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centermanさんのもしも明日が晴れならばの長文感想

ユーザー
centerman
ゲーム
もしも明日が晴れならば
ブランド
ぱれっと
得点
98
参照数
855

一言コメント

限られた時間の中で、大切な人達と過ごすかけがえのない日々は切なくて、それと同じくらい素晴らしい日々だった。最期の日常、最期の文化祭、最期のフォークダンス。それは一緒に大人になれなかった二人の、2ヶ月足らずの優しい夏の想い出。

長文感想

数ある作品の中で、子供の頃からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染同士という設定は王道とも言える。一緒に想い出を重ね、一緒に大人になっていき、やがて一番そばにある大切な存在に互いが気づくというパターンである。

その中で、残念ながら一緒に大人になる事が出来なかった、そんなIFがこの物語である。正直に言えば、俺は今まで幼馴染という設定にそれほど魅力を感じなかった。しかし、本作をプレイしてその考えは全く変わってしまった。それほどのメッセージ性を本作品から感じ取る事が出来るし、幼馴染というのは簡単な設定でありながら実は凄く深いものなんだと理解した。


「あまりにも近くにいた存在だから、もともと二人で一人みたいなところがあったから。」

「自分の半分を無くしてしまったら、動けなくなっちゃうよ。」
                       (共にchapter1一樹の台詞より)
                      

これらは物語冒頭での主人公の独白であるが、俺にはこれらがこの物語の全てを物語っているといっても過言じゃないと思う。何故明穂が帰ってきたのか、何故主人公はそれほどまでに明穂を求めるのか。結局の所一樹にとって幼馴染である明穂は自分の一部だったのである。



「ほんと?目を開けたら、骸骨みたいなのがカタカタ笑ってるかも知れないわよ?」

「それでも、明穂なら怖くない。」
                    (chapter1明穂、一樹の会話より)


俺はこのシーンを見て、幼馴染という存在の素晴らしさを改めて感じた。何故ここまで幼馴染という設定がよく使われているか、その理由が。

結局、幼馴染というのは無償の愛を与え合う存在なのである。物心ついた頃から一緒にいて、想い出を共有し、同じペースで大人の階段を上っていく。そこには自分の全てが詰まっていて、相手の全てが詰まっている。要は一心同体なのである。

人間誰しも自分の欲望が一番だと思う。それは恋人に対してでさえも当てはまるかもしれない。金を持ってるから付き合う、顔がいいから付き合う、優しいから付き合う。

それが悪い事なんて言う気はもちろんない。しかし、心のどこかで恋愛なんてそんな物だとか思ってしまってる自分がいるのも事実なのだ。

だからこそ一樹と明穂、彼ら二人の愛は素晴らしいと思うのだ。お互いに依存しあい、それでいて一番に相手の事を思い合う。

仮に明穂が本当に骸骨の姿になって一樹の前に現れても、一樹は同じ様に愛していただろうか? 答えはyesだ。少なくとも俺はそう信じている。一樹にとって明穂はそんな瑣事でどうこう言うような存在ではないからだ。

明穂に関しても同じことが言える。明穂は既に死んでいる身であり、少なくともいつかは消えてしまう存在である。彼女の恐怖は計り知れない。なにより、一樹ら数人を除いて誰にも認識してもらえないという状況の中で過ごすというのは、どれほど辛い事だっただろうか?自分と同じクラスで学んでいた友は、高3になり進路を決め、新しい道に進もうとしている。そんな中で明穂一人だけが、閉ざされた未来の中でもがいているのだ。

俺が一番悲しかったのは、やはり文化祭のシーンである。皆が楽しく出し物を企画し準備してる中、一人取り残された気持ちになる明穂。その時の彼女の気持ちを考えると、本当に辛いし、何故そこまでして現世にとどまるのかと思ってしまう。

しかし、それも全て一樹のそばにいたいから、ただそれだけなのである。明穂にとっては一樹が全てだったから。どんなに辛くてもそばにいたいと願ってしまったのだ。

明穂の為を思い成仏を願った一樹。どんな姿になろうとただそばにいられるだけでいいと言った明穂。俺にはどちらが正しかったかは分からないが、互いが互いを強く想っていたという事だけは分かる。そして、それがこの物語の全てだとも。

一樹と明穂にとってお互いの存在は自分の人生そのものだった。きっと二人共一緒に大人になりたかったに違いない。一緒に高校を卒業し、一緒の大学に入り、一緒に大学を卒業し・・・一緒に人生を終える。

そんな二人の姿が容易く想像出来るし、きっと二人はそうやって生きていくに違いなかった。

            二人は赤い糸で結ばれているから