この作品が投げかける重大な問いかけは、しかしプレイヤーの心には届かなかった。
現実を「生きる」ことをあからさまにして見せるのが、この作品のテーマだった。しかし、エロゲープレイヤーはエロゲに現実など求めていないのかも……とも思わされた。
楽園へようこそ。
そう言われて館に入った櫂は、ふと、出所の分からない「食事」に吐き気を催す。プレイヤーはそれを画面の中の出来事として見ている。
だが、プレイヤーは、普段口にしている食事の出所を本当に知っていると言えるのだろうか? 例えばスーパーに並んでいる鶏肉がどこでどのように「造られた」か、全て分かっているのか?
その過程をつぶさに知ろうとすれば、もちろん目を背けたくなるような場面がそこに存在する。だから私達はそこを見ないようにし、考えないようにする。吐き気を催さないために。
この「楽園」では、適合できなかった存在は"初めからいなかった"ことになる。現代日本の妊娠中絶数は大分少なくなったとはいえ、それでも10万人を優に越える( http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h28/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-04-03.html )。中絶された存在は名前すら与えられず"初めからいなかった"ことになり、私達は少子化問題に頭を悩ませている。
生まれてからも適合テストは続く。小中の段階ですら特殊学級へ追いやられる。高校や大学には入学テストがあり、社会人ともなればもっとテストが厳しくなることは、一々説明するまでもないだろう。
と殺や中絶や解雇を誰が行っているか、私達は知っている。しかし、その者を声高に糾弾したりはしない。糾弾したところで意味はないし、彼らが失われれば私達の属する社会が、組織が崩れてしまうことを知っているからだ。社会秩序が崩れた時に何が起きるか、私達は歴史や現代の他国の状況を見て理解している。それはみちるが館に棄てられた直後の状況にも似ている。それでも我慢できずに支配者を糾弾すれば、その彼・彼女は空気が読めない、協調できない、鼻つまみ者とされ、度が過ぎれば社会から抹殺される。
だから、生きる為にはルールを受け容れなければならない。胎児を"初めからいなかった"ことにするのは罪ではないが、生まれて私達の「仲間」になってしまったら、それを殺すことは罪なのだ。例えそれを気持ち悪いと感じたとしても、このルールを受け容れない者は、狂人として扱われる。
さて、もちろん「楽園」に住む者は皆ルールを受け容れている。ルールを受け容れられない者は既に排除されているからだ。内心では反発や恐怖を覚えていたとしても、昼のリビングという公の場でそれを口にすることは許されない。だから、みちるがやったことは、シナリオがどこまで進んでも「楽園」の誰も糾弾しない。みちるのおかげで秩序が生まれ、地獄は「楽園」へと変わったことを住民は理解している。妊娠中絶のおかげで「厄介な子供」の負担を社会は負わなくて済むし、邪魔な社員はクビにするに限る。中絶医師や人事課職員を、中絶医師や人事課職員であるからというだけで批判するのは、まっとうな社会人のすることではない。
そうして切り捨てた者の事は、忘れなければ生きてゆくのは難しい。常に死んだ者を思って生きられるほど人は暇ではないのだ。死んだ者のことは坊さんや修道女にでも祈らせておけばいいだろう。
そうした修道女的な役割は、双子が「楽園」で担っている。「楽園」の平穏を乱さず、本を静かに読み、死んだ者の為に祈る……彼女達にはどこか聖なるものを感じる。だが、彼女達のそうした立場を支えているのは、結局金と権力であると庶民生まれの知紗は歯噛みする。双子がなんら生産的な活動に関わっていないことを、優希は皮肉げに主人公に示す。それでも彼女達は批判されない。彼女達は金と権力に守られ、血生臭い俗世に関わらなくて良い特権階級だから。最もエロゲーらしいこの萌えシナリオは、双子達に与えられた特権性に支えられている。
双子を皮肉った優希と、彼が(櫂が仲間に加わるまでは)唯一信用していた灰奈は、一般人の象徴だろう。皮肉は言うが本気で体制を改革する気はない者、目を閉ざし耳を塞ぎただ労働に勤しむ者……一般人にも色々いるが、彼らは概ね優しいし、彼らはルールを守っているから存在を許されている。
一般人として生きられない者には、すがるものが必要だ。皮肉屋の優希が「現実社会で生きられるとは思えない」と断じた紡は、いわばみちる教の信者だ。普通に生きられない者は、特殊技能を身の助けとし、あるいは権力者の忠実な走狗として、生存の立場を勝ち取るしかない。彼女は服飾の技術を用い、みちる以上に忠実にみちる教の教義を守り、つねに他の住民を監視し、「楽園」からは決して出て行こうとしない。外の社会にすがるものがないからだ。みちるが外に出たときだけ、外に出ても良いかもしれないと紡は考える。外でみちるにすがるために。
愚かな紡と対立的な知紗は、「楽園」で教師的な立場を担っていた。教師! それに学者や弁護士といった知的エリート連中! あいつらは、自らは安全な立場に身を置きながら、いつも権力者を批判する。そんなに縛り付けるなと、もっと自由に我々は生きられるんだと。そんな知紗の理想論に、惹かれるモノを感じながらも灰奈は首肯できない。日々の労働で精一杯の一般人にとって、やつらの主張はなんだか危うくて、怖い。実際彼女に協力すれば、ほら、「楽園」には不和の種がばらまかれた。知紗は浮ついた理想に酔って、現実逃避の果てに心中に至るエンドもあったし、権力者みちるに追い詰められ、自らに火を付けるエンドもあった。まるでかつての日本赤軍のように! 知ったような口を利くが、やっぱり知紗の言うことは机上の空論だ。「俺は知紗が信用できない」皮肉屋の一般人である優希は知的エリートに唾を吐きかける。ただ、櫂のような実行力ある人物が知的エリートに味方するとき、時に社会は、大きな軋轢を起こしながら大きな変革をも成し遂げることがある。その過程を描いた【踏み出した道】は、私にとってお気に入りのシナリオだ。
知紗ほど賢く立ち回れなかった真希奈は、その容姿が櫂によく似ている。容姿だけではなく、母親に高望みを押し付けられたという立場も。そして彼女の考え方・感じ方はおそらく最も現実のプレイヤーに近い。何で殺人者が近くにいるのに安穏としているのか、与えられた食事や水や電気に疑問を持たないのか、気持ち悪い。プレイヤーは画面の中の世界について、彼女の意見は道理だと思う。だが、それをはばかり無く口にする真希奈を、かつての自分の生き写しである彼女を、既に「楽園」にどっぷり浸かってしまった櫂は同情すれども愛すことはなく、最後には湖に沈める。鏡に映った自分を見るのは、つまり自分を客観視するのはどこか嫌な気持ちになる。プレイヤーだって、自分の生活の陰で犠牲になっているものを一々見せられれば、きっと嫌な気分になるだろう。
かようにこの作品は、プレイヤーが生きる現実世界を解体し再構成し、突き付けてくる。このアドベンチャーゲームのジャンルとして記述された「真実の欠片を探すサスペンス」の「真実」とは、私達が生きる現実世界の真実のことであった。
この世界が気持ち悪いか? だけどこれはお前達が生きる世界でもあるのだぞ。そう、制作者である御厨みくりさんは私達に主張し――そこで満足してしまった。
私がこの作品で不満だったのは、ヒロイン達が一切自らの立場を超えることがなかったことだ。確かにみちるや紡が「楽園」で得た立場は、「楽園」に至る前の彼女達に与えられた立場を踏み越えた先にあるものだ。かつてのみちるは何の主張もできなかったし、かつての紡は不都合な真実から目と耳を塞いでいた。そこからの変化の過程は、しかし描かれることなく、作品内では一貫してみちるは支配者であり、紡はその走狗である。空音と陸乃の二人は、物語の終盤で「100を二人で分かち合うのではなく、二人とも100を手に入れる」と、清貧な修道女の立場を乗り越えるような示唆が与えられたものの、結局櫂を二人で分かち合っており、その示唆は物語に反映されない。
結局、この作品で変わったのは、登場人物そのものではなく、登場人物の関係性である。章を重ねる毎に櫂がみちるに洗脳されてゆくのも、彼の本質が変化したのとは違うだろう。登場人物自体は一切「成長」せず、ただお互いを理解し仲良くなるという過程を経て、物語は結末を迎える。
もちろん「人は変わらない」というのは、ヒトに対する一つの見解ではあるだろう。御厨みくりさんは「母親」批判がお好きなので、「ありのままの子供を受け容れられない母親」に、キャラクターの産みの親たる自分がなりたくなかったのかもしれない。
しかしやはり「相互理解だけでこの結末に至れるだろうか?」という不満は、どうしてもこの作品につきまとう。じっさいシナリオは、櫂がみちるを、知紗を、灰奈を理解する部分のみを重点的に描き、後はご都合主義としか言えない展開で彼らを幸せにしてしまう。この作品のハッピーエンドは、どれも取って付けたようなデウス・エクス・マキナだ。
御厨みくりさんは世界を記述することにかまけ、キャラクターの成長とストーリーの構築では胡座を掻いた。さすがに反省したのか、次回作『キミへ贈る、ソラの花』や次々回作『箱庭ロジック』と作品を重ねるにつれ、こうした欠点が少しずつ克服されているのは個人的に嬉しい。もちろん『箱庭ロジック』に至っても、相変わらず御厨みくりさんはストーリーや整合性のある説明を構築することが苦手だと感じるが、これらは論理能力――すなわち鍛えることができる能力に大きく依拠するから、今後完全に克服できる可能性があると思う。そんな作品をぜひ拝んでみたい。
しかし、私はこうも思うのだ。
「こと作品世界とその記述の鋭さにおいては、この『翠の海』こそが御厨みくりさんの最高傑作になるのでは無いか」と。
-余談-
主人公の櫂の設定って、容姿も含めて、まんま鳴海歩ですよね。