顔の美醜について
突然だが、あなたが、全く面識のない、美人局ではないと保障された、顔の美しい女性から、交際を提案されたらどうするだろうか?
僕なら迷わず承諾する。
また、その女性が、自分にだけ美しく、他人には、醜く、映ったとしたら?
おそらく、僕は、より一層喜んで、その提案を承諾するだろう。
外面より内面だ、なんて言葉が無力に感じられるほど、人の、僕の、オタクの、姿かたちに対する妄執は果てしない。
それが何によるものなのか。美とは幸福の約束である。それを約束された子孫を残すため?
種の本能?それとも、SFちっくに、哲学ちっくに、神に定められたもの?
何でもいい。
たとえそれが何に起因するものであっても、今の僕は、その優位性を無視することも、忘れることもできない。高校生最高。ロリコンは犯罪です。白ワンピースは正義。小学生は最高だぜ。パンツじゃないから恥ずかしくないもん。いや、しかし瑶のような巨乳も捨てがたい。
※ただし美少女に限る。
そして、美しいものを手にいれたときの、それへの執着心も。自分以外の人間に最愛の彼女が醜い存在として映るというのなら、僕は、それに対して、他者に自慢できないといった感情よりも先に、他者にとられることがない、という安心感を覚えるだろう。
そんなある種の人間にとって、この沙耶の唄の世界はパラダイスだ。目の前に居るのは、絶世の美少女。彼女には自分しか、自分には彼女しか、依存できるものはない。最愛の彼女は一途に自分だけを愛する。決して裏切られることのない安寧。なにより、児童福祉法やなんやで、ポリスメンの厄介になることもない(もちろん別の理由では捕まるよ。破滅的だね)。※ただしイケメンに限る、なんて人物に奪われたり、心変わりされたりする心配もない。
奥涯教授は、人間は本能を知性でもって超越した、と語った。しかしこの物語において、顔の美醜という本能に、真に抗えたのは沙耶という異形の生物ただ一人だったのかもしれない。彼女がそんなものを意識したとも考えられないが。
さて、最後に、あなたは親しい友人や、家族、社会上における人との関わり、今あるものすべてを捨てて、モニター上の沙耶の世界に入っていける覚悟があるだろうか?
あるというのならば、お仲間だ。
一緒に決してかなわぬ夢物語を見ようじゃないか。
現実を見ろ、とか、妄想に逃避するな、なんて言葉知ったこっちゃ無い。
声高々に叫ぼう。
早く二次元の世界の人間になりたーい。沙耶とちゅっちゅしたーい(爆)。