シナリオ:A 文章:S イラスト:A サウンド:S ゲーム性:― 完成度:S プレイ環境:A
旅籠が織りなす摩訶不思議 魑魅魍魎の跳梁跋扈 凡ての伝奇は誰が為に
今丁度、読了しほと息吐いた。
稀にも見られ難き、この陶酔の読後感に筆を委ねる。
しかし思えば このように、筆を執らせる 情動起す、ただその一事に おいてこそ
霞外籠逗留記の魅力を雄弁に語りうること能うのではないかとの懸念巻き起こり
この筆の着地点を迷わせるものではあるが、
語らずしてこの情動、到底収まるものではなしに、
蛇足と知りながらもあとに連ねていこう。
1.「文章」「世界観」「シナリオ」について
文章については実際のものを見れば自ずと知れる。
そこで、下に他愛もない一文を引用する。
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空は雲もないのに陽が見えず、高いところを薄い紗幕(シャマク)
で蓋をしたようなお日和の、こんなどっちつかずの空模様を
高曇り、と言う。水面を乱すような風もなく、穏やか、とい
うより停滞の気韻(キイン)が緩みきって、広がっている。川面
も空を映し、とろりと沈んだ碧色。これだけ広いと流れてい
るのか止水なのかも判然としない。
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大体、ひとつの会話の合間にこれの凡そ二倍の文量の文章が置かれている。
これを全く受け付けない、という人も少なくなく、
いわゆる「作者のオナニー」としての風評を享受するにあたり、
何の疑問をも寸劇に挟むこと能わざる風情である。
又文章自体も多少難解なもので、普段の読書の習慣にライトと
名のつく読み物のみを専門とする読者にはつまらなく感ぜられるかもしれない。
しかし個人的な見解を述べることを許されるのならば、
この作品は繊細な機知に富んだ日本文学の善き哉とする要素を豊富に含み
怜悧で落ち着いた雰囲気、単純に文そのもののうつくしさ、
近代小説の平易で筋のみを伝える台本のような文章に乾かされた
日本人古来の文学の潤いを与えてくれるものだと断じよう。
例えば絵が良ければ外れないという最近のエロゲ事情に関して、
漸次ラノベっぽさを増していく文章に憂いを嘆じているものならば、
まさに霞外逗留記は天恵となって魚と化した君に恵みの水を与えてくれるだろう。
まったく私自身がまさにそういうユーザーの一人であって、
久しぶりの名作の予感に、ああ一事に文章を読みつくせぬこの身が
もどかしいと何度内心叫んだことか。
だからといって先述のように、昨今の読書事情によって受け入れられがたき
作品の一つであることは疑いようもないので、このあたりは各々方が
自分に合うか判断すべき事項であろう。
世界観の秀逸は私がわざわざ語るまでもなく自明の理であろう。
シナリオライターの希さんは、どうやら日本神話や日本文学に造形が深い
ようで、作中にその雰囲気がよく反映されている。
舞台は大河の上にぽつりと浮かんだ旅籠(旅館みたいなもの)
この旅籠は、それだけで一つの街ではないかと危ぶむほどに大きい。
大きいだけならいざしらず、増築に増築を重ね、今や迷路の館。
何、迷わすのは建築の奇妙なるためだけではない。
旅籠には魔性のものが住み着いている。大抵は人に仇なすものではないが
何かにつけて惑わせる。誑かす。「霞外籠逗留記」という題は、
霞(カスミ)の向こう側にある旅籠に逗留した記録、ということなのである。
この霞とは即ち人世と背中合わせに在るとされる異世とを隔てる霞なのだ。
こうして人魔入り乱れて物語は展開する。
登場するキャラクターは、渡し守(川の岸から岸へ人を渡す仕事)や
旅籠のお嬢さん、図書室の司書に琵琶法師。いずれも時代掛かった物言いで、
佇まいである。これらのキャラクターが舞台に美事に融け合いながら
一つの世界を構築している。この和風雰囲気の世界観の妙なるや
いっかな今時の読み物ではお目にかかれない。
私が読んできた中で一番近いと感じたのは芥川龍之介の一塊の土や河童だろうか。
一転してシナリオは随分と近代小説やラノベの感に近づいている。
「小説というものは筋を読むものではない」というのは確か草枕の中での
漱石の詞だったと記憶しているが、古く日本の文学は短編に特化し、
ならばその短き文章の中で目まぐるしく世界が展開するのかといえば
大体そのようにはならず、主に長編にするにいたらない些細な発見や
微細な心の動き、そういったものを丁寧な文章で解きほぐすというのが
メジャーであったので、漱石の詞とはつまり小説を一種の美術作品としてとらえ
何よりも文章のうつくしさ、詩的表現を大切にしていたということを
表しているのである。そういえば、海外の小説の主流は詩という形態を
もっていたし、現代の文学の有り様はやはり何か異質な傾向だと判ぜざるをえない。
閑話休題。総括するに、読み物というのは第一に繊細な筆使いで試みられ
次いで織りなす世界観に一体化し、そうしてから初めて筋を楽しむ、という
読まれかたをするものではないだろうか。どんな熱く滾らせるシナリオでも
それを表す筆致、それに読者の気を惹く世界観が伴ってはじめて意味を成すのだと。
さて、霞外籠逗留記ではどうだろう。前述のとおり、それが肌に合う者ならば
文章は申し分ない。歓喜すら伴う。世界観はいうまでもなし。
この土台に微妙な思いを乗せて読者の心象に傑作を描くのが古き日本文学なら
霞外籠逗留記は確固たる思いを乗せ一様に読者に一喜一憂を共にさせるものだろう。
2.「キャラクター」「グラフィック」について
キャラクターの画風は、よく世界観にマッチしていると思う。
画風を文字で表現する事はむつかしいので各々公式HPなど参照していただきたい。
ただCGには結構違和感を感じるところがある。単純に表現力が足りておらず
またこいつらは文章を読んで背景を描いたのか? と思わせるようなCGもちらほら。
例を挙げると「胎内洞」という場所の背景CG。文中では鍾乳洞で、壁がてらてら、
ぬめぬめと光り、さながら胎内から見る子宮壁のよう、とのこと。
ところが実際のCGでは、なんだこの無骨な岩壁は。てらてらぬめぬめと光る……
そのような景色をどこに認めればいい。触れれば怪我こそしそうなごつごつとした岩の群れ。
これが母の胎内であれば、胎児は傷だらけの肉の塊と成り果てて生れ落ちようぞ。
とまあ個人的な憤慨を漏らしてしまったが、要約するにグラフィック面では
あまり高い価値を見出すことは出来なかった、という一事である。
3.「音楽」「映像」「演出」について
音楽、映像、演出については特筆すべき事項もなく、よくも悪くも無難な出来
であろう。挙げるとすればOPテーマであるRitaの「カスミカゲロウ」
作品のテーマと雰囲気に沿った良い楽曲であったと思う。
4.「総括」
さて、各項目の文量を見返していただければ瞭然であるが、
私がこの作品において何よりも感銘を受け、
評価を与える要因はテキストの秀逸である。
様々な要素ごとに点数をつけ、合算して最終点数を出す、というレビューの
方法をよく目にすることがあるが、その方法で点数をつけるならばせいぜい
霞外籠逗留記は70台に落ち着くだろうと思う。
しかし考えても見よ。余りにひどい欠点に、興ざめしてしまうのならいざしらず
余りに素晴らしい美点によって数多欠点を凌駕する作品であるならば
読後に理屈抜きで感じた陶酔を点数にすることこそが望ましく
決して理屈ばった方式で点数をつけることは許されないのではないか。
確かに前述のとおりCGのクオリティの低さは目に余る。なんだこれは、と
憤慨もした。だがそのためにテキストの良さが損なわれることはない。
故にこの高得点とした。
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『霞外籠逗留記』
~遍く活字愛好家に捧ぐ~
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色々と連々記したが、凡ては霞外逗留記のこの最初の一文に集結される。
何のことはない。raiL-Soft とはそもそも活字愛好家をターゲットにした
ブランドなのだ。であるからこそ活字愛好家には是非に手にとって賞味して
いただきたい作品なのだ。
そうでないものの評価などもとより聞くに値しない。
人妻物が嫌いな人が人妻物に興味を付さないように
いちゃラブ物にハイソ趣味の人が嫌悪感を抱くように
この作品の求めるところは活字愛好家なのであり、
それ以外の評価は正当な評価足り得ないのだ。