「無印Fateと同種の面白さを目指した伝奇作品。ただしFateに比べ設定が煮詰まりきっており構成力・文章力が格段に高いものの、物語の規模や外連味は大きく劣る」とでも評価すべきであろうか。今の時代の風潮に合っているとは到底言えない作品である。しかし、このゲームには確かにエロゲー新時代の萌芽が感じられる。それが人々に受け容れられるか否かは別として……。
--目次--------------------------------------------------------------------------------------------
1.「客観的」を目指した一応の評価(ネタバレなし)
2.なぜ昨今のエロゲーを「つまらない」と言う人が増えているのか(ネタバレなし)
3.この作品が見せてくれた「未来」(ネタバレあり)
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1.「客観的」を目指した一応の評価(ネタバレなし)
このゲームが与えてくれた感動と失望を未だに処理しきれずにいる。率直に言って、このゲームが「終わってしまったこと」がどうしても受け容れられない。
今の感情をどう表現したら良いのだろう。100m走に喩えてみたい。
このゲームは確かに60m地点までぶっちぎりで走っていたのだ。一般に名作と呼ばれるあのゲームよりも、批評空間で中央値90点以上を稼いでいるあのゲームよりも、このゲームは先を行っていた。……ところが、70mの地点でこのゲームはもうゴールしてしまったかのような満足げな表情を浮かべ、試合を降りてしまった。その傍を往年の名作どころか数多ある凡ゲーすらも追い抜いて行った。
結果だけを見れば「まぁ、いつものSkyFishだったよね」と評されるような「中の下」である。
もう試合は終わっている。観客席にいた人々は次々と帰り始めている。私は試合が終わってしまったことが受け容れられずに呆然と坐っている。……そんな気分だ。
このゲームの感想を書くのは今までで一番辛かった。何度もプレイしたし、考察も重ねたし、プレイメモは1万字を超えている。しかしそれらを何度組み上げてもこの作品を語り得た気がしない。終わりを認めたくないのかもしれない。感想を書けばそこに自分は何かの区切りを感じてしまうであろうから。
この希有な才能を持ったスタッフと彼らが生み出す作品を評価するとき、どうしても私は主観的にならざるを得ないが、おそらくこう評価して良いのではないか。
- 悪かった点 -
・物語が駆け足でぶつ切り
・シナリオの70%以上が共通であり、エンディングも水増しが多く、二週目以降の作業感が強い
・フルプライスなのに立ち絵ポーズ一種類CG67枚音楽15曲ヒロイン3人とゲームの規模がミドルプライスに毛が生えた程度
・感動シーンや熱血シーンの盛り上げ方が下手くそで、外連味がない
・誤字が多いなど、所々に「やっつけ感」がある
- 良かった点 -
・設定が極めてよく練り込まれている(この点だけを取り出せばエロゲーで最高峰。このゲームの右に出る作品を私は知らない)
・安易な萌えに頼らず、どのキャラも個性的で魅力的(だが、それは魅力的だが攻略できないキャラを大量に生み出す結果ともなった)
・数少ないCGや音楽は質が高い
・相変わらずテキストは説明が極めて上手い(いわゆる『文章力』は王雀孫氏と同等程度だと思う。が、あまりにクッキリと明確に説明してしまうため、ぼんやりした表現に『文学』を感じるプレイヤーは下手だと思うかも)
・プロットも非常によく出来ている(この点についても批評空間で中央値90点を取るゲームと比べて何ら劣る点がない)
中央値90点作品に匹敵だの王雀孫氏と同等だのは私のひいき目が多分に含まれているとしても(私の主観からはこのようにしか見えないのだが)、この作品の設定・プロットが非常に優れていることは他の方も長文感想で言及しており、おそらく客観的に言えることだと思う。そしてその設定やプロットの魅力を十分に発揮しきることができずに終わったことも広く共有された感想だと思うので、総じて最後の練り込みが足りなかった、画竜点睛を欠いた、ということになるのだろう。あと20%、30%の手間をかければこの作品は「名作」となり得た。だがそこで手を抜いてしまった。
じっさい、名作と呼ばれる作品は最後の仕上げにこそ多大な時間をかける。ドラゴンクエストがデバッグに3ヶ月やそれ以上という非常に長い時間を割くことはよく知られているし、ゲーム業界の雄任天堂が擁する品質管理部門「マリオクラブ」が要求する仕上げの厳しさは有名だ。この作品が名作になれるだけのポテンシャルを有していながらそうなれなかった要因は明らかに煮詰め不足であろう。
このゲームの作者は素晴らしいプロットを作れるだけの創作における注意深さを備えている。だが、ゲーム制作時間を節約して最後の練り込みを怠っている(※)。
※このゲームのライターを務め事実上の制作指揮者と思われる弘森魚氏がどれだけのペースで作品を作っているかを知れば、いかに本ゲームの制作期間が短いかお察し頂けよう。おそらく実制作期間は4~5ヶ月程度である。
2011年2月25日発売 蒼穹のソレイユ
2011年8月26日発売 ぽちとご主人様
2011年10月28日発売 翠の海
2012年4月27日発売 虹翼のソレイユ
2012年9月28日発売 九十九の奏(本作)
2012年12月21日発売 キミへ贈る、ソラの花
名作を生み出しうるクリエイターの注意深さとあまりに少ない制作期間。このジレンマは例えば序盤の戦闘シーンに現れる。この戦闘には玉梓、伏姫、一二三、鳴、白蛇精と4人+1柱が関わっているのだが、ご存じの通り、エロゲでタイマン以外の戦闘を描くのは非常に難しい。戦闘である以上各人同時に様々な動きを見せているはずなのだが、音声付きエロゲで一度に描ける人数は主人公+1人でしかない。大抵の制作者はその問題点に気づいてすらおらず、描かれなかった人物を棒立ち状態にしてしまう。Fateの制作者はなるべくタイマン(か、タイマンを士郎が眺めている構図)に持ち込もうとしていた。本作の制作者はこの問題に新たな解決策を見いだそうとして、エロゲには珍しい完全な三人称視点で物語を描いている。完全な三人称視点というのは、例えばこういう物語の表記の仕方だ。
> 「美緒理ッ」
> 夜々は叫んだ。どうしてたった一人の友達がこんな目に遭わなければならないのか、理不尽さに知らず涙が流れていた。
> 「いいんです。これで……」
> 美緒理は気丈にも笑顔を浮かべて見せた。まるで、心配しないでと元気付けるかのように。
> 乳首を晒し、スカートを下ろし、震える手でパンティに手を掛けた彼女の最後の一瞬を逃すまいと、男達は携帯のシャッターボタンの上で親指を構えている。
(出典:Clover Point陵辱side 発売日未定)
確かに、この書き方ならば複数の人間の動きを同時に描きやすい。実際冒頭の戦闘シーンは複数の人間の動きを巧みに描きつつスピード感を殺さない表現に成功しているのだが、いわゆる語りが入るシーンではどうしても視点を固定せざるを得ない(様々な人間の反応を描いていたら語りの邪魔になる)。では語りの最中描くことができない人物の動きをどう表現するのか。このゲームのスタッフが出した結論はこうであった。
> 鳴「って気絶してるっ?!」
ないわー。これはないわー。
しかもこのゲームはこれを二度も繰り返すのである。最初の戦闘シーンでは玉梓と伏姫との対峙を描くために一二三を気絶させ、次の戦闘では一二三と白蛇精との対峙を描くために伏姫を気絶させている。これ自体は強く批判されるべき点であろう。
が、半分信者である私から擁護させて貰えば、この問題意識に至った点自体は評価すべきであると思う。先に述べた通り、凡百のライターならばキャラを棒立ちにさせる。多少はデキるライターならばタイマンの状況しか描かずに問題から逃げる。だが本作は敢えてタイマン以外の状況を描こうとした。まさにクリエイター魂! と評価したい。しかし「完全三人称」はともかくとして「気絶」というコントのような答えで済ませてしまったのは、要するに時間が足りなかったからヤッツケで済ませてしまったとしか言いようがない。ここに、クリエイターとしての意識の高さと制作期間の短さとのジレンマが窺える。
余談だが、本作は喫茶ミルクパンで「背景に描かれたテーブルの裏側にキャラクターが回り込む」という演出がある。大した意味はないのだが、演出にも挑戦の気概を感じる。このゲームは距離によって4種類の立ち絵が用意されていたり、それに合わせて音の大きさが変わったりと「画面の奥行き」を意識した演出を実験していたフシがある。
色々擁護も書いてみたが、結局ゲームは「出来上がったものが全て」である。このゲームのデキが全体としてよろしくなかったことを認めるのは半信者の私としても吝かではない。アサプロやゆずのように、ゲーム制作に1年半掛けるとまでは言わなくても、せめて7~8ヶ月(1.5~倍近い制作期間)もかければこのゲームの完成度は格段に上がったはずだ。もちろん制作期間が倍になるということはエロゲの殆どを占める人件費も倍になるということで、小さな合資会社(ということはおそらく弘森魚氏は無限責任を負っているのであろう)としてはリスクが大きすぎるかもしれない。SkyFishが自転車操業に苦しんでいる可能性もある。
ただ、Skyfishは作品を出す度にファンを減らし続け、今やワゴンメーカーとしての地位を確立(泣)してしまっているので、このままでいても決して良い方向に向かうとは思えない。ねぇ、一度キチンとした大きさの作品作ってみましょうよぉ、「神はディティールに宿る」んですから、などと知った風な口を利いて本稿を終える。
2.なぜ昨今のエロゲーを「つまらない」と言う人が増えているのか(ネタバレなし)
……わけにはいかない。ここまでに書いた内容は私がこのゲームに感じた感動と失望の半分でしかない。残り半分は極めて主観的であって、私が抱く萌え系エロゲー史観(というほど大げさなものではないが)からでないと説明しきれない。まずはその点から書くので、興味のある方は今暫くお付き合い下さい。
さて、現在萌え系のエロゲーと呼ばれている世界を開闢したのは『To Heart』であろう。過去のゲームだと認識している方が殆どであろうが、とんでもない! このゲームは今でも強烈な影響力を及ぼしている。『To Heart』は確かにシナリオこそ存在しないに等しいが、このゲームは萌えの「公式」を生み出したという点でエロゲー界のニュートンやアインシュタインと呼ぶべき存在とさえ言える。『To Heart』が発売されたのは15年も昔になるが、15年後の現在に至るまで、結局のところ萌えゲーのヒロイン達は『To Heart』が生み出した「属性」の組み合わせに過ぎないのだ。それはさながら近代物理学がニュートン力学に支配され続けた姿にも似ている。だから決して侮るなかれ。もしも未来の人間が現代の萌え系エロゲーを歴史として語るならば、あなたは未だ「To Heart時代」と分類される時代に生きているのだ(2021/03/03追記:同意見の方をお見かけしました https://twitter.com/angelfrench/status/1366732145444618244 )
かくして、女の子を単なる性的対象としてではなく、「萌え」の対象とするエロゲーの新たな時代が始まった(『To Heart』以前にもエロゲーはあったし、『To Heart』の系譜に属さないゲームが現代にも少なからず存在することは知っている。だがそれらについて私は詳しくないので、本稿ではあくまで『To Heart』から派生した萌えエロゲーについてだけ語る)。この世界では「萌え」を前提として更にその中で覇権争いが続いている。さて、最初の覇権争いの勝者は『Kanon』であった。私はこのゲームが大好きだし語りたいことが山ほどあるのだが、我慢して一般論を述べれば次のようになるだろう。
「『シナリオゲー』と呼ばれる萌えエロゲーの一ジャンルを確立した」
『To Heart』が萌えのテンプレを生み出したとするなら『Kanon』はシナリオのテンプレを生み出した。『Kanon』で描かれた"家族""夢と現実""過去の(あるいは過去の女の)克服""死との対峙""物語のループ構造""ヒロインの選択(選択されなかったヒロインは死ぬようにも読める)""幼い頃の想いと現在の自分"といった要素はやはり現代のエロゲーの殆どを説明できてしまう。また、Kanonはエロゲーの主人公についても質的変換をもたらした。『Kanon』以前の主人公は"普段はスケベで情けないがここぞというところで大活躍する"というタイプが殆どだった。『Kanon』の主人公である相沢祐一も確かにそういう面があるが、しかし彼は"繊細で一歩引いているが本当は思いやりがある"という面も持っていた。エロガキからナイーブな少年へ。相沢祐一を境に主人公の主流は徐々に前者から後者へと傾いて行ったのである。
『Kanon』が発売された1999年から2004年前後までは「小説志向」(あるいは映画志向)のエロゲーが覇権を握っていたと言っていいだろう。クリエイターに文学青年のような人物が多く、プレイヤーもヒロインの可愛さ以上にシナリオの面白さを重視した。「最近のエロゲーは」とか言ってるオッサンがエロゲーの黄金期だったと褒めそやすのもこの時代である。
が、功罪というものはあるわけで、この時代にエロゲーのシナリオが大発展したことは事実だが、その結果ヒロインの魅力の追求は二の次となった。当時に高い評価を得たゲームはヒロインが可愛くて魅力的なゲームとはほど遠かった(『Kanon』は別格)と思うし、シナリオについても結局『Kanon』が生み出した枠を超えることができず、マンネリ化した「小説志向」のエロゲーは王者の座から引きずり下ろされていった。
さて、「小説志向」の時代に引導を渡したのは『CLANNAD』だったと個人的には考えている。『Kanon』を生み出したKeyは間違いなく当時のシナリオゲーにおける総本山だったが、『AIR』も『CLANNAD』も感動させる仕掛け自体は『Kanon』の焼き直しに過ぎなかった。しかし『CLANNAD』は単なる『Kanon』の焼き直しとは言い切れない部分もあって、それは共通(含ゾリオン、草野球)の面白さである。個人的には『Kanon』の共通部分を凄く面白いと思っているのだが(私は『Kanon』に唯一の100点付けてる信者なのでお察し下さい)、その量と徹底においては流石に『CLANNAD』に一歩譲ることを認めざるを得ない。麻枝氏の言動などから推測するに、あの共通の徹底は「青春(のグダグダ感)の表現」だったと思われるが、春原を筆頭に様々なヒロイン達ともなんとなくゆるーい日常を送る共通は白眉のデキと評価された。個別シナリオはデキが悪かった(参考:マルセル氏は本作品をこう評価している→ http://erogamescape.ddo.jp/~ap2/ero/toukei_kaiseki/user_game.php?user=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB&game=3454#title )ものの、全体としては好評を博した本作品はエロゲー業界に次のようなメッセージを発したと思われる。
「シナリオなんかどうでもいい。ヒロイン達と過ごす日常が楽しければ評価される」
この年に発売されたToHeart2も萌えへの原点回帰を意図していたように思われるが、ともかく当時のビッグネームが(Keyの方は意図せずに)否定したことによって、「小説志向」の時代は終焉を迎えたのである(もちろんこれ以降も『小説志向』のゲームは存在しているが、覇権は失った)。
さて、「小説志向」のエロゲーが衰退する様を実際にデータで確認してみよう。下に示すのは2003年から2005年までの売上げトップ10である。2003年は『マヴラヴ』『SNOW』『天使のいない12月』などいかにもなシナリオゲーがトップを占めていたが、2004年は『SHUFFLE!』のような新たなタイプのゲームが台頭してきた(このゲームは男性キャラにバリエーションをもたらしたという意味でも革命的なように思う)。そして2005年に至ると、もはや「小説志向」のエロゲーは10位以内に『智代アフター It’s a Wonderful Life』ただ一作となるのである(スクデイも「小説志向」か……?)。
- 2003年 -
1.マブラヴ
2.SNOW
3.天使のいない12月
4.朱 -aka-
5.Lovers
6.大番長
7.デモンベイン
8.妻みぐい2
9.ねこねこファンディスク2
10.月は東に日は西に
- 2004年 -
1.Fate/stay night
2.CLANNAD
3.SHUFFLE!
4.下級生2
5.ラムネ
6.Canvas2 茜色のパレット
7.D.C.P.C. ダ・カーポ プラスコミュニケーション
8.君が望む永遠 special fandisk
9.オーガストファンBOX
10.RanceVI ゼス崩壊
- 2005年 -
1.Fate/hollow ataraxia
2.ToHeart2 XRATED
3.夜明け前より瑠璃色な
4.智代アフター It’s a Wonderful Life
5.ぱすてるチャイムContinue
6.つよきす
7.SchoolDays
8._Summer
9.Fate/stay night
10.はぴねす!
参考:http://otoknights.com/2005-hentai-game/
この時代に覇権を取ったタイプのエロゲーが現代に至るまで覇権を握っていると考えているのだが、その特徴はとにかく「ヒロインに受け容れられる」「ヒロインとイチャイチャエロエロする」ことに焦点を合わせていることだと言えよう。まっこと非リア男子の夢でありますな! また、「小説志向」の時代に比べて主人公+ヒロイン達のコミュニティがより強く意識されているので、コミュニケーション&コミュニティを重視したこの時代のゲームを便宜上「コミュゲー」と呼ぶことにする(なお、一般には別の意味で使われているようなので完全に本稿における造語とご理解下さい。本稿の意味でリアルorネット友人に使うと誤解を招きます)。ちなみに、幼馴染属性が凋落したのはこの時代の趨勢もあるように思う。「幼馴染」は最初から主人公を受け容れてしまっているので「コミュゲー」時代にメインヒロインたり得ないのだ。
さて、シナリオゲー時代は「感動の物語でーす」「ヒロイン達と殺し合いしまーす」といったシナリオの内容で、あるゲームは他のゲームとの差異化を実現してきたのだが、「コミュゲー」は主人公がヒロインやコミュニティに受け容れられていく過程を『遙かに仰ぎ、麗しの』のように主人公が上の立場で描くか『のーぶる☆わーくす』のように主人公が下の立場で描くかといった違い以外に、シナリオ段階においてあまり大きな差異を作ることができない。「コミュゲー」はどんな種類であれ、ヒロインかコミュニティに受け容れられる物語を描くしかない。「コミュゲー」の差異化はイラスト(これは『小説志向』の時代からあった)以外では主に世界観・コンセプトの違いで為されるように思われる。と、言うと「女装」するあのゲームや、「上流階級の世界に放り込まれる」あのゲームや、「超能力が使える」あのゲームなんかが思い浮かぶかもしれない。が、2004年からだとすれば9年も続いた「コミュゲー」の時代は、そろそろマンネリに陥っているように思われる。
確かに、「コミュゲー」時代にも確実にゲームの洗練は続いており、絵は丸っこい感じで可愛くなった(10年後は今の絵を可愛くないと思うであろうが)。ゲームが声優さんの演技を意識するような作りにもなった。システム周りも格段に洗練されてきたし、最近はCGにちょっとした動きをつけてアニメをフィーチャーした部分もある。……が、そこ止まりだろう。萌えゲーにこれから先大きく進化できる余地が残されているとは思えない。
しかも、業界の外ではラノベが似たようなことをやりはじめ、正直エロゲは押され気味である。そりゃあ、ラノベはエロゲーより遙かに一作を作るのが容易で、絵&コンセプトはエロゲーよりも遙かに多くの「弾」が用意できるのであるから、バリエーションにおいてはあちらさんに敵わないだろう。また、値段が安く、携帯が容易で、年齢制限もない。そうした優位を活かしてラノベは最近アニメへの侵略も華々しい(少なくともここ10年、テレビの世界は大したものを生み出せてないが市場の大きさや人々への影響力においては相変わらず最強である)。こりゃあちょっと勝ち目がないか……?
が、エロゲーにもラノベにない優位がある。まずはその分量。長い作品ともなるとエロゲーの文字数は200万文字、プレイ時間は50時間にも及ぶが、これはラノベで言えば20冊、アニメで言えば10クール(2年半)分にも及ぶ。この長大な物語を一挙に送り出せる点はエロゲーの大きなアドバンテージだろう。また、エロゲーは複数シナリオを導入できる点もアドバンテージだ。アニメやラノベは例えば主人公と付き合うヒロインを複数用意することができないが、エロゲーにはそれができる。また人物や出来事を多角的に描くことができる点においてエロゲーをしのぐストーリーメディアはない。
そして最大のエロゲーの強みはその先進性である。色々批判も聞くがソフ倫は自主規制団体であり、クリエイター側の人間が作っている団体である。だいたい権力者が規制を始めるとその業界はオワコン化するわけで、学者だの大手企業や検察からの天下りだのが跋扈するBPOに支配された結果テレビは更につまらなくなって行ったわけだが(例えばBPOが問題とするバラエティ番組の『やらせ』の何が問題なのか私にはわからない。何か・誰かを貶めたり傷つけたりしない限り、面白ければそれでいーじゃん。鵜呑みにする方がアホじゃん)、こうした下らない権力者の介入をエロゲーはなんとか拒んで来たわけだ。その結果エロゲーは常に表現の先進性を確保することができ、「ツンデレブーム? こっちじゃ5年前に通り過ぎた話なんだけどw」「高坂桐乃が生まれる前にエロゲ業界には今関凛子も当真未亜も小鳥遊夜々も生まれてるんだけどw」と大いに選民意識を満足させることができた。……と、いうわけで、エロゲーはそろそろ次のステージに行きませんか、と思っている人は少なくないように思う。
次に覇権を握るエロゲは何か? マルセル氏は月刊マルセルで「ハーレムゲーが今後100年のヘゲモニーを握ることはトノイケダイスケがGardenの瑠璃パッチを出すのと同じくらい確実と言えましょう」(記憶から引用してるんで正確な引用ではない)と実に心強いお墨付きをなさっている(2012/01/25追記:100%の確率だったはずじゃないですかー! 約束が違いますよ-!)。トノイケが瑠璃パッチを出すのと同じくらい、つまり100%の確率でハーレムゲーが覇権を握るというマルセル氏は流石の慧眼の持ち主で、確かにハーレムゲーが次期の覇権を握る条件は揃っているように思える。まず、覇権を握るゲームというのはそれ以前からある程度認知されている必要があるわけで、例えば今後突然小津調のエロゲが覇権を握るなんてことはあり得ないわけだ(小津調のエロゲだらけになる世界もちょっと見てみたい気はするが)。これは「アメリカ一極時代」が終わって、中国やブラジル、もしかしたら我らがニッポン! が世界の覇権を握ることはあり得ても、今現在存在していない国が突如覇権を握ることがあり得ないのに等しい(ちなみに『強大な宇宙人が攻めてきたらどうよ』などと思う方もいるかもしれないが、それで宇宙人が得られるものは覇権ではない。我々が受け容れなければ意味がないからだ)。「コミュゲー」も「小説志向」の時代から一定の地位を確保していた。ひるがえって見るに、ハーレムはエロゲーの太古より存在した由緒正しきジャンルで、もちろん現在においても一定の支持を確保している。前提条件はクリアされている。
ただし、ハーレムゲーが覇権を握るためには2つのハードルが残されていると思う。最初のハードルは現在の「コミュゲー」支持層をいかに取り込むかだ。そのうち半分は既に解決されているように思う。コミュゲー支持層はとかく1対1の関係(ついでにヒロインは処女!)を望む傾向にあるが、不思議と「戦記モノ・冒険モノ」になるとハーレムでも受け容れる傾向にあるのだ。ここで言う「戦記モノ・冒険モノ」は、主人公が「君主」「軍師」「勇者」的な活躍でヒロインたちとのコミュニティの中心的役割を担い、コミュニティの影響力を広げていく作品だと一応定義しよう。有名どころだと一刀が「君主」的な責任を負いヒロイン達の精神的支柱となる役割を担った『恋姫†無双』、ハクオロさんが「軍師」的な天才的采配を振るう役割を担った『うたわれるもの』、ランスが「勇者」的に暴力で問題を解決する『ランスシリーズ』などが挙げられよう。ただ、これらの作品はもちろん大人気を博したものの覇権を握るほどではなかった。その理由は、後半SF要素などが現れ「戦記モノ・冒険モノ」を完徹できなかった『うたわれるもの』は別として(これは『戦記モノ・冒険モノ』が陥りやすい罠である。問題のある状況→主人公が君主・軍師・勇者的な活躍で解決→新たな状況 というサイクルを完徹してマンネリを避けるのは相当な力量が要るため、大抵マンネリを避けようとしてこの枠組みを自体をぶっ壊してしまう。そんな展開は望まれていないにも関わらずである)、最後まで完結できた『恋姫†無双』や『ランスシリーズ』はまー作品がデカすぎて模倣が難しいって点も大きいが、それ以上に「コミュゲー」支持層との断絶が問題であろう。キャラが多すぎて「コミュゲー」においてもっとも重視されている「ヒロインと繋がってる感じ」が全然味わえないのだ。特に『恋姫†無双』は残念で、『真・恋姫†無双』では味方の立場から魏や呉の人物を描いてヒロイン達の掘り下げを深めるかと思いきや、3倍に増えた状況説明や歴オタ配慮のヒロイン大増量の対応に追われて、萌将伝を含めてもヒロインとの関係をあまり深く描けなかった。「コミュゲー」支持層を取り込むのならもっと単純で良かったのだ。それこそ関羽や曹操といった超メジャーキャラだけをヒロインとして深く掘り下げて描き、他はモブ扱いにした方が覇権には近かっただろう(もちろん、メーカーがやりたかったことがそうではなかったのなら尊重するが)。ランスにおいても同様の問題があり(キャラクリでは足りない)、この半歩を埋めたハーレムゲーが望まれる。
もう一歩は、実は既に書いているのだが、「戦記モノ・冒険モノ」を描ききる力量のあるライターが少ないということだ。問題のある状況→主人公が君主・軍師・勇者的な活躍で解決→新たな状況というワンパターンでありながら面白い作品というのは、実はライターに相当の能力と努力を要求する。大抵の場合は大雑把で大味に終わってしまったり(例えば『少女義経伝』)、超展開で誤魔化してしまったりする(例えば上記『うたわれるもの』)。ういんどみる辺りは私が言う次世代のエロゲーをガチで目指している感があるが(八月にも過去、終盤の超展開と揶揄される部分にそういう気配が感じられた)、イマイチ突き抜けられず迷走を重ねる様は涙を誘う。ういんどみるさん、方向はきっと間違ってないよ! ボクは(2012年10月23日時点で)ういんどみるさんのゲームを一本もプレイしてないけど! 果たして「戦記モノ・冒険モノ」を描ききれるライターはいるのだろうか? 答えは第三章にて!
さて、このような不安要素があるとはいえ、おそらく未来に覇権を握るエロゲーを具体的に描写すると以下のようなものだと思う。
・主人公に「君主(精神的支柱)」「軍師(卓越した采配)」「勇者(暴力)」といった問題解決の才能がある
・その才能によって問題を解決し、新たな仲間を作る
・新たな問題→解決の繰り返し。その度に世界が広がる
・舞台が変わるかどうかは予算次第だろう。勇者が様々な国を巡る話だと背景枚数が大変なことになりそうだが、同じ国の色々な場所での物語なら背景枚数は抑えられる
・使い捨てのヒロインがいてもいいが、基本的にヒロインは少数固定(仲間の少女がヒロインってのが無難かな)。メインとなるヒロインを選ぶことによってシナリオ分岐するか否かは予算次第
要約すると、ルフィが序盤の大物感を維持しきれて(何にも考えてないようで核心は突いてるようなキャラだったよね。今はただのDQNだけど)、女の子とのイチャイチャもするONE PIECE。
3.この作品が見せてくれた「未来」(ネタバレあり)
やっとここで九十九の奏の話に戻る。二章で書いた「果たして描ききる力量のあるライターはいるのだろうか?」というのはもちろん前振りで、このメーカーのライターこそ、その有力候補だと私は考えている。プロットの緻密さは言うまでもなく、しかもほぼ4ヶ月ペースで様々な作品を提供していることは問題→解決の繰り返しサイクルをマンネリ化せずに描ききれる可能性を感じさせる(例えば西洋風の舞台から和風の舞台に続くことも、このメーカーのライターならば余裕で可能だろう)。そして何よりも、ここのメーカーはハーレムが大好きなのだ。上記「戦記モノ・冒険モノ」はその性質上ほぼ戦いと女の子とのイチャイチャを交互に繰り返す物語構造となるだろうが、それこそまさにこのメーカーの得意とするところである。じじつ、九十九の奏はまさにそのような構成であった。このメーカーは完全に初対面のヒロインと関係を深める描写があまり得意でない(九十九の奏でもその辺は端折っている)という弱点もあるが、そんなことは例えば「勇者が各地で救う女の子は大抵以前にも勇者に救われていた」とでもすればどうとでもなる。なぜか大作を作らない(作れない?)点を除いて覇権の端緒(このメーカー自体は覇権を握らないと思う。そういう野心がなさそうだ。あくまで覇権のモデルケースという意味で)に最も近いメーカーはここかもしれないと密かに期待していた。
そして期待を込めて本作をプレイしたのだが、確かにここまでで述べたような未来をこのゲームは見せてくれたものの、所々に「惜しい!」と思う点が見えたので私は臍を噛んでいる。このゲームはハーレムゲーではない。しかし、おそらく元々はハーレムゲーだった。例えば、白蛇精は元々白娘子という名前だったという痕跡が公式HPに残されている( http://www.sky-fish.jp/tsukumo/images/99/tsukumo_99016.jpg )が、白娘子は女の子である( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A8%98%E5%AD%90 )。(10/31追記)現在は画像が差し替えられて「白蛇精」となっているが、この感想が投稿された時点でHPでの表記は「白娘子」となっていた。愛那や美琴が他の女の子に心奪われる一二三に嫉妬しそして容認するシーンもある。そして何より、聖月の存在に私は可能性と可能性を実現できなかった落胆を強く覚えるのだ。
聖月は一見お嬢様然としているが、実はかなり子供っぽい性格という愉快なキャラである。「絶交ですわ」「一二三菌がうつってしまいますものね」などと小学生のような発言を繰り返し一二三の前でお漏らしまで披露してしまうキャラはパンチがあり、手塚りょうこさんの演技も非常に上手く(萌花ちょこさんは凛々しい状態の伏をやや無理して演じていた感がある)、個人的にかなり気に入っていた。その上彼女は一二三のことが好きで(ドロウに誘導されたとはいえ)一二三が愛する美琴を殺したという過去があり、また魂を受け容れる霊媒体質の持ち主という設定もある。本来彼女はこのゲームの裏のヒロインだったのではないだろうか。そして彼女が美琴を殺した過去を悔やんでいるのならば、彼女にはそれを償う方法が残されていた。そう、彼女が美琴になればいいのだ(受け容れた魂の姿になれることは、例えば一二三が玉梓になれたことからも明らかである。というか玉梓は基本的に聖月の身体を使って実体化しているのだろう)。自分を犠牲にして過ちを償おうとする聖月……こんな美味しいストーリーの可能性をスタッフが見逃していたはずはあるまい。やらなかったのは、予算や期間の問題だったのであろう。
また、円=玉梓という設定にもどーも違和感を覚える。一二三曰く「君は僕を見ていな」かったり、本気で一二三を殺そうとして実際に一二三が死んでも何とも思って無さそうだったりと、円が抱きうる感情を逸脱しているように思えるのだ。円が抱きそうな感情とは、「寂しいから誰かに遊んで欲しい」「みんな自分と同じ夢の中に沈んで欲しい」「一二三と遊びたい」といったところだろう。ドロウが「玉梓の行動には何にも関与してない」と言っているので玉梓は円か、円+聖月の感情を徴表した存在となる(玉梓が聖月の感情も反映したものだと考えると、土蔵の中に聖月と一二三を閉じ込めたことや、そのことについて聖月が『私のせいかも』と言ってることの説明が付けやすい)が、聖月の感情が加わっているのなら尚更一二三を見ていないことはあり得ないのではないか。ここにも元々の設定が歪められたような痕跡が見える。
おそらく、元々玉梓は=円ではなかった(円や聖月の要素もあったかもしれないがそれだけではなかった)。そして玉梓の器であった聖月は円だけでなく、美琴やその他の死者の魂を取り入れていたか、物語内で取り入れる予定だったのだろう。「そんな要素の多すぎるキャラは萌えねーよ」と思う方は、雪さん・リーダさんと並ぶ三大メイドの一人である『Natural Another One 2nd』(このゲームの制作メンバーが現SkyFishのメンバー)の硯碧葉を知れば意見が変わるかもしれない(彼女の概要について、ネタバレを気にしない方はコチラをどうぞ→ http://www.k2.dion.ne.jp/~chitei/jitumai/hyouka/a.html#aoba.suzuri )。碧葉と言えば、李砂もかなり碧葉に近い要素を持ったキャラであったが、碧葉のような怪物的魅力を持つヒロインには遂に至れず残念である。
おそらくこのゲームは本来白蛇精もヒロインであったし、聖月はハーレム要素の起点となるもっと重要なキャラであった。しかしそうはなれないまま終わった(それどころか本作は、本来かなりエロに力を入れるSkyFishの中では例外的にエロが薄い)。話を膨らませられれば私が考える「戦記モノ・冒険モノ」に至れた可能性すらあった。エンド17はそうしたスタッフの無念をカタチにしたものかもしれないが、プレイしたこっちだって無念である。