(長文感想未完)
※この感想はシンフォニック=レイン本編に加え、「雨の始まり」「いかさまコイン」「妖精の本」「愚かな詩人」「三人目のマリア」「猫と妖精と、時々雨」「こんな空の下で」「To Coda」のネタバレを含みます。
クリスは1月20日(Venerdì)に卒業演奏に臨む。
6年ぶりに1月20日(金曜日)を迎える今日に、このゲームの感想を書いてみたいと思った。
点数を見て分かるとおり私はこのゲームにほぼ最高の評価を与えているが、このゲームは決して「欠点のないゲーム」とは言えない。
それどころか、欠点だらけのゲームだと思う。
例えば音。せっかく岡崎さんや実力のある声優さんを集めておきながら、収録の音質が非常に低かったことは返す返すも残念。
例えば絵。しろ氏の絵は独特の魅力があるが、やはり技術が足りないことは否めない。また、CGの枚数も全く足りておらず、わずか50枚しかない。
例えばテキスト。はっきり言って西川氏の文章は下手だ。「一番最後」のような「馬から落ちて落馬する」的表現や、「つつがない」のように世界観にそぐわない用語も使ってしまっていて、語彙力も豊かとは言えない。
> コーデルは、とっさに嘘をついた。ワインの飲み過ぎで火照った身体を、夜風で少し冷ましたかったためだった。
> グラーヴェは納得し、車に乗り込みかけたが、車内のリセルシアと顔が合い、なにかを訴えるような彼女の視線に気付き、考え直す。
(To Coda)
のように視点が混乱した文すらある。
例えば構成。延々と鬱病のクリス君の日常が描かれる序盤から中盤にかけてはお世辞にも華があるとは言えないし、実際ここで放り投げた知り合いもいる。双子の入れ替えトリックや話者である主人公が読者に対してある意味「嘘」を吐いていたというトリックはミステリーファンなら陳腐さに嘆息するだろうし、「ヒロインが3年間意識不明」「ヒロインの精神体が主人公に会っていた」「奇跡が起きてヒロインが救われる」なんて展開も美少女ゲームの世界では繰り返されすぎたネタだ。
それでも。
それでもこのゲームは素晴らしい。
何が素晴らしいのか、それを言葉にするのは難しい。例えばその素晴らしさを「岡崎さんの音楽」に求めるにしても、彼女の音楽それだけを切り離してゲームを知らない人に紹介したところで、ふーんと思われるのがオチだろう。あるいは、「登場人物の成長物語としては王道だ」とこのゲームを褒め称えたとしても、そんな作品は他にもいくらでもあるよとPOV「成長物語」で上位の作品を並べられるだろう。piovaゲージや台詞中の表情の転換、僅かながら採り入れられたアニメーションなど、このゲームは発売時期を考えれば相当先進的な演出が採り入れられているが、今となっては既読スキップができなかったりフルスクリーンに難があったりと、むしろ欠点の方が目に付く。
……と、ここまで書いたらもう話のオチは読めるだろう。そう、あなたの予想通り私はこの作品の魅力が個々の要素を超えた全体に宿ったものだと考えている。古くさくて、音質が悪くて、絵やテキストが下手で、構成は陳腐かもしれない。しかし、この作品にはある種の人を魅了し虜にせざるを得ない強烈な吸引力がある。そして、それに呑み込まれてしまった「信者」の私としては、その魅力をなんとかテキストに表わしたい、あわよくば共感とは言わないまでもこの作品への愛を他の人に理解して欲しい。そんな思いでこの文章を書いている。これから作品の考察めいたことを書くが、それはこの作品の霊性と言えるモノへの私なりのアプローチだと思って読んで下されば嬉しい。
シンフォニック=レインの霊性をこの感想で書ききることは到底叶わないだろうが、それが生まれた環境についてならある程度推測して語ることができる。他の傑作同様、この作品ではスタッフたちの間である種のスパークがあったのだろうが、音を担当した岡崎氏、絵を担当したしろ氏、文を担当した西川氏を知れば、そのスパークが起きたのは全くの偶然とは思えなくなってくる。
岡崎氏の音楽を聞くと、そこには常に現実からの飛翔が感じられる。単調な毎日、辛い現実、投げかけられる「正論」に対して、「それはよーく分かってるんだけど、でも今は見たくないの、大切な人と溶け合いたいの、未来はきっと素晴らしいと信じているの」という達観が彼女の音楽のテーマなのだ。それは達観じゃなくて逃避だろ、と思う方もおられるだろうが、私が彼女の歌をそう切り捨てたくないのは、彼女が現実を見ることができない「バカ女」とはどうしても思えないからだ。むしろ、彼女は余人に劣らず現実との戦いに苦しんだ人だ。彼女は現実では文字通り命を磨り減らして最後は激しい闘病の末夭折してしまった。岡崎氏の晩年は地獄のような苦しみだったと思うが、そうした容赦ない現実の中でも……いや現実が苦しいからこそ、生きていくにはどうしてもキレイなものを信じたくなる。そういう祈りのようなものが彼女の歌からは感じられる。それを陳腐なナルシシズムだと笑うなら笑え、それでも私は生きてやる、というある種の開き直りも彼女から私は感じられた。
しろ氏はこの作品に関わった時点である意味岡崎氏の真逆を行く人物であった。岡崎氏が死ぬ前の最期の輝きをこの作品で発揮したとするならば、同人から抜擢されて確か初めて商業作品に関わったしろ氏は、まさに今から羽ばたこうとする生の輝きをこの作品に刻みつけた。――そして、そんな対称性とは裏腹に、彼もまた現実から飛翔したがっているフシがある。彼は唐突に旅に出て失踪してしまうことがある。彼が何を考えてそうしているのかは分からないが、しかし、旅への憧れには畢竟日常から離れたいという意識が込められていると私は考える。その意識を反映しているかのように、しろ氏の絵もどこか岡崎氏の音楽同様妖精的とでも表現すればいいのだろうか、現実離れした印象を受ける。
西川氏が描くのは、双子の美しい少女の命を無理矢理1つに纏めてしまったり、妖精が自殺する様を延々描いたり、無垢な幼女と共に宇宙空間に射出されて死んでくれませんか? な話を描いたり、生命に対する冒涜のようなストーリーばかりだ。彼の話ではいつも少年少女のあどけない思い込みや美しい恋心、初々しい葛藤などが厳しい現実の殴打により臓物のようにぶちまけられる。――これも歪んではいるが、現実からの飛翔と呼べなくもない。彼が描きたいのが現実ではなく、現実によって人の命を壊しぶちまけられた「臓物」の方であることは明らかだからだ。
3人の、立場は違えど現実に傷つけられそこからの飛翔を望んでいるクリエイターが集って、1つの作品を作った。その作品も必然というべきか、あるいは必要条件は整っていても実際に生まれることは稀であるのだから奇跡と言うべきか、我々プレイヤーに束の間の現実からの飛翔を感じさせてくれる麻薬のような魔性を帯び、プレイヤーやそれを生み出したクリエイターすら中毒に陥らせてしまった。
続いては、その作品の中身について簡単な考察を加えたい。
--------------
リセ
--------------
名前からして妖しい。
「女子高生」という言葉に魅力を感じない男はいないのではないかと思うほどだが、彼女の名前はそのまま直球で「女子高生」である(厳密には曲名の『リセエンヌ』が女子高生って意味らしいけどね)。
しかも彼女は、世の男が女子高生に抱く幻想を体現したかのように危ういまでの無邪気さと見る者誰もが壊したいと思うガラス細工のような容姿を持っている。そんな魅力的な生き物がずっと孤独に置き去りにされ、自分を見て欲しいとさえずり続け、見つけてくれた相手にまるで刷り込まれた雛のようにどこまでも付いていく。――たとえ喉を潰され羽をもがれても。
クリスはそんな彼女を、アルに似ている、と表現する。確かに、自分がどれだけ傷ついても相手を求め続ける姿はよく似ている。自分に自信が持てず、受動的な姿も。
喪った恋人に似た彼女に近づいていくうちに、クリスはやがて彼女の病巣に気づき始める。歌いたいという願いを残酷な現実によって遮断されている葛藤、孤独の中で自分の居場所を求め続ける哀れな姿――そうした悩みさえ彼女はアリエッタそっくりだった。彼はまるで償いのようにリセを救おうと奮闘を始める。
リセシナリオでのクリスは時に大胆だ。例えば、
> 【クリス】
> 「リセ……よく聞いて。もう、グラーヴェの元には戻ら
> なくて良いから。僕の部屋に戻ろう」
> (中略)
> 【クリス】
> 「もう二度と、君を傷つけさせはしないから、僕と一緒
> に来てくれる?」
> 【リセ】
> 「……でも……でも!」
> リセは、怯えるように後ずさろうとして、それもできな
> かった。
> 彼女のすぐ後ろには堅い扉があり、誰からも、僕からも
> 逃げられはしない。
> (中略)
> 【リセ】
> 「……やめて……見ないでください」
> 【クリス】
> 「……やめない。僕に見せて」
> 【リセ】
> 「……いや」
> (中略)
> そして僕は、リセを抱きしめた。
> リセは、全く抵抗しようとはせず、なすがままになって
> いる。
> (中略)
> 【クリス】
> 「リセ……好きだよ」
> 【リセ】
> 「……わ……私も……です」
> 僕達はこの雨の中、抱きしめあい、何度もキスをした。
(リセシナリオ 1月12日)
という流れなど、実にへんた……情熱的である。
そうして、自分の社会的な立場を棄ててまでロリっ子を手に入れようとする……もといリセを守ろうとするクリスの台詞は一々カッコイイ。
> 【クリス】
> 「違うんだ、リセ。僕は、君になにかして欲しい訳じゃ
> ない。君のためになにかがしたかっただけなんだ」
(リセシナリオ 1月13日)
このまま二人が幸せになってくれれば、とプレイヤーは願うが、そうは西川問屋が卸さない。リセの魅力は、それを知るモノを放って置かせないのだ。
――そして、リセはグラーヴェにより喉を潰される。
このシーンは同人誌「こんな空の下で」で詳述されるものの、そこでもグラーヴェの内心は描かれない。
彼はそのとき、何を感じたのだろうか。
自分の下から飛び立とうとする雛鳥の羽をもぐ感触は、
開きかけたつぼみを手折る興奮は、
正規の教育なくして人々の心を振るわす天上の楽器を壊す音は、
可能性溢れる少女の未来を摘む悦びは、
血の繋がった愛娘の繊細な器官が掌の中で潰れる痛みは、描かれない。
後にはただ、畸形してなお美しい命が横たわるのみである。
そしてそれを守るクリスの心もまた、畸形してしまった。
> 【トルタ】
> 「これって、贖罪のつもりなの?」
> 【クリス】
> 「……え?」
> 【トルタ】
> 「……なんでもない。気にしないで」
> 【クリス】
> 「トルタ?」
> 【トルタ】
> 「じゃあね」
> トルタは、最後にそれだけ言って、去っていった。
> 病室に残された僕達は、それをただ見送った。
> 【クリス】
> 「……まあ……いいか。ね、リセ」
(リセシナリオ 1月25日)
alfineをプレイすれば明らかだが、トルタの言葉は「アルに対する贖罪」も意味している。しかし、クリスはその意味が理解できない。理解してしまえば壊れてしまうから。理解してしまえばもうリセを守れなくなってしまうから。だから、彼はアルのことを忘れてしまた。
しかし、リセとクリスが現実によって歪められたからと言って、彼らは決して不幸せではない。周りからどんなに痛ましく思われようと、トルタからの眼差しがどれだけ悲しげであっても、「こんな空の下で」で描かれたように彼ら自身は幸せだ。
社会的に終わってもロリっ子とイチャイチャ生活を過ごすことの何が悪い? ……じゃなかった。本来ならどこまでも高く舞い上がれる才能を持った二人。しかし社会によって全てをダイナシにされ見る者が目を背けたくなるような無残な姿を晒しても彼ら自身は幸せだと思っている。それの何が悪い? そういう、見ようによっては悪趣味なテーゼをこのシナリオはテージしている。
もっと悪趣味なことを書くが、このシナリオはプレイヤーによっては救いを感じるかもしれない。クリスのフォルテールは「全てが赦されるような気がする音」リセのフォルテールは「全てを受け入れてくれるような、そんな音」だと言う(いかさまコイン)。その音の通り、彼らのシナリオを見て「自分が幸せだと思うのなら、それでいいさ」と、プレイヤーは周りから向けられる哀れみの視線も、暗いディスプレイに映る醜悪な自分の姿も、忘れることができるのかもしれないのである。
--------------
ファル
--------------
彼女の名前の由来は「嘘」だが、恐ろしいことに彼女はこのゲームの主要人物中唯一嘘を吐いていない人物である。嘘だと思うなら確認して欲しい。彼女が「言葉の上で明確な嘘を吐いた」ことは一度もない。リセですら、
> 【???】
> 「……あ……いえ。……その、一年です」
> 【???】
> 「せ……声楽科の」
(共通)
と明確な嘘を吐いたことがあるのにである。
決して嘘を口にしない……しかし、彼女の在り方そのものが嘘……ファルシータとはそういう女性である。本当の嘘吐きはわざわざ嘘を吐く必要すらないということか。
そんな彼女が雨のmusiqueで歌う心情は、しかし随分と普通の少女らしい望みである。「愛したい」「愛されたい」「分け合いたい」「本当の私を見て欲しい」――そして彼女はその相手としてクリスを選んだ。
彼女がクリスに惹かれて行った経緯は、あの衝撃的な1月19日の夜に語った通りなのだろう。最初はクリスの「音」に惹かれた。その理由は彼女が語った通り
> 【ファル】
> 「私に足りないもの。クリスさんはもっている気がする」
(ファルシナリオ 12月23日)
ということと、もう一つ、クリスのフォルテールが「全てが赦されるような気がする音」だからだろう。彼女は自分の歌を向上させたいと思っていると共に、「本当の私を見て欲しい」という願いを抱えている。その願いを叶えてくれそうだったのが、クリスだった。
そして彼女は、やがてクリス自身にも惹かれていった。これもまた真実であろう。1月19日の彼女は、
> 【ファル】
> 「だって、あなたが好きだったから」
> 【クリス】
> 「嘘だ」
> 【ファル】
> 「これは本当よ。そのためにあなたのことを調べて、こ
> こまでやってきたんじゃない」
(中略)
> 【ファル】
> 「私は、自分のことを知って欲しかった。こんなに酷い
> ことをする女だって」
> 【クリス】
> 「……なぜ」
> 【ファル】
> 「それでも、好きだって言って欲しかったから」
(中略)
> 【ファル】
> 「私の夢のために」
> 【クリス】
> 「……なんだ、結局僕も、利用されてるだけだったのか」
> 【ファル】
> 「そうね。それも真実よ」
(中略)
> 【ファル】
> 「だってわたしは、くりすさんのことをあいしているん
> だから」
(ファルシナリオ 1月19日)
と、繰り返しクリスへの愛を強調している。
もちろんこの行動は単に愛するクリスに本当の自分を受け容れて欲しいという理由だけで取ったものではない。もう一つ、彼女は、クリスを悲しませたかったから、敢えてこんなやりかたで自分の醜い部分をさらけ出したのだ。
クリスの音の根源が「悲しみ」であることはalfineシナリオでも語られているし、ファルシナリオでもそれとなく示唆される。彼女の歌「メロディ」でもそれは語られている。ところが、クリスはファルと付き合っているうちに幸せになってしまい、音が変わってしまった。
> 【ファル】
> 「ねぇ、クリスさん。今日は調子が悪い?」
> ファルさんは少し不思議そうな顔でそう言った。
> 【クリス】
> 「え、何か変だった?」
> 【ファル】
> 「……いや、そういうわけじゃないんだけど」
> 【クリス】
> 「特に間違えもしなかったし、調子も悪くないと思ったけ
> ど……」
> 【ファル】
> 「うん……私もそう思う」
(ファルシナリオ 1月18日)
> ――指は動く。
> 調子は悪くない。
> いや、良いと言っても構わないだろう。
> なのに……
> 何かが足りないのではないか、と自分でも感じた。
> 言葉にすることはできない、もっと情緒的な、何か。
>(中略)
> 【ファル】
> 「クリスさん……いま、幸せ?」
> 【クリス】
> 「……多分」
> 突然のそんな質問に、曖昧な返事を返してしまい、それ
> から訂正する。
> 【クリス】
> 「いや、幸せだと思う」
> 【ファル】
> 「……そう」
> それでもまだ、少しだけ遠慮がちな僕の堪えに、ファル
> さんは顔を逸らしてうつむく。
> そのすぐ後に彼女は顔を上げ、そのときにはもう、いつ
> もの笑顔しかその顔には映っていなかった。
> だからそのとき、ファルさんがどんな顔をしていたかは、
> 僕にはわからなかった。
(ファルシナリオ 1月18日)
彼女は孤児院出身で、幸せになるためにはどうしても卒業演奏で成功しなければならない。そのことは彼女自身が語っている。
> 【ファル】
> 「だからね、この卒業演奏は私にとって、とても大事な
> ものなの。ただ卒業するためにしなくてはいけないこ
> とじゃない、大事な……」
> 最後の方は、小声でよく聞き取れなかった。
(ファルシナリオ 12月23日)
だから彼女は、1月19日の夜に敢えてあんな行動に出た。
ひとつは、クリスに深い悲しみを植え付けて卒業演奏で成功するために。
もうひとつは、愛するクリスにありのままの自分を受け容れてもらうために。
そして第三に、自分を悲しませるために。
ファルがクリスに近づいた元々の理由の1つは、クリスの音にあって自分の音に足りないものを手に入れるためだった。そしてそれが「悲しみ」だとファルは理解した。JASRACが怖いので歌詞は引用しないが彼女のエンディング曲「メロディ」にもそう書かれている。
そしてそれを裏付けるかのように、彼女は行きたくない孤児院で演奏をさせられた後、一時的に足りないものが埋まっていた。
> ファルさんの歌声に、今までになかった『なにか』を感
> じることができた。
> フォーニと、そして彼女自身も足りないと言っていたな
> にかが、そこにあると僕は感じていた。
(ファルシナリオ 1月3日)
好きな人と真っ当に愛を深め合うのではなく、自分の醜い部分を見せて見下され、相手も悲しませ、挙げ句レイプ紛いの真似をされるなど彼女とて望むことではなかっただろう。それでも敢えてそう誘導したのは、彼女が自分自身に悲しみを刻みつける為だったのであろう。
こうして彼女は、クリスと自分を「調律」した後で言うのだ。
> 【ファル】
> 「明日の卒業発表だけは、なんとか出てくれないかな」
(ファルシナリオ 1月19日)
理由は言うまでもなく、最高の卒業発表にするためである。