彼が見たのは幻想か、妄想か。
さくらの詩はまだですか?
いわずとしれた怪作にして傑作、この作品をプレイしている日々こそがまさに素晴らしき日々でした。
最初の数時間はあまりにわけのわからない、なにがしたいのかわからない状態で、私は二回挫折していますが、先日の休みを使って頑張ってみたところ、その先には驚くべき世界が待っていたのです。
さすがにこれに90点台を与えずして、なにが90点足りえるのか、ということでこの点数です。
双子姉妹の役割、由岐という存在、卓司と皆守の戦いなど、語るべきことは多く、すかじさんというライターのなかにある世界観に圧倒されることしきりです。
すべてに考察をしているときりがないのがこの作品なので、今回はひとつだけ、実在した由岐のたどり着いた思想について述べてみようと思います。
人よ、幸福たれ!
この言葉は非常に意味深です。幸福でありますように、でも、幸福になれ、でもなく、「幸福であれ」。
どんな人も、生きているかぎり等しく幸福であらねばならない。
これは由岐という人格が最後にたどりついた結論であり、至言であるように私には思います。
幸せでいるということは実は非常に難しいことは、年を重ねるごとにわかってきます。ふとした瞬間に気づく、己の境遇や他人の行動に対する不満を抱いたことのない人はいないでしょう。
けれどそんな人も、「幸福であらねば」ならないのです。
どんな状況においても、幸福であることは難しいことですが、しかし不可能なことではないというのが劇中の由岐のたどり着いた思想です。
幸せというのは結局、自己肯定の極致であり、それは外部からもたらされるものではなく、自分のうちから発されるものであることに真の意味で気づいている人間は、果たしてどれほどいるのでしょうか。外面ではなく、己の現在や行動に疑いなくうなずける、そんな人間だけができることなのでしょう。
それこそが由岐のいう幸福の中に溺れるということであり、私はまだまだその境地に達しておりません。
いやはや、いろんな人に教えてあげたいくらいです。エロゲでなければぜひ子供にも。
さまざまな哲学的思想の混沌にのまれてみるのも楽しいものです。
また、この感想は私の一人よがりなので、反論その他はいつでもどうぞ。