シナリオ:A 文章:S イラスト:S サウンド:A ゲーム性:― 完成度:S プレイ環境:A
――蝿の王や十五少年漂流記の主役はなぜ子どもたちなのだろうか。
――もし大人たちだったならば……。
――そんな作品に触れたいのならSWAN SONGをおすすめします。
――但し生半可な覚悟で触れてはいけない、
――そこには我々が普段積雪に覆い隠している醜いものがあふれているのだから。
SWAN SONG は昨今エロゲーメーカーから排出される有象無象の「キャラクターが可愛いだけの」「ウィットが豊かであるだけの」ゲームとは一線を画している。というか目指しているところが異なる。
この作品がエロゲーを媒体としているのは、単純に非18禁媒体では性行為をつぶさに描写できないからというに過ぎない。そして数々の性行為模様は作品のテーマに訴求するために欠かせない要素となっているのだ。であるからして、この作品の本質は独り身の男性が癒やしを求める対象にはなり得ない。むしろ文学を愛する者達のためにあるといえよう。
ここではSWAN SONG のテーマと表現手法について文学的見地からその特徴をあげ、レビューとしたい。
まず第一に「」で括られた文字列ばかりが跋扈するようでは、とても”文学的”とは言いがたい。その点に関してSWAN SONG は一切の懸念がない。テキストは画面下のテキスト枠に窮屈に収まっている形式ではなく、画面全体を用いて表示される。その広いスペースを用いて、緻密な情景描写や心理描写がなされている。以下に適当な一文を挙げる。
>転がるようにして身をかわすと、それは凄まじい音をたてて地面を砕いた。
>相手が握っていたのはコンクリートで出来たブロックだった。相手は、もう
>一度ブロックを拾い上げ、こちらを睨みつけた。その眼はしっかりと僕を捕え
>激しい怒りに満ちている。彼は自警団の一員ではなかった。
大体この程度の文章量で1クリックだ。多い、と感じるだろうか。しかし文字列は瞬時にすべて表示されるわけではないし、一文も短く、特に難解であるということもないので、比較的読みやすいのではないかと思う。
逆に言うならば「霞外籠逗留記」などの希さんの書く文章のような、文字列だけをして文学だと言わしめる迫力には乏しい。文学として最も純粋なものは”詩”だと私は信じているが、SWAN SONG に詩的な文学性は、まず無いと言えるだろう。
誤解のないように附記しておくが、詩的でない文章というものが決してSWAN SONG という作品にとって失敗だったということはない。わかりやすい文章というものは直裁的に我々の心を動かすことが容易であるし、人を選ばない。ただ”文学的”というよりは”理系的”であるというに過ぎないことだ。
その次の特徴として、この作品は群像劇の形式をとっていることが挙げられる。
一貫した主人公は尼子司であるが、途中途中で他のキャラクターの視点で物語が進行する。この手法は以下のような効果を及ぼしていると思う。
・他のキャラクターの心情を、直接的に描写することができる。
・特定の主人公が複数のヒロインと恋愛する必要がないので、一本道ゲーとしての無茶が通る。
・この作品の訴えるところの「人間模様」を効果的に描くことができる。
これらの点から、この作品はテーマの訴求性が非常に高い内容となっている。
ところでテーマをお伝えしていなかった。……が、敢えて言うまでもないだろう。
冒頭で述べたことを仮定してみればよいのだ。
もし蝿の王や十五少年漂流記の登場人物が大人であったならば。――
あまりにも救いのない現実。
醜い、あまりにも醜い声で鳴く白鳥。
そんな白鳥らの奏でるピアノを是非聞いてみてはどうか。
(そうそう、HAPPY ENDは蛇足だと思うね。あれがなければ90点台つけたと思うんだが、…惜しい。)