萌えゲの文法で推理アドベンチャーを書いてみました、という作品。ヒロイン達と楽しくお喋りしながら彼女達の素顔を知ってゆく楽しみと、作品舞台に仕掛けられた謎に迫ってゆく楽しみが相互に補完しつつ一体化している。プレイヤーが引っかかる点を主人公が放置せずに追いかけ、イベントも豊富なため、最後まで飽きさせない。反面、萌えゲの域は超えず、恐怖に追い詰められるような展開や想像を上回る大どんでん返しもなく、設定の詰めも甘いのは物足りなくもある。プレイ時間は20時間程度、CGは高クオリティを維持しつつ82枚+SD絵4枚と、このブランドにしては頑張ったボリュームだが、謎解きと6人ものルートをさばくために、「ヒロインが主人公に惹かれてゆく過程」がバッサリカットされており、イチャイチャも少なめ。「不都合もある世界を生きること」「母親」というテーマが作品を貫徹し、よく描かれていた。
長文感想は主に一言感想の補足です。
以下のような内容を書きました。
1. 「不都合もある世界を生きること」「母親」というテーマについて
2.この作品で物足りないと思ったこと、改善できると思ったこと
3.わたしがこの作品で気に入った点、妄想など
4.【おまけ】SkyFish作品としてどうだったか
1. 「不都合もある世界を生きること」「母親」というテーマについて
(1)不都合もある世界
生きてれば色々と嫌なこともあるもんです。そうした不都合と付き合う心構えとして「考え方を変える」「見方を変える」というのは巷に溢れた言説ですが、もちろん、そんなこと簡単にできたら苦労はしません。
しかし、上段から「考え方を変えなさい」と言われても中々実行には移せないものですが、物語を読んでいて「ああ、こういう見方もあるのか」と納得してしまうことはあります。例えば、大変古い話で恐縮ですが、『ゴルゴ13』の作者であるさいとう・たかを氏が『あしたのジョー』などを描いたちばてつや氏を褒めて以下のように言ったことがあります(なお、記憶からの引用なので不正確です)。
>ちばてつや氏は愛嬌を描くのが上手い。彼とゴルフに行ったとき、自分がミスをして不機嫌な顔になり、キャディさんがワッと泣き出してしまったことがあった。それをちばてつや氏が漫画に描いたのだが、思わず笑ってしまうような画になっており、感心した
確かに、ちばてつや氏の描く漫画って、それがたとえ暗い話であっても、登場人物に妙な愛嬌があります。格好いいヒーローがいても次の瞬間には彼を笑ってしまいたくなるような、悲劇のヒロインがいても次の瞬間には彼女が笑い出してしまいそうな、そんな「笑い」の余裕を私は感じます。そして、不思議な事に、ちばてつや氏の作品を読むと、私は現実に心の余裕が生まれるんですよね。物語を超えて読み手の考え方に影響を与える、そうした作品は、やはり格別なものだと思います。
さて、『箱庭ロジック』の話に戻ります。これは『箱庭ロジック』のみならず御厨さんが書く作品全般の傾向だと思うのですが、私は御厨作品を読んでいると、何となく優しさとか癒しのようなものを感じるのですよね。Cabbitの前作『キミへ贈る、ソラの花』もそうだったのですが、晴れた日曜日に窓際からの陽射しを浴びて、カフェラテでも飲みながらのんびりプレイしたくなる、そんな穏やかさをもたらしてくれます。
と、言っても、御厨作品は決して穏やかなことだけを書いているわけではありません。むしろ逆で、御厨作品は、一般的に萌えゲーに分類される作品としては異質と呼べるくらいに、現実の不都合を作品内に取り入れます。
例えば前作『キミへ贈る、ソラの花』は、「死」という人生における究極の不都合1つに絞って、これでもかというほど、そのやるせなさ、取り返しのつかなさを切々と描きました。今作が作品内に持ち込んだ現実の不都合は四方山的で、例えばお金の問題、殆どのキャラクター達が抱えていた家族――とりわけ「母親」の問題、萌美が突き付けてきた「恋に恋する魔法が解けた"その先"」(エロゲのハッピーエンド見てると、たまに『こいつらこのままずっとラブラブしてられんのかな?』って思いますよね)、つきまとってくる面倒なひと(うう、私自身が若干属してる自覚があるので、耳が痛いです)、前作で扱った「死」についても、知人の死を受け止めた上で生きるという形で、軽くですが描かれています。
もちろん、現実の不都合を単に作品内で見たいだけなら「陵辱ゲームでもやってろ」ということになります。御厨さんが、『箱庭ロジック』が格別なのは、持ち込まれた問題に対して、御厨さんなりの答えを用意していることです。
「答え」というのは、やや語弊があるかもしれません。「○○をすればこの問題は解決!」という形で提示されるわけではないからです。『箱庭ロジック』に持ち込まれた問題は、基本的に解決されることなく、主人公達はその問題と向かい合いながら、あるいは敢えて目を背けながら生きてゆくことになります。こうした問題の扱い方は比較的現実的で(現実の問題の多くも即解決はしません)、身につまされるものがあるのですが、問題と心の折り合いを付けてゆく登場人物達を描く筆致の優しさに、私は一種の救いのようなものを感じます。作品の優しさが作品を超えて、私の心に流れ込んでくるような気がするのですよね。
一例を挙げます。
この作品において、金の問題は、一部の登場人物に対して殆ど暴力的なまでにのしかかってきます。真奈はその代表例で、早い話が彼女はお金の為に母親と同様の悪事に手を染めています。それでいながら彼女は「自分は大丈夫だろう」と思っているようですが、まことに貧すれば鈍するというか、プレイヤーの客観視点から見て彼女は全く大丈夫ではありません。真奈が自覚している通り、彼女の行動は少なくとも小早川絵里殺害の幇助行為にあたるでしょうし(故意が認められるか否かは分かりませんが)、彼女が時々取引に関わって高額なお金を貰ったという「Cランク」は、ほぼ間違いなく違法なものであったでしょう。仮に彼女の行為が裁判の俎上に載るとすれば、99.9%有罪判決が下るはずです(裁判の俎上に載ってしまったら、そりゃ冤罪だろうが99.9%有罪判決にされちゃうよな、という中世レベルな日本の刑事司法への皮肉はシャラップ)。そして彼女が逮捕された場合、おそらくお父さんのマスターは彼女を保護しきれません。マスターが彼女の副業を知っているか否かは作中明示されませんでしたが、彼女の副業の為に位置された家に住んでいること、また真奈が稼いだ金が損害賠償に補填されていることに鑑みても、少なくとも「全く知らない」ということはあり得ないでしょう。私はマスターが真奈を娘として大切にしていると思いましたし、マスターが悪い人ではないとも思っていますが、それでも娘を日中働かせて夜の危険なバイトを黙認しなければならないくらい、彼には余裕がありません。余裕を持てるだけの金がありません。だから真奈が逮捕されるような事態にでもなれば、彼女の一家はきっと破滅するでしょう。作中における彼女は、ガラスのロープを目隠しで渡るサーカスの子供のような危うさがあります。
じっさい、御厨さんはそういう危うい少女を描くのが大好きとしか思えないわけで、霧架なんて「ボクは、いなくならないよ。ボクは、必ず、危険な目には遭わない」と誓い、現実にそう心がけてきたであろうにも関わらず、彼女の思いなんて無意味だと嘲笑うかのように両足を切断されてしまいます。そんな御厨さんの悪趣味さは男性の下卑た感情を解放する効果もあるようで、私は『キミへ贈る、ソラの花』の奏菜ちゃん及び『箱庭ロジック』の真奈ちゃんときゃびっとちゃんのAVデビューを心待ちにしている次第ですが、しかし、車椅子探偵はともかく、AVデビュー寸前の彼女達からは、危うさに伴いがちな痛々しさや惨めさ、ウッとくる感じを不思議と受けないのですよね。ここが御厨さんの(捻くれた)優しさだと私は思うのです。
奏菜ちゃんもそうでしたが、真奈ちゃんには生きるたくましさがあります。献血という形で図らずも少女殺害事件に関わってしまった雫がそれを気に病み続けたのとは対照的に、自ら絵里の殺害事件に関わった真奈は「被害者も覚悟してたんでしょ」と、ある程度の割り切りを見せます(もちろん完全に割切っているわけではありません。だからこそ、真奈ルートに入って新が真奈の恋人になってしまうと、彼女は自分が絵里殺害に関わったかもしれないことを新に話せませんでした)。そして、若くしてこれほどまでにキツイ金銭的問題を抱えていながら、お金に苦労したことがないというだけの霧架や新に呪詛を吐きながら、それでも彼女は自分の為にお金を使うことを、こう言い切ってしまいます。
> あたしが元気に生きるために必要なものは全部必要経費!
この言葉にはシビれました。単にこの言葉だけ聞いても、私は「へぇ、そうかもね」としか思わなかったでしょう。ですが散々金の重さを強調してきた本作においてだからこそ、とりわけその重さを引き受けてきた彼女が脳天気に言い放つからこそ、この言葉には力強さと爽快感があります。
これなんですよね、これ! 御厨テキストの魅力は、重たいことと向かい合って、せめぎあって、それでも最後には「幸せに生きてやる!」という強い決意表明に至る、現実の不都合とできるだけ真摯に向かい合いながら最後には生を肯定する、この優しさにこそあります。
(2)母親
さて、真奈は一件明るく元気で、若くして家業を手伝う孝行娘でもありましたが、反面勉強はサボる仕事もできないぶっちゃけ頭がかなり弱いというダメな面もあり(だがそれがいい!)、裏のバイトという闇をも抱えていました。同様に他のヒロイン達も、一筋縄ではいかない多面性を備えています。
一見ドSな雫会長は、ルートに入ると、立場に縛られたか弱い面や、強く友達思いな面を明らかにしてくれます。りるは無垢で素直ですが、その裏返しとして表情も変えずに人の身体を切るという残酷な面(もちろん彼女が無知だったが故にできることではあったのですが)も持ち合わせていました。瑚子は出番がとりわけ多いこともあって、SM好き、友達思い、「母」(自分の母だけでなく、絵里の母や新の母に対しても思うところがあったようです)へのコンプレックス、自己の軽視など様々な側面を見せてくれました。霧架は、シナリオを進めるにつれて、大きな隠し事をしていることが明らかになってゆきます。同時に、初対面での異質な雰囲気が、彼女の奇妙な幼さに起因するものだということも見えてゆきます。彼女は頭が良い反面、世知に疎く、普通の人なら受け容れないような事でも素直に受け止めてしまう危うさがあり(例えば霧架編EDで、落ち込んでいる瑚子から『先輩を貸して下さい』と言われて頷いてしまう)、また彼女の奇怪な行動は、実は全て新ともう一度探偵ごっこをしたいという、偏執的な願いの発露でもありました(偏執的という表現が強すぎると感じるのでしたら、高校生にもなって、小学生の頃ほんの僅かな間だけ遊んだ少女ともう一度探偵ごっこがしたいと思い続けた結果、放課後外套を纏って、口調まで変えた男子生徒を想像してみて下さい)。実のところ、霧架と兄の篝はその偏執さがよく似ています。更にいえば、殆ど奇跡的なまでの幼さと端麗な容姿を備えた霧架を、このままずっと永遠のものにしたいという篝の気持ちも、分からなくもない気もします。その手段として、手足を切って死体を保存したいとまでは思いませんが。
萌美について語ると、かなり長くなります。彼女について語る前に、まずは新の母である礼について話さなければなりません。
私は人の親になったことはないので、あくまで子の立場からしか親子を語れないのですが(御厨みくり氏も同様である気がします。ただし御厨みくり氏は、おそらく性別が私と異なるので、『母親』に対する印象も相応に異なるかもしれません)、礼は明らかに過干渉な親です。息子の部屋を漁る、性的にあけっぴろげな話題を振る、交友関係を一々チェックして、喫茶店仁奈に通っていることが分かれば自分も足繁く通って息子の動向を調べる、息子の話を赤の他人にぺらぺら喋りまくる、息子の黒歴史小説をばらまく――こんなのが親だったら、私なら発狂してしまいそうです。彼女が新の通うスクールカウンセラーをやっていることさえ偶然ではなく、過干渉の一環とさえ思えます(いわゆる、"いじりすぎ"ってやつです。
参考:
http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/books/book005.htm
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-2445.html
)。
じっさい「箱庭の物語」で描かれるあっくんと新の人物像には、大きな断絶があります。あっくんはるぅの行動原理を分析できるほど頭が良く、言葉遣いに力があり、時には霧架をからかったりする行動的な少年として描かれています。対する新は無気力で、無能ではないのですがどこか言動に精彩を欠き、ボイスもウジウジしており、同世代の少女からは逆にからかわれる始末です。霧架も(霧架ルート終盤で)指摘するこうした新の変化は、母親からの常軌を逸した干渉の結果と言えるかもしれません。
では礼は新を愛していなかったのかというと、決してそうではないでしょう。本稿をお読みのあなたが万が一まだ見ていないのでしたら見て欲しいのですが、霧架エンドを見て霧架の鍵②を手に入れてから、萌美ルートやりるルート、瑚子ルートなどをもう一度読み進めると、影で新のために様々な行動を起こす礼の姿が見られます。霧架ルートで「(篝の件を除き)新の行動は全て礼の手の内でした」としつつ、最後の扉を開いた先が「それでも礼は息子のことを愛していました」と描いて締めくくるのは、御厨みくり氏らしい優しい語り口だなと思うのですが、しかし、だからといって「良い母親でした」だけで終わらせないのも御厨みくり氏らしい誠実さだと思います。詳しくは後述しますが、エロゲの分岐構造を利用して、単に「悪い人だと見せかけて実は……」「いい人だと見せかけて実は……」とやるだけなら、他の作品にも見られます。しかし、分かりやすい白黒としてではなく、灰色のキャラクター達を灰色のまま描きつつ、そのキャラクター達へ優しさと愛情を持って描けるのは御厨みくり氏の特筆すべき美点でしょう。
やや脱線した話を戻しますと、礼は確かに息子を愛してはいます。しかし、その愛し方は研究者然とした、息子のプライバシーや尊厳といったものへの配慮がないやり方でした。そもそも、本当に息子を危険から遠ざけたいなら、町を出て行けばいい話です。それができないのは、彼女が「母親」であると同じか、それ以上に「研究者」でもあるからなのでしょう。ここまでは礼の母親としての欠点に絞って書きましたが、彼女は人間的にも問題があります。人死にに至る人体実験を容認したり(終盤における礼の霧架に対する口ぶりを見るに、おそらく礼は篝が何をやっていたのか、薄々勘づいてはいたのでしょう。篝が実の妹にまで手を出すとはさすがに思っていなかったでしょうが、『被害者の少女達が篝によって死に至らしめられること』までは容認していたとも取れます)、傷心の気弱な先生に現ナマを渡したり、またその後も渡した事実ではなく「もっと気を付ければ良かった」と"渡し方"を反省したりするところです。
もちろん、作中の事実として、瑚子ルートで瑚子を助ける時、新がりるをお持ち帰りする時、更にりるを義妹にして「お兄ちゃん」と呼ばせる時など、作中礼が金で解決した問題は数多く、またそもそも、真奈という少女や宝くじエンドの存在などから分かるとおり、この作品は金の力を積極的に認めています。しかし、礼の金の使い方は下品というか、あざとく、人間関係を金で買っているようにも見え、そのやり方に顔を顰めさせるものがあります(田中角栄的とでも言えばよいのでしょうか。伝え聞く彼の言動から、私は、彼が悪い人間だという印象は抱かないのですが、しかし、人の金に対する羞恥心に抵触してしまうような部分があるとは思います)。
さて、一方では研究者として真相に関わり息子を騙していながら、他方では新の母親として彼を守ったり瑚子やりるを救ったりもしていた彼女は、この学生探偵物語を成立させる庇護者の役割を担っていたと言えるでしょう。しかしながら彼女は立場上、新にとってのヒロインたり得ません。いくらエロゲーとはいえ、母親、しかも生々しい嫌な面ばかり見せてくる母親を攻略キャラとするのは、エグすぎてプレイヤーの心が付いて行きません。そんなジレンマを解決するため、萌美は、いわば礼の代替ヒロインとしての役割を担っていたように思えます。
率直に言って、私は萌美、しかも本性を現してからの彼女が大好きです(概ね私の本作キャラに対する好感度をランク付けすると、霧架>萌美、真奈>他のヒロインは平等に好き という感じです)。いいじゃないですか、容姿端麗で頭が良くて料理も得意で、昼間に焼肉食べたがる、ショッピングをパパッと済ませてくれる女の子。喧嘩になった後、仲直りの方法が分からなくて「一般論だけど」と前置きしながら仲直りの仕方を尋ねてくるようなおねーさん。劣情で押し倒しても受け容れてくれるし、3Pだって容認してくれる! 正直、演じていた萌美より、本性の方がよっぽど理想的です。
ともあれ、このルートにおける彼女の在り方が、ひどく礼とダブるんですよね。研究者としての自分と女としての自分との狭間で葛藤した彼女は、研究者と母の間で葛藤した礼と鏡映しに見えます(カスパーは裏切りませんでしたが)。萌美ルートでは「信頼関係は全てを見せなくても成立する」というテーマが描かれましたが、そのテーマは萌美だけでなく、礼の救いのようにも見えます(霧架も隠し事が多かったのですが、彼女は最終的に全てを見せています)。
(3)生きること
このように本作はヒロイン達の光と陰を描きながら、彼女達が生きる姿を描いています。今何気なく「生きる」という言葉を使いましたが、これが本作の特徴だと、私は強く思います。
というのも、ここからは先ほど「後述する」と言った話になりますが、単にキャラクターの両面を描かれただけでは、そのキャラが「生きている」感じを受けないんですよね。そして残念ながら多くの作品は、せっかくキャラクターの両面を描いても、そのうち片方が本音ですと決め打ちしてしまったり、プレイヤーなり読者なりのご想像にお任せします、で終わってしまったりで、キャラクターから「生きている」感じが得られずに終わります。それに比べて、御厨さんの作品は、単に両義性を描くだけに終わらず、その両義性を通じて生きている生々しさ(馬から落ちて落馬するみたいな表現ですが)を感じさせます。
真奈の例をもう一つ挙げると、彼女は同世代の女の子を行方不明(実際は死)に誘った地下通路からさえも、次のような意義を見いだします。
> ここなら二人きりになれる!
つまり「ここでセックスしよう」というわけですが、この奇妙なたくましさに、私は思わず笑ってしまいました。実際彼女、瑚子に負けないくらいセックスに積極的( https://twitter.com/koko55iriya/status/508943889315532800 )だし、新と付き合ってて、とにかく楽しそうなんですよね。この、持たざる者が持つ一種の開き直りとも呼べる強さに、私は強い生の輝きを感じました。
その他色々と書きたいヒロイン達の両義性、私が感じ入った「生きる」姿もあるのですが、それらは3章でまとめて書くことにします。
(4)『遥かに仰ぎ、麗しの』との比較 ※余談です。『遥かに仰ぎ、麗しの』をご存じでないかたは飛ばして下さい
以上の私の言いぶりを聞いて、ErogameScapeをよくご覧になっている方は、もしかすると『遥かに仰ぎ、麗しの』の有名な感想を思い出されたかもしれません( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=7402&uid=%E2%85%A9 )。確かに『遥かに仰ぎ、麗しの』の本校編と『箱庭ロジック』は、合似た部分が少なくありません。両者とも「親」を最重要のテーマに据えていますし、また苦しみや不快をもたらす物事に対して「視点を変える」という解決を提案している点も共通しています。上記感想ではありませんが、以前私は「健速氏は対象関係論(※啓発セミナーでよく使われる用語です。 参考: http://humanbeingasap.blog.fc2.com/blog-entry-239.html )が好きなんだね」という主旨のコメントを見て、苦笑いを浮かべた覚えがあります。箱庭療法も「自分の脳内マップ(ある人が捉える物事同士の関係)を表現して客観化する」という点において対象関係論に通じるものがあり、実際本作は御厨みくり氏が自らの考えや妄想を表現して客観化した「御厨みくりの箱庭」とも言いうるでしょう。
しかし、『遥かに仰ぎ、麗しの』本校編と本作『箱庭ロジック』とは、「視点を変える」やり方が大きく異なります。
『遥かに仰ぎ、麗しの』本校編における「視点を変える」とは、言ってしまえば、マッチョになってしまうことです。健速氏が描く主人公は「何でもできてカッコイイ俺」「みんなの為に自己を犠牲にしてまで頑張る悲劇のヒーロー」「だけどみんなそれを認めてくれない。――いいさどうせ誰にも俺は理解されないんだ」みたいな、男のナルシシズムをくすぐる部分を持っています。そんな主人公が「月から見れば、地上の悩みなんてみんな大したことないさ」みたいに自意識を極大化した挙げ句、「誰も俺を分かってくれないけど、ただ一人素の俺を理解し受け容れてくれるヒロイン」みたいな都合のいい存在がでてきて、自分を全肯定してくれる、自分の世界の王様になってしまう、これが彼が描くテキストの救いです。男の夢っちゃ夢なんですけど、「男性本位のご都合主義」という批判は免れがたいところでしょう。憶測ですが、多くの女性から見たとき、エロゲーであることを差し引いても、『遥かに仰ぎ、麗しの』本校編は気持ち悪い話であるような気がします。
それに対して、御厨みくり女史は、その作品から誠実さが強く感じられます。外連味を極力排したテキストを書き、虚仮威しの言葉を使いません。また、自分の内面に丁寧に向かい合って話を作られる方で、それゆえに、論理性に欠けるきらいがあるにも関わらず、作品の主張が崩れません。そんな方が書く作品なので、『箱庭ロジック』がもたらす生の肯定は、『遥かに仰ぎ、麗しの』に比べて泥臭く分かりづらいものです。しかし、結局は自分の殻に閉じこもり現実逃避することで救いをもたらす健速テキストと異なり、限りなく現実と向かい合った上での肯定をもたらしているという点で、『箱庭ロジック』は『遥かに仰ぎ、麗しの』よりも文学的に上を行く挑戦だったと言えるでしょう(もちろん文学的=良い作品ではありません。現に私は『遥かに仰ぎ、麗しの』に『箱庭ロジック』よりも高得点を付けています。 参考: http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2152_6546.html )。
2.この作品で物足りないと思ったこと、改善できると思ったこと
この作品は特に設定において、非常に粗の多い作品です。プレイすれば誰もが気づくであろうこの問題をまず指摘しますが、予め言っておきますと、私はこの作品における「設定の粗の多さ」があまり重要な問題であるとは思っていません。上述したように、私はこの作品の主張が「身につまされるような身近な問題があるなかで、生きることの賛歌」にあると思っているので、身近でない社会的な部分のお話がメチャクチャでも、作品の価値はあまり減じないと考えるのです。
身も蓋もない喩え方をするなら、「政治経済の理解がデタラメなお姉さんの話でも、日々のやりくりや姑と上手くやる方法については、聞くべきものがある」ってことです。
さて、そんな訳ですからこれ以降はしばらく読み飛ばして下さいませ。
えーと、前提段階からして、「家族全員ではなくて誰か一人の了解さえ取ってしまえば(しかも親ですらなく、兄でもいい)本人の了解さえなくても人体実験を行える」という設定があり得ませんよね。家族の了解を取る、というのは、もちろん騒がれないようにするための措置でしょう。だからこそ、了解を取るのであれば、それは家族全員でなければなりません。というか、100歩譲ってこのシステムを認めるとしても、だとすれば瑚子の父親は、瑚子を売るくらいなら瑚子の母親を売れば問題が解決したということになります。そうした意味でも設定がメチャクチャです。
地下通路の設定についても粗があります。出入り口がある程度限られるということは、当然、その周辺で不可解な目撃証言が多くなることを意味します。「喫茶仁奈の近くで、いつも人がいなくなるね」といった具合にです。さすがにこうした目撃証言を、全て統制できるはずがありません。
警察関連についても雑さが目立ちます。マスコミの誤報を訂正しなかったり、一少女の唐突な通報を真に受けてかなりの数の警官を教会に差し向けたり(このシーンは、瑚子が通報したことにするのではなく、霧架のバックアップの組織を通して警察に依頼したことにした方が、まだ説得力がありました)、車椅子探偵からまともに事情聴取している様子が見られなかったりと、素人目にもおかしいです。千羽大学の方も、両手足を切り取った少女を路上に放置するつもりだったようですが、警察を舐めすぎです。彼女達は地下通路・危険なバイト・といった情報を持っており、警察が彼女達の証言から真犯人に辿り着くことは容易でしょう。
そもそも、たかだか一大学程度が力を持ちすぎです。仮に大学が市役所と結託しているにしても、警察は県の管轄にあるのですから影響を及ぼせないはずです。そしてこれだけ大がかりな実験を警察の協力(または黙認)なしに行うことは、不可能でしょう。また、CGから想像できる街の規模などを鑑みるに、この実験には少なく見積もっても数千億円単位の金が動いているはずですが、それだけのお金を動かしたにしては、実験の規模が小さく、見合った実入りがあるとは思えません。
さて、他にも山ほどツッコミどころがあるのですがこの辺にしておきます。ただ、この辺りは御厨さんの不勉強・考え不足から来ていることが明らかな上に、これだけ間抜けな組織であるにも関わらず「そんな学生の探偵ごっこで、千羽大学も、この街も、揺らがない」などと礼がドヤ顔しちゃってるものですから(実際は、篝の変態シスコン行動だけで揺らいじゃいましたね)、どうしても批判したくなるでしょう。私もこの作品が気に入らなかったなら、ボロクソに叩いたと思います。
また、「ヒロインとのイチャイチャが少ない」というのも誰もが思いつく批判でしょうが、この作品に対する重要な批判にはならないと思っています。予算の問題からこの程度の規模のゲームしか作れないという制限の中、推理要素を入れるという時点で、この結果は分かりきっていました。じっさい、このゲームはプレイしていて「推理が冗長だなあ」と思った部分は見あたらなかったので、推理部分が削れず作品を大きくもできない以上、イチャイチャをこれ以上増やす余地はなかったはずです。もっとゲームの規模を大きくしろと言うのでしたら「もっとSkyFishのゲームを買って予算に貢献してね♪」となるでしょうし、萌えゲに推理を加えたコンセプトが間違っていたと言うのでしたら「何でこのゲーム買ったの?」としかならないでしょう。
前置きが長くなりましたが、私が思うこのゲームの本当の問題点は、以下の3つだと思います。
(1)霧架が可愛すぎたこと
(2)テーマの描写が前作『キミへ贈る、ソラの花』に及んでいないこと
(3)各シナリオの関わりがあまり有機的でないこと
順番に説明してゆきます。
(1)霧架が可愛すぎたこと
「ふざけてんのか」あるいは「諧謔のつもりか」などと思われたかもしれませんが、私は大まじめです。おそらく、御厨さんが想定した「霧架の可愛さ」を実際にプレイヤーの受け取った「霧架の可愛さ」が大幅に上回ってしまったが故に、このゲームはプレイヤーの共感を大きく損ねてしまいました。
例えば、序盤において夕暮れで新が霧架と町の捜査を誓うシーン、私は何も思うところがありませんでしたし、おそらく大多数のプレイヤーにとってもそうであったでしょう。まずその前段階で、唐突に新が霧架の捜査に疑念を抱くところから訳が分かりません。
いや、理性では分かるのです。校内でほどほどに聞き込みをすれば雫への義理は果たせると思っていたのに、どんどん怪しい話に持っていこうとする霧架に新が疑念を抱くのは、通常の感覚では分かります。
「通常の感覚では」と前置きしましたが、もちろんプレイしていた当時の私は通常の感覚ではなかったわけで、いわば「萌えゲーの魔力に囚われてしまったから」霧架の異常な行動に対する耐性が極端に高くなってしまい、新への共感ができないという状態に陥っていました。
このゲームでちゃんと新に共感する為には、まず霧架が怪しげなケープを羽織って、変な口調で唐突に捜査の協力を求めた時点で、「なんだコイツ……」と思わなければならなかったのでしょう。ですが、まことに申し上げにくいことですが、このシーンにおいて私が霧架に抱いた感情は「か、可愛い(はぁと)」だったのです。
以降、新と私との気持ちの乖離は続きます。霧架が時折意味不明な言動を取って新が訝しんでも、私は「霧架たん萌え-」と思考停止してましたし、霧架が何かを隠していることが明らかになって、新が色んな感情を抱いた上で最後に霧架を信じたとしても、私は「霧架信じられるに決まってるじゃん。だって可愛いし!」としか思っていませんでした。真奈が霧架への懸念を深めるよう新に揺さぶりをかけても、私は100%霧架の方が正しいとしか思っておらず、その裏返しとして真奈の方に何か後ろ暗いことがあるのだろうという考えに疑いすら抱きませんでした(結果的に、それは当たっていました)。
そう、御厨さんは分かってないのです、我々萌えゲーユーザーが信じる「可愛いは正義」という宗教のチカラを!!!!
じっさい、霧架が「捜査の為に必要だから」と言って夕暮れの町でたい焼きを盗んだとしても、私は彼女を信じ続ける自信がございます。余裕です。霧架は頭が良い設定でしたが、仮に彼女の言動がうぐぅうぐぅと擬音だらけで脳たりん丸出しの支離滅裂だったとしても、彼女の言動には必ず意味があるのだと信じて付いていったことでしょう。御厨さんは女性だからか知りませんが、我々萌えゲーユーザーの業の深さがまるで分かっていない!!!!
てなもんですから、霧架が繰り返し述べる「ボクを信じてくれてありがとう」という謝辞の深さも、新が真奈ではなく霧架を選んだ時の涙の重さも、まるで私には伝わってきませんでした。ハハッ、カワイイ教の女神様を私が疑うわけないでしょう? おっと、そこの残念な新くんは女神様を何度も疑ったようですがね(残念なのはdovお前だ)。
我々萌えゲーユーザーのようなトンチキを相手に商売するなら、もっと霧架の残念パラメータを極端に振るべきだったのです。捜査と称して犯罪スレスレの行動を繰り返し(ありきたりですが、新に女装させて梅影女学園に潜入させちゃうくらい)、言ってることは常に電波、『新くんはそんな人じゃないもん!』などと幼い憧憬をウザイくらいぶつけてきて、それでいて好意だけは鬱陶しいくらいに丸出しで捜査も完全にデート気分――ここまでやっても、霧架に疑念を抱くことができたか、正直疑わしいくらいです。霧架だけがこのゲームで突出して変人に見えるよう、他のキャラの残念度も大幅に下げる必要さえあったかもしれません。
自分でも相当気持ち悪いことを言っていることは承知しています。しかし、本当に「萌えゲー」というジャンルは、ユーザーの思考を停止させてしまう魔力を秘めているのです。それはある種の少女漫画で、ダークなイケメン主人公が犯罪そのものの言動を繰り返しても、読者に本当はイイ人だと思われ続けるようなものです。ONE PIECEのビビ王女が、何人も海賊を殺しておきながら善人扱いされているようなものです。こうした読者のバイアスを乗り越えるだけの強烈な残念さを霧架が備えて初めて、私は御厨さんが伝えようとしたことに近づけるように思えます。誰もが信じてくれない答えに向かって、殆ど狂人めいて進んでゆく霧架。そんな彼女に何度も懸念を抱きながらも、何度も選択を強いられながらも、そして実は彼女に隠し事をされながらも、最後には信じてついてきた新。この構図をきちんと感情レベルで受け入れられてこそ、霧架が新に向ける感謝、彼女が垣間見せた葛藤、そして新を騙し続けたことに対する土下座の意味の深さにも至れたと思うのです。全てを見せてくれない相手を信じる新の度量を感じることができたと思うのです。
御厨さんには申し訳ないんですが、現状では霧架の言動は萌えゲ基準で真っ当にしか感じられず(じじつ、SkyFish過去作のヒロイン達と比べると圧倒的に真っ当です)、その結果霧架の苦しみや強さを、私は全く感じることができませんでした。――だからといって、私は霧架が可愛いだけの子だとは思っていないのですが、その点について詳しくは3章で書きます。
(2)テーマの描写が前作『キミへ贈る、ソラの花』に及んでいないこと
もちろん『キミへ贈る、ソラの花』の「死」というテーマはある意味究極のテーマなので、「金」や「母親」といったテーマはどうしても相対的に軽く見られるという点は差し引いて比較すべきでしょう。しかしその上でも、今作には前作ほどの強烈な飛翔感がなかったと思います。
というのも、前作で描かれた「死」というテーマは、「生きる私たち」との絶対的な線引きを墨守しつつも、最後には物語内において乗り越えられてゆきました。『キミへ贈る、ソラの花』で描かれた、「死んでも生きている」「死者と愛を紡ぐ」という、ソラに咲く花よろしく非現実的な、祈りのような光景は、しかしそこまで物語を読んできた私にとって、現実世界でやがて死にゆく私にとって、束の間それを忘れさせてくれるだけの妖しくも眩しい美しさがありました。この超現実的な描写を「あり得ない」と一蹴するか私のように称賛するかは評価の分かれるところでしょうが、私は、「現実」を超えてこそ物語には価値があると思っています。「現実」を追認するのではなく、「現実」を変えてしまうモノこそが「物語」だと思っています。
(『物語』が『現実』を変えた例として、宗教やら貨幣やら共産主義やらニュートン力学やらを挙げても良いのですが、割愛します)
また、「死と生」にだけ注力して書いた『キミへ贈る、ソラの花』に比べ、『箱庭ロジック』は四方山的なテーマを扱ったこと自体が欠点と呼べるかもしれません。テーマが多くなれば当然各テーマの踏み込みが浅くなってしまうのですが、かといって、およそ人が出会うおおよそのテーマを扱うバルザック的な懐の深さ( http://133.12.17.160/~balzac/ )を、本作が得られたわけでもありませんでした。タイトルに「箱庭」という単語を入れた辺り、本作はおそらく後者を目指したと思うのですけれどね。
(3)各シナリオの関わりがあまり有機的でないこと
これは「ルートロックが必要なかった」という批判の仕方もできるのでしょうが、私はルートロック自体は肯定した上で、それを活かせなかった各シナリオの方を批判することにします。
最初の霧架と珊子のロックは悪くなかったと思います。両者のシナリオの違いを浮き彫りにし、また、霧架ルートの捜査が全然進展してないことによる霧架の胡散臭さを演出できていたからです(その演出にも関わらず、私は霧架を疑うことができませんでしたが)。
雫ルートは及第点と呼ぶべきでしょうか。彼女の内心は彼女のルートで語られる為に、霧架ルートがテンポ良く進みます。また、特に霧架ルートから進めていると、「え、雫が何を隠してるの?」と期待の膨らむ部分がありました。
真奈ルートはあまり褒められません。霧架が「ボクを信じないことによって、見える真実もあると思う」と言ってくれたのとは裏腹に、真奈ルートから得られる新情報が(私の記憶違いでなければ)全くなかったからです。せいぜいが真奈の可愛い側面でしょうか。私は真奈が結構気に入りましたし彼女のルートも好きではあるのですが、全体との繋がりでいえば、希薄と評価せざるを得ませんでした。
りる、萌美に関しては完全に本筋と無関係でした。これでは何の為のロックか分かりません。
以上の指摘は、私が「どの情報をどのルートから手に入れたか」をあまり覚えてはいない為に、的外れであるかもしれません。しかし、確実に言えることが一つあります。それは瑚子ルート終盤の物足りなさです。
結局霧架ルートの前座扱いに終わった瑚子ルートでしたが、とりわけ終盤の展開には落胆させられました。それまで一応「事件の構造にアプローチする霧架ルート」「人の内面にアプローチする瑚子ルート」という区分けがあって、両者のシナリオは互いに補完しあう構造になっていたと思うのですが、瑚子ルートの最後の扉を開けてから彼女のルートをクリアするまでの間に、新情報が一つもなかったのですから。言い換えると、瑚子ルート終盤は完全に分かりきった結末に向かう話だったということです。
こういう批判の仕方はよろしくないのかもしれませんが、そもそも御厨さんのテキストは、あまりロジカルではありません。彼女のテキストで、シナリオのロジカルさを前面に押し出した作品を作ることは、そもそも適性が合わなかったとも思えます。
3.わたしがこの作品で気に入った点、妄想など
この作品の「良さ」を論ずるにあたって、欠かせないのが霧架のあざといまでの可愛さでしょう。上では批判的に「霧架が可愛すぎる」と書きましたが、今度は肯定的に「霧架が可愛すぎる」ことを書いてゆきます。
おそらく少なからぬプレイヤーが感じたことだと思いますが、霧架には、周りにいる人のありのままを肯定してくれる包容力があります。この「ありのままのボクをやわらかーく受け入れて包んでくれる」という魅力は、8割方ロリコンがロリキャラに求めるものでもあり、マザコンが年上キャラに求めるものでもあるでしょう。ロリコンの需要もマザコンの需要も満たせる霧架が凶悪な魅力を放つのは、至極当然といえますな!
かく言う私も霧架の可愛さに萌え転がった一人で、昨日霧架の夢を見ました。10歳くらいの年齢に戻った霧架が親戚の女の子で、私に好意を寄せてくれるんだけど私は周りの目が気になったりで受け入れられない。実家の居間でたまたまロリ霧架と2人きりになって、2人で一緒のコタツに入って、時計の音だけが響く中、霧架が「お兄ちゃん、好き……」と潤んだ目で見上げてきたので、「おれもだよ」と答える覚悟を決めたところで目が覚めてしまいました。目覚めてしばらく、破滅的な気持ちよさの余韻が残っていたのを覚えています。
夢を見る程に気に入ったヒロインというのは、私が見てきた600以上のヒロインの中でも名雪や夜々など数えるほどしかおらず、しかも彼女達はシナリオも極めて高評価な作品のヒロインでした。私は『箱庭ロジック』のシナリオを『Kanon』や『Clover Point』ほどには評価しなかったのですが、それでも夢に見てしまうくらい、霧架が魅力的なヒロインだったということでしょう。
話がやや逸れました。真奈は霧架を「話しやすい」と評価していますが、じっさい彼女は、こちらがどんな奇天烈なことを口走っても聞き流したり誤魔化したりするのではなく、真剣に考えた上で答えてくれそうですし、しかもその本音はこちらがあまり傷つかないようなものであるような気がします。登場シーンでいきなり「やあ――見つけたよ(中略)えっ、い、いや……、和久井新くんよね? だよね? ボク、ちゃんと確認したし……え、なんで? なんで?」と弱さを見せてくれるのも、教会でシスター服を着て子供達に姉のように接しているのも、彼女の柔らかな包容力を感じさせてくれてたまりません。「箱庭の物語」でも、彼女が色んな子を相手に偏見無く接していること、またそんな彼女には色んな子が本音で話してくれることを示唆しています。篝が最後に霧架に変態趣味を暴露した時ですら、それが極めておぞましいものであり、またその変態趣味の牙が自分に向けられていたにも関わらず、霧架は努めて冷静に、まともに、最後まで兄を信じるように応対しています。ただそれだけでも、篝は救われた部分があったんじゃないでしょうか。
そうした包容力と共に、彼女は危ういまでの優しさ、純粋さを備えています。新を想い続けて変態行動を続けていることもそうですが、「自分の危険なんて、どうでもいいよ。ボクが見ない振りをして、傷付く人が増えている事実より、ずっと」と言い切ってしまえる彼女には、やはりどこか幼さを感じます。しかしその幼さに、なんだか私は自分がずっと昔に失ってしまった綺麗なものを見ている気になれるのです。
もちろん彼女は聖女なんかではなく、真実から目を背けていた雫に少しキツイ言葉を放ったり、ログを表示すると「証言は聞き逃さないようにね」と言ったり、探偵気取りのちょっとした鬱陶しさもあります。が、これも新への愛情故と思えば微笑ましく、むしろ彼女のリアリティを高めるのに一役買っていると言えるでしょう。
さて、そんな彼女と真奈との関係もかなり萌えます。以下に列挙するように、二人は殆ど真逆と呼べる存在です。
・見た目が異様な霧架/見た目は普通(な設定)な真奈
・頭の良い霧架/頭の悪い真奈
・自分の見えないところで被害者が増えることが許せない霧架/危険なバイトだと薄々感じていても自己責任だと割り切り勧める真奈
・「お金は問題じゃない」と言い切る霧架/お金を最大の問題としている真奈
しかも「箱庭」の件では真奈と霧架は決定的に対立し、真奈は新が霧架を疑うよう揺さぶりをかけ、最終的には金銭的な収受という手打ちに至ります。
ここまでやったら普通、お互いの関係は修復不可能になりそうなものです。ところがその後も、霧架は普通に真奈に会いに行ってますし、真奈も「また遊びに来てね」と霧架を誘い、霧架エンドでは霧架を「友達」と呼んでいます。友情が一筋縄ではいかないと感じるシーンです。
ここからは妄想になるんですが、対立している時ですら、二人の間にはなんとなく信頼関係があった気がします。真奈が秘密を話しても霧架が金を持ってくる保証はどこにもなかったのですが、彼女は「出来なかったら……許さないよ」などと実効性のない可愛い脅しをかけつつ(この辺の足りなさがほんと萌えます)、霧架を信じて情報を教えました。対する霧架も新に対し、「真奈ちゃんがそんなに酷い子に見えるかい?」と、真奈を庇っていますが、じっさい、霧架が真奈に渡した額はそこまで高額ではなかったように思えます。学生には用意できない、また札の枚数を一瞬で数えることはできないが、封筒に厚みが生まれない程度(封筒が分厚ければ、流石に『千円札が数枚』という誤魔化しはできないでしょう)というと、15万円~25万円くらいでしょうか。これくらいが、小市民的な、しかし金に関してはシビアな真奈にとっての「法外な請求」であるような気がします。また、この額でも、住み込みの仕事+喫茶店での売上から損害賠償を捻出している一家にとって、2,3か月分くらいの捻出額にはなるでしょうから、大変助かるはずです。
基本的に真奈がやっていることは「悪いこと」です。上述した通り、マスターも無関係ではなかったでしょう。それでも、私はマスターと真奈の父子を嫌いにはなれません。
霧架も同じだったのではないでしょうか。真奈は「悪い」のだけれど、同時に彼女なりの線引きと、母親に会いたいというそれ自体は純粋な願いををもって必死……いや必死とまでは言えないか……それなりに頑張って生きてもいる。そんな彼女の生きる姿に対して、霧架は好ましく思うものがあったのかもしれません。逆に真奈は霧架を(変な人と評した上で)「話しやすい」と言っていますが、実際霧架は人当たりが柔らかく、少し抜けたところも手伝って、周りの人がありのままでいることを許容するような包容力があることは前述した通りです。彼女、自分を「友達が少ない」と卑下していますが、いわゆるリア充でないだけで、彼女を好ましく思って助けてくれる人は、きっと周りにいっぱいいると思うのですよね。コロッケ屋のおばちゃんとか。そんな彼女の飾らない姿に、真奈も自分の汚い部分を見られてなお、安心できるものを感じていたのではないでしょうか?
二人の間にしこりは残っているのかもしれません。しかし、嫌な経験を経ながらも、どこかでお互いを認め合っているように見える二人の姿は、「人が生きる姿」を描く御厨みくり氏の真骨頂だと思いました。
私から見て真奈と好対照の位置にいるキャラが、篝です。この人、一応作品のラスボス的な立場にいるのですが、その割に霧架に対して、梅影女学院でも行方不明事件が起こっているという重要情報を明かすなど、言動が一貫してないように見える部分もあります。
もちろん「御厨みくりの考えが足りなかったんだろ」で終わらせることは可能ですし(この作品の設定の杜撰さを考えると、仕方のないところです)、考察するにしても素直にやって「霧架を重要情報に近づければ近づけるほど、彼女を人体切断する理由が大学側にとって大きくなる」とでも考えるのが一番ありうる落としどころかもしれません(ただし『そんな学生の探偵ごっこで、千羽大学も、この街も、揺るがない』という礼の発言と整合しない解釈です)。しかし私は思うのです。篝は本当に厚意のつもりで、霧架に重要情報を提供したのではないかと。彼は常に霧架の味方のつもりだったのではないかと。霧架のことを心から愛している、しかし同時に霧架の死体が欲しい、両者の感情が篝の中で共存できていたとするのなら、彼の姿は最大の味方でありながら敵でもあった礼に似ていると、敵対しながら友人でありつづけた真奈とは対照的だと、そんな風に思えるのです。
篝については与えられた情報があまりにも少なく、彼について考えるのは殆ど考察というより妄想めいてしまいます。しかしその妄想を敢えて書くのなら、篝については、「父親」がファクターになっている気がします。
篝と霧架の父親はかなり厳格な人物であることが示唆されており、篝は自分が千羽市にいることを、母親にだけは伝えていたといいます。また、篝は「くだらない教えに、霧架や子供たちを縛り付けて」と両親を批判してもいます。これらの情報から妄想できることは、霧架の父親は、特に息子である篝に対してかなり支配的に振る舞っており、母親は父親の教えを盲信していたという可能性です。父親の支配が篝を歪め、霧架の優しさが篝の救いになっていたと考えれば、彼の行動はある程度理解できるような気がします。更に踏み込むなら、彼はどこかで、自分や千羽大学の行いが明るみに出ることを望んでいたのではないでしょうか。彼は自らの行いが悪だと自覚していた(だからこそ、"僕の"正義と呼んだ)ようですし、自分が気持ち悪い極悪人として逮捕されるのは、これ以上ない父親に対する反抗でもあるでしょう。
以上、ここまでは気に入ったキャラの妄想について書いてきましたが、最後に気に入ったシーンやCG、音楽などを挙げてゆきます。
(1)町中でりると会う
よく見ると背景に前作ヒロインのまつりや杏ちゃんがいて、しかもりるが自分を死んじゃったなどと言うものですから、幽霊の話が今作にも絡むのだろうかと錯覚してしまいます。
小ネタを作品のストーリーにも絡めた、上手い演出だと思いました。
(2)萌美の本性が判明した後
超萌えます。萌美にも新にも。
消極的だのなんだの言われる新ですが、この時だけは非常に行動的になります。発言も「わかんねーよ! 作られたとか言われたって!」みたいに激しくなっています。
正直、礼が町の真相を明かした時以上に怒ってるように見えます。猟奇殺人は許せても俺の純情を弄びやがったことは許せねぇ! 正直です。普段ウジウジ君な彼が思わず声を荒げてしまう辺りに本気を感じました。
「わかんねーよ! 作られたとか言われたって!」の時は萌美も感情的になって言い返してるんですよね。この時点で「ああ、萌美も心から新が好きだったんだな」と察せられるので痴話喧嘩のように聞こえます。
この時の萌美の問い詰めも楽しかったです。
萌美「だけど、カップルって何? 特に学生。そのまま何年も付き合って結婚するの?」
萌美「でも、世間一般的にはそうじゃないでしょう?」
新「え……、えっと……」
萌美「そうじゃない、そうじゃないのよ」
萌美「なら、恋愛とは何なのかしら。性欲を満たすためのもの? それとも、恋愛をすること自体が本能なの?」
萌美「特に若い男女は恋人がいることに酷く執着するでしょう?」
萌美「なあに? それがステータスなのかしら?」
萌美「でも、誰でもいいわけじゃないでしょう?」
萌美「特に学生なんて、成績や運動神経、顔や性格でしか判断できないじゃない」
萌美「あら、ごめんなさい。喋りすぎちゃった。でも、どう思う? どう思ってるの? それだけ聞かせてちょうだい」
新「……いや、そんな難しいこと考えてないけど……」
萌美「考えてないの? 考えてなくていいの?」
新「いや、なんか、考えて好きになったり恋愛って、みんなしてないんじゃないかなって言うか……」
萌美「……そう。随分本能的なのね」
新「いや、本能的って言われるのはなんか違う気がするけど」
このシナリオ、深読みすれば「シナリオ中は理想に思えるヒロインだって、付き合っていけば色々嫌な面も見えてくるかもしれないでしょ」というプレイヤーへの問いかけにも思え、色々と妄想が捗ります。
(3)「作られた容姿」
萌美「作られた容姿と、作られた性格と。それだけで貴方は恋に落ちたわけだけど」
新「……作られたって……」
萌美「ああ、整形したわけじゃないわよ? 少女らしい趣味を持ち、容姿に気を遣い、最新ファッションを追いかけ……」
この時点で「萌美って前作の雛菊みたいなキャラだなあ」と思ってたので、思わず笑ってしまいました。
前作の雛菊も「自分の力だけで、手に入れるものはなんでも手に入れた」「地位も、名誉も、仕事も……、容姿すらも……」みたいなことを言ってて、プレイ時私は(あれ、雛菊整形したの?)とか思ってたんです。
おそらく似たような感想を抱いた方がそれなりにいて、御厨さんはどこかでそれを耳にしたのかもしれません。こういうファンサービスは嫌いじゃないです。
(4)エクストラ画面
エクストラ画面を開くと、霧架と瑚子がカラオケしてるCGが表示されるじゃないですか。なぜかこのCGにホッとします。幸せな日常を感じて涙が出ます。流れてるBGM『いらっしゃいませ』の影響もあるのかもしれませんね。この曲、一応真奈のテーマ曲なんですが、全然彼女とイメージが結びつかないというw
(5)「行ってらっしゃい」
ベタなのは承知の上ですが、やっぱり各ヒロインのシナリオをクリアした後で「行ってらっしゃい」と言って貰えるシーンが大好きです。特に莉瑠。このシーンは、後述する、あまり一般受けしないSkyFishイズムが炸裂してるシーンでもあるのですが、ちゃんと一般受けする感動的なシーンに昇華できているという点でも嬉しい。
(6)霧架の服装あれこれ
彼女、どの服装も魅力的ですよね。探偵服もあれはあれで可愛いですし、休日の私服には思わずドキッとしてしまいました。探偵ケープを脱いだCGにも新鮮な魅力を感じましたし、シスター服のCGは幻想的でとりわけお気に入りです。彼女は本当、容姿も内面も魅力的すぎてヤバイ。
(7)『あなたを守らせて』
MANYOさんの曲はどれもこれも魅力的で「これが一番」を決めるのは非常に難しいのですが、敢えて決めるなら、本作ではこの曲になるでしょうか。作中では「真実と向かいあう苦しさ」を感じるシーンでよく流れていたように思えます。
4.【おまけ】SkyFish作品としてどうだったか
SkyFish(念のため補足しておきますと、CabbitはSkyFishの姉妹ブランドという位置づけで、スタッフがほぼ共通します)というメーカーの作品の傾向を、私は以下のように捉えています。
・作画や音楽、またそれらが織りなす世界観を職人気質と呼べるまでに作り込み、どの作品も官能的とさえ呼べるできばえとなっている。
・ループ構造に意識的なシナリオが多く、そうであるが故にヒロインの「死」や「身体の欠損」といった重大な不都合も割とよく出てくる。それらを「あくまで無数の可能性の内の一つ」と扱うスタンス
・「絵も音楽も世界もキャラも、シナリオ全ての可能性も、更に描かれなかったシナリオの可能性も、"全てを1つとして愛して欲しい"」という願望が見え隠れする。この願望のためにSkyFishは作品の要素を渾然とさせる演出が多く、1つ1つを独立に(特にシナリオやキャラは)評価したい大半のユーザーに嫌悪感を喚起させてしまう悪癖がある
・二股や浮気といったシチュが気軽に、そして頻繁に出てくる。また基本純愛作品を作るメーカーのくせに陵辱(やSMといった陵辱もどきの)シーンも頻繁に描くが、これらも「あくまで無数の可能性の内の一つ」「作品全てを1つとして愛して欲しい」というスタッフの認識と願いに拠るものと思われる
※悪癖だのおぞましいだの言ってますが、私はSkyFishのやり方が個人的に大好きです。
SkyFishをこう評価するとき、本作は中々上手くSkyFishのやり方を一般ユーザーに受け入れられる形に落とし込んだと思います。
一般に受け入れられづらい3PやSMはIFシナリオや公式HPのSSという形で物語の外側に起き、プレイヤーの嫌悪を買わないような配慮がなされています。また、「作品全てを愛して欲しい」という欲望から、SkyFishは面倒な物語の構成を取ることが結構あるのですが(物語を非直線的に描いて頻繁に時系列が飛んだり、極端な例だと『Aヒロイン攻略ルート→Bヒロイン攻略ルート→Cヒロイン攻略ルート→Bヒロイン攻略ルートといった具合に主人公が平行世界である各ルートの跳躍を繰り返してヒロイン達の処女を食い散らかす』という、一般的な萌えユーザーから見て、おぞましい話を作ることすらあります)、今作ではチャートを用いることで、今現在の物語の立ち位置が分かりやすくなっています。この方式ならばかつてのSkyFish作品に向けられたような批判(今誰を攻略してるかわかんねーよ! つーかわけわかんねーよ!)は避けられるでしょうし、実際『箱庭ロジック』に付いたレビューを概観したところ、そうした批判は見あたりませんでした。
また、このゲームはほぼ全編に渡って主人公が各ヒロインと1対1でやりとりを続けています。それはヒロインの内面に立ち入る為にも、自分の内面と向かい合う(なにせこのゲームは箱庭療法の『箱庭』ですから)為にも必要でしたが、その構成にどうしてもつきまとう寂しさを緩和する役割を、各ヒロインの攻略が全体クリアの過程となるような構成は果たしていたように思います。
理由はよく分からないんですが、主人公が目的地を目指す過程で、次々と人物が登場しては退場していくような作品って寂しくないんですよね。『天空の城ラピュタ』において、パズーの友達と呼べる相手はシータしか登場しなかったにも関わらず、同作品は少なくともラピュタに辿り着くまで、寂しい作品ではありませんでした。仮に学園モノでパズーの友達がシータしかいなかったら、さぞかし寂しい作品になっていたことでしょう。