罪と罰と後悔と、優しさと赦しと恋の物語。人には人それぞれの事情があって人生があって想いがある。当たり前だけど忘れがちなそんなことを、群像劇のような各エピソードに乗せて描いていく。そんな作品です。
「教えとく!!人類は"下"を作って生きてきた!!」
(中略)
「 "差別"とは安堵だ!!!」
(『ONE PIECE』1054話より)
「永遠を手放す程に、素敵な感情」
「これは、恋なんだってわかった」
(本作中より)
子どもには抗いようもない差別の構造の中でもがく主人公やヒロインたちを描く本編部分よりも
それぞれの事情、それぞれの想いが見えてくる、群像劇のような√aaa部分の方に惹かれました。
登場人物たちがどんな想いで向き合っていたのか
そしてそれを踏まえた上で、どんな想いで新たに関係を築いていくのか
それぞれが過去を見つめ今を見つめ
苦しみながら喜びながら支え合いながら日々を生きていく
《幸福も、不幸も、愛情も、憎悪も、非凡も、平凡も、異常も、日常も、
時に処理できない程の力でもって襲ってくるけれど、
『それでも人よ、幸福に』》
《》内はワタクシが『サクラノ詩』の感想の最後に持ってきた一文なのですが
その『サクラノ詩』へと繋がっていく【幸福に生きる】というテーマを
拙いながらも感じることが出来たと思います。
HayamiHinata 蛇足 HotaruOtoha
・あれ?H3Oになってしもうた……
・で、そこに入っていない田端ゆいさん。
まー√aaaで魅力的なキャラになってしもうて。
『はやみの友達』が一番好きなエピソードかもしれません。
ただ、彼女をヒロインにするためにちょっと設定変えてますよねぇ。
本編部分では何百年も続いてる身分差別的なものだったはずが
√aaa部分では互角の村同士の長年の抗争で、両方に大量の犠牲者が出た末に
勝利した沢衣村が憎しみを持って虐げている、という感じに変わってしまいました。
まあこうでもしないと、ゆい√の兄の描写なんて絶対出来なかったでしょうし
ゆいはやり過ぎてる感満載の子なので、本人√はもちろん、他ヒロイン√(特にはやみafter)で
実はいい子なんてされても、白けるだけだったでしょう。
止むを得なかった、ということにしておきますか。
・はやみはキャラ造形が古いですね。あの手の早さ。今なら絶対拒否られますて。
ただあの娘が長じて、あんな卑屈なキャラになってしまうとは。
彼女の自己肯定感を破壊しつくしたであろう子ども時代の出来事はホント恐ろしいです。
こんなに尾を引いてしまうのだから。
ただ他の√のあまり変わっていない彼女を見る限り
琢磨とくっついて、気を張ってなくてもよくなったからこその姿でもあることを考えると
一概に不幸な姿ともいえないのかな。
・はやみだけでなく雪路も。多分、受け入れられるホントギリギリの時代だったかなと。ゼロ年代が限界。
……ところで彼女、Hシーンが無かった気がするのですが、バグですか?
・そのHシーン。淡白か変態か的な極端さがあったような気がします。
変態の方はケロQの匂いがふんだんにしました。
・おっぱい。
この時代の枕ですら、巨乳病(はやみは絶対小さくない)に侵されているのが悲しくなりましたが
体全体の造形に関しては細身の娘ばっかりで、いかにもケロQ/枕的。
立ち絵そのもので、外形だけでなく内面まで含めた
《少女》という存在の儚さ・不安定さといったものが表現されていて。
こういう繊細な作品にふさわしいデザインだったと思います。
・『サクラノ詩』のメンバーがいっぱいゲスト出演していてウッハウハですよ。
稟が一旦田舎に引っ込んで、再び帰ってくるっつー設定とかこの時代からあったんだなぁ。
他には、傍若無人度合いの強い真琴とか
理不尽でいい加減な人間度合いの強い直哉とか
キャラデザが本編より妹キャラっぽい里奈とか
ほぼ変わっていないノノ未とか
全体的には『サクラノ詩』本編よりキャラが尖ってる人物が多かったように思います。
これもまた時代ですね。
・さて、これで一応『サクラノ刻』の予習は済んだということで。
……来年春にはプレイしたいなー(積みゲーを眺めながら)