許さないし、恨み続けるが、良い物語だった。
取り留めもないことをちょっとだけ、気の赴くまま書き連ねてみようと思う。
この物語を通して抱いた感情を残しておきたい。それくらいに熱量のある作品であった。
好きなcaseは0と2。ただしラストは絶対に許さない。
◯case1
僕が45歳かそれに近しい年齢であればもっとのめり込めたかもしれない、というのが一番の感想だ。あるいは有島に近い境遇であればか。
凛は端的に可愛いし、有島のうだつの上がらない中年っぷりは人間味を感じはする。
凛の人物像は大人びていながらしっかり幼なげで、どこか官能的だ。流石におじさんホイホイという感じがする。
有島との交流を経て、惹かれ合いながら、父を知り、父と死臭のする部屋に囚われた自分を解放していく。有島もまた、波多野の日記と同調し、それを乗り越えた先で、自分の本当に書き伝えたいものを認識する。
結ばれてからの凛がまた魅力的だった。それまでも徐々に敬語が外れつつあった教え子から、とうとう、敬語以外で話すことの方が多い恋人になる。年相応のあどけなさが同時に噴出してきて、流石に心を奪われかけた。オリヴィア様がいなければ危なかったかもしれない。
お気に入りの場面は、凛がウインナーの試食バイトをした辺り。父親から親らしいことをしてもらってこなかったと思っていた子供が、親の残した財という莫大な庇護下にあったことを経験として自覚する様が好き。
渡辺は良心だった。良いやつすぎて怖くなるほど。終業式数日前から学校すっぽかした45歳講師に笑顔で応対する36歳だぞ、そいつの離婚届に何食わぬ顔でサインくれるやつだぞ。
モデルとなったであろうcase0の入麻からして良き友であったから、得体の知らなさはいくらか和らいだ。入麻もヘラヘラした顔でいつ裏切るか疑ってごめん。
◯case2
case1〜3で最も面白かったのは、case2オリヴィア・ベリーであった。まず、オリヴィアの振る舞いが好きだ。
思えば、幼少期に世凪が海斗へ差し伸べた手は、オリヴィアのものに似ていたような気がする。オリヴィアが世凪に似ている、という方が正確か。
奴隷となったウィルを主として強引に従えるのではなく、彼の甘え要因を一つ一つ潰していく優しさが好きだ。酒場を放置するのではなく共同で営むことで、ウィルに物語を書く時間を与える。ぐいぐいと彼のプライベートに踏み入りながらも、節々に不思議な思いやりを感じさせるオリヴィア様に、あっという間に魅了された。
ウィルの甘えの象徴は酒場とそこに集う友人たちとのぬるま湯状態。その一員であるエドを殺された怒りがマーロウ打倒の原動力として機能し、それまでの甘えがたち消え、ハムレット執筆に心血を注ぐ展開がまた綺麗で、先が気になってクリックの手が止まなくなった。
後半の物語展開もまた憎い。やる気のなかった三流の一座が、ウィルの脚本と役どころの噛み合いによって頭角を表していく。オリヴィアを自由にするため、ウィルが一皮剥ける。恋人のために体を張る男、それが元は甘ったれた少年だったとなれば、見栄えも一入だった。
キキが悪魔的にかわいいんだなぁ……流石にお尻を掘りたくなってしまった。これはチンチンが生えてるからこその劣情だと思う。
数合わせの奴隷から、かけがえのない役者としてキキとトーマスを認めていくオリヴィアが良い。それに応え、役者としての楽しみを知り、女とバレかけたオリヴィアにも笑顔でついていく彼らが良い。どこまで行っても王道的。だからこその良さがある。
親父やロブも、キャラクターは大半が気のいい連中で、読んでいて和む。
◯case3
すももの第一印象は、薄っぺらいやつ。他caseに比べて神代岬さんの演技にわざとらしい軽さがあり、そういった表面的なところで魅せてくるタイプなのかと思った。違っていた。
薄っぺらく見えたのは、実習生としてのすももがそもそも教師を無理やりに演じていたから。教師を志したのは、母が自分を真っ当に育て上げたことを知らしめるためだった。
カンナに抜群の一枚を撮られ、カメラを通した彼の真摯な言葉にあてられ、おしゃれに武装した姿で実習の最後を締め括るのが気持ちいい。
スクラップハンター梓姫さんも主にリアクション芸人として良かった。でしょうが。
カンナパパに関しては、モデルが遊馬だとcase0中でわかって吐き気が込み上げた。世凪を奪われた直後にアレかましてくるの許し難い。
◯case1〜3
どの短編も非常に面白かった。長文感想中で点数の話を持ち出すのはあまり好きではないが、批評空間でそれぞれ入力できるならばcase1:81、case2:85、case3:79といった具合。
一方で、夢であることが予め明かされていること、海斗の視点と行き来することから、世界観と物語に没入することをやや阻害されたところがあった。
◯case0
最長のボリュームをもって、海斗と世凪の人生を描く。一番好きなcaseは0で間違いないし、神代岬さんのやわらかな声色も、それまでの演技の中で特に好ましいものだった。本当に、演技の幅広さに驚かされる。
この物語中でも、記憶を取り戻す最中の海斗と視点の行き来はあったが、視点主が海斗同士だったことと、世界観が移り変わる訳でもないことから、特に阻害されることなく物語に没入することができた。
個人的に、現実は夢と違って取り返しがつかないという想いが強くあり、世凪の前頭葉が切除された際にはあまりの絶望に泣きそうになった。とはいえ、遊馬の信念を否定し切ることも僕にはできなかった。
世凪の頭を弄って海斗も研究から外すというフルコースかました後に、また助けを求めて下層までのこのこやってくるのには流石に殺意の増幅を感じてしまったけれど。
・世凪であって世凪ではなくなった誰かについて
モヤモヤが1点。
人が生きる、生きた意味のあることって何だろうか。
大義がなくてはいけないことだろうか。世凪にとって唯一生きた意味のあることは、本当に世界になることだったのだろうかと疑問に思う。
つまるところ、決定的に解釈違いを引き起こした。
僕の読み取りの浅さ故かもしれないが、世凪の最終決断にどうしようもない違和感を抱いた。
海斗と共に歩むだけでも、世凪にはとてつもなく意味のある人生であったと僕は思うのだ。
確かに、自ら偽物と誹る通り、三つのcaseを経て目覚めた世凪はかつての彼女ではなくなっていたのだろう。case0という名は、記憶の中の世凪さえ遠い存在になってしまった、終盤の世凪にとって物語(case)の一つになってしまったという意味も含んで感じている。
終盤の彼女が世凪の残滓を宿す別人と考えるなら、確かに世界と化す決断に人生の残りを捧げることもあり得るのかもしれない。
それなら百歩譲って決断は否定しない。
しかし、すると今度はそのような決断を賛美する、感動的に彩ろうとするような演出がとてもとてもとーっっても、気に食わなくなってくる。
世界になることを美談にするな。身体の寿命は残れど意識的には死に至ると同義だろう。それはどこまで行っても生贄だろう。
決して褒められたことではないのだ。それを褒められることのように飾り立てることが、どうしようもなく、許せない。生理的な嫌悪を感じる。
世凪を返してほしい、またあの狭い家で幸せに暮らさせてほしい。
世凪を奪われ、遊馬に軟禁された海斗のような顔面になりながら画面をぶっ叩きそうになった。
ラストの遊馬も世凪のくれた時間を無駄にしないとか何とか宣ってくるが、頭にメス入れて誘導した奴に言われると腑が煮えくり返る。
・世凪であって世凪ではない彼女について
モヤモヤがもう1点
ED後にて海斗の前に現れた世凪を、僕は世凪と認めたくないという意地の話をしたい。
彼女は集団の意識に形作られた幻影であると解釈している。海斗の驚異的な記憶力を持ってすれば、仮想世界の人々のイメージに世凪をありありと植えつけるというのは、十分に可能なことなのだろう。
そうした多人数のイメージ共有が本来存在しないものを顕現させることについては、case0中でも言及されていたことだ。あのENDをご都合主義とは思わない。むしろ海斗の女神語りが人々に浸透すれば当然訪れる帰結と言える。
しかし、そうして現れた世凪は決して、世凪本人ではない訳だ。海斗から見て本人に限りなく近い世凪像が生み出されたに過ぎないと解釈している。
世凪は今も生きたまま意識として死んでいる状態のはずなのだ。嫌だ。幻影相手に涙を流す海斗なんて見たくない。心理的に仕方のないことでも、流さずにはいられない涙でも、許せない。グロテスクすぎる。
憎い。心憎い方ではなく、憎悪としての憎らしさを抱いている。海斗にあの涙を流させた、幻影の世凪にあの笑顔で応えさせた、あの歪な再会を生み出したラプラシアンを、心の底から恨む。
良い感情も悪い感情も刺激された。それら全てを総合すれば、あぁ、めっちゃ良かったな、となるくらいには、僕はこの夢の物語を楽しむことができたのだと思う。それでも許さないし恨み続ける。
作品を『良い』と思う感情の内訳を、プラスばかりで占める必要はないと思っている。