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darutonさんのRewriteの長文感想

ユーザー
daruton
ゲーム
Rewrite
ブランド
Key
得点
80
参照数
2802

一言コメント

RewriteとCLANNADの共通点

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

Rewriteは田中ロミオがCLANNADのメインルートと同じ問題意識を持って作った作品である。

なぜRewriteがCLANNADのメインルートの問題意識を使って作品であるのか。それは、CLANNADのメインルートのテーマが主人公の親である「セカイ」が子である主人公に何を望んでいるのか、その願いを叶えたならば親である「セカイ」は子である主人公に何を与えるのかというものである。そしてRewriteのテーマも親である「セカイ」が子である主人公に何を望んでいるのか、その願いを叶えなければ、子である主人公たちの住む場所をなくすというものである。端的にいえばどちらの作品もテーマは親が子に願うことだと考えられる。
ここからは、CLANNADとRewriteの「セカイ」がそれぞれ何を主人公に何を願い、主人公に何を行ったのかについて比較し、検討する。まず、CLANNADの「セカイ」から検討する。CLANNADの「セカイ」とは、主人公が住んでいる「街」である。「街」が主人公である朋也に願うことは、街に住むひとたちの願いを叶え幸せにすることである。つまり、「街」が願うことは、人を幸せという状態に留めておくことである。そして、渚・風子・ことみなどの願いを叶え幸せにし、「街」の願いを叶えた朋也に「街」は渚を生き返らせるということを行った。これに対してRewriteのセカイである「篝」が主人公である瑚太郎に願うことは良い記憶である。ここでいう良い記憶とは、可能性(希望)である。つまり、「篝」が願うことは、人をどこにも留まらず進歩し続けることである。「篝」の願いを瑚太郎は叶えたが、「篝」にとって手遅れであったため、瑚太郎は、人々に可能性を与えるだけに終わった。そのため、CLANNADの「セカイ」とRewriteの「セカイ」との違いは以下の通りである。それは、親は子(人)が幸せという状態に留ませるべきか、それとも子をどの様な状態にも留まらせるべきではなく進歩という修羅の道を常に歩かせるべきなのかという違いである。

次にCLANNADの「セカイ」とRewriteの「セカイ」との間になぜこのような違いが出るのかについて検討する。この違いは、「セカイ」が何を目的として、主人公に願いを叶えてほしいによって異なる。まず、CLANNADの「セカイ」である街の願いを叶えることで朋也が得たのは、現在の幸せである。つまり、「街(親)」の願いは人々(子)が抱えている問題を解決してあげ、今現在ある最大限の幸せを街に住んでいる人々(子)に与えたいということを目的としていると考えられる。つぎに、Rewriteの「セカイ」である「篝」の願いを叶えることで瑚太郎が得たのは、ヒトが生存できるという可能性である。つまり、「篝(親)」の願いは、人々(子)が抱えている問題を自力で解決できる体力をつけさせ、過酷な未来に立ち向かっていける力を与えることである。したがって、極論を言ってしまうと、「街」は、他人の願いをたくさん叶えてあげたら、実現不可能な願い(人を生き返らせる)も叶えてあげるよという過保護な親であり、篝は、問題を自力で解決できないと、子の面倒をみないよというスパルタで放任主義の親である。ここから見えるのは、CLANNADとは、他人の問題を解決しておけば、セカイや仲間があなたの問題を解決してあげるよという他力本願なストーリー?であり、Rewriteとはあなたの問題は、あなた自身が解決しなければならない、仲間はそれを手伝うだけだよという自力本願なストーリー?であることがわかる。そして、私は、CLANNADがこのテーマに対して出した答えとRewriteがこのテーマに対して出した答えでは、どちらが納得できるかといえば、Rewriteの答えである。なぜなら、より現実的であり、具体的であるからである。