ペシミストのジレンマ
「隷属のなかでも生き残ろうとしてしまう本能と、それに対する理性的な自己嫌悪」
ペシミストの構造を非常にわかりやすく表現していると思う。
この物語はウィトゲンシュタインやらシラノやらいろいろ引用して
世界と自分の関係とか、神がどうとかと語っているが、それは理由付けであって、
作品で問われているのはこのペシミストのジレンマをどうやって解消するかがメインであると私は思う
1:「運命」に隷属する理性的な生き方を自ら選ぶか(覚醒前の皆守・橘希実香ルート)
2:「予言」に積極的な意味を見出して同化=自由からの逃避するか(高島ざくろ、間宮卓司)
3:それとも自らを隷属させる構造や状況を克服するか(覚醒後の皆守)
高島ざくろや間宮卓司の行動は、客観的に見れば自殺でしかないが少なくとも主観的には、より超常的なものに自分を託して生きようとしている点に注意。
ほんとうの意味で主観でも自殺しているのは橘希実香ルートのみである。
んでこれを考えると
由岐を幽霊的なもの(悠木皆守から独立した存在)として捉えるかどうかは重要になってくる。ペシミストがジレンマに向き合った時1~3のどの判断に至るかにおいて、由岐は決定的に重要な問題を果たすが、彼女が何者であるかによって「他者が必要であるか、それでも自分の中に他者を作り出せばそれで足りるのか」という問題になるからだ。
そして、この問題について、作品中では明確な回答は示されない。個人的には、由岐は悠木皆守から独立した存在ではないと考えている。
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http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/isihara.html
ペシミストは、きわめて主観的な存在である。
ペシミストを知ることにより「私」は生き残ろうとする傲慢さと狡猾さに気づかされ、
同時にペシミストの存在が、自らこの場所から立ち去ることを拒ませる。
ペシミストとは人の心に住まう者である。
心にペシミストを住まわせる者は自分自身がペシミストになることはない。
なることができない。
心のなかのペシミストは、自分自身がペシミストになることから守ってくれる。
ペシミストとは何か。
生命、あるいは人生に対して自分とまったく違う見方をしている人である。
とりわけ自分が生き残ることばかりに心を奪われているときに。
「生きのこる機会には敏速に反応する、いわゆる収容所型の体質」にあるときに。
ペシミストは他人のことである。自分のことではない。
自分自身がペシミストであると思うのは危険な徴候。
ペシミストを他人に見る、そこに自分が映し出される。
ペシミストは一人称ではない。二人称でもない。
自分とペシミストの関係は、いつも、「私とあなた」の関係からははみでている。
それはいつも、まったくの他人、いわゆる三人称の存在として現われる。
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<蛇足>
展開されるストーリーは添え物で、メインはすかじ哲学を堪能することにある。
「俺達に翼はない」よろしく、ある事件を何度も執拗に違った視点からなぞることになるが、登場人物の視点から少し身を引いて遠くから眺めれば、起きている事件はシンプル&ナンセンスなもので、そこに深い意味を求める必要はない。
むしろ事件のちっぽけさを認識しておくことで、そのちっぽけな事実に多くの人物の感情や物語を詰め込むことができるというシナリオライターの主張が際立つはず。
そういう意味で、2周プレイを前提にするか、先に「ストーリーを教えてもらうスレ」などでシナリオを読んでからプレイしても問題ない、というかそうしたほうがいいとすら感じた。もちろん、少しずつ謎が解けていき、違和感が解消されていくという感覚を楽しみたい人はネタバレ無しでプレイすれば良い。
私自身は途中まで設定がよくわからなかったため(「終ノ空」プレイしてることによる先入観もあると思うが)に中盤辺りまでの会話にうまく入り込めず、結局2周プレイするはめになった。