂子√に山場らしき山場はないし、薫√における家庭問題も、主人公が主体的にかかわることはなくほぼ彼女の独力で解決していた。母親の再婚に主人公が強気に絡んでいけるかと言えば確かにそれは難しいだろうが、もう少し活躍の場を設けてもよかったのではないかと思う。
シナリオ、というかキャラクターとして影の部分が作りこまれていたのは絢辻詞で、天才肌の姉と比較されながらそこに追いつくために努力をすると同時に、それ自体が空虚なものであると自覚している、というキャラ造形はよいなと感じた。二面性や主人公に対する感情と依存度の深刻さ(BAD ENDは衝撃)を見れば、本作のパッケージを飾ったのも納得である。ここまで、『アマガミ』のシナリオの弱さを中心に指摘したが、とはいえ、ノベルゲームとは情動をもたらす勘所がやや異なる点も指摘すべきだろう。
総じて、本作はゲームシステムによる恋愛要素のリアリティを感じさせている点は評価できる一方、シナリオ面ではやや弱いと思わされる部分がいくつかあった。