何が起きても家族は家族。
以下、前作の感想を引き継いでの本編描写、推論、憶測、想像の産物。
科学者は観測は繰り返している。なぜなら内側の観測者である息子の「観る」事に少しでも変化があれば世界と可能性は容易く変容するからだ。例えば、観るタイミングであり、観るモノであり、観る順序といった具合だ。
この感覚は周回プレイ前提のゲームに似ている。同じ様にプレイしても、同じではない箇所が出てくる。これをイレギュラーと呼ぶならゲームは何度も繰り返せばイレギュラーもまたシステムの一部として組み込まれ問題は修正されるが、観測においては観方次第でイレギュラーを量産し続ける事になる。
5つの観測のイレギュラー部分のみを取り出すと隣の娘から「世界から世界への干渉」長女の世界から「世界内存在としての自覚」妻の世界から「確立した論理の否定」猫の世界「観測者の存在をも変容した世界の確定」末娘の世界から「世界内存在の混成と錯綜」の5つが検出され、後の観測のexodusと繋がった。
exodusにおいては内側の存在である「タツキ」と末娘が、外側の存在である「樹」と猫神とシステムの支配者と対立協力破壊しながら世界(システム)からの脱出を目指したものと言える。
樹は自分の世界では失敗した事を悔い「自身が望む楽園を手に入れる」事を目的として暗躍する。猫神は前回の猫の世界と可能性の観測において終盤息子が消し去った「猫だけがいない家族の世界」を作り出した猫が観測者として世界と同化した存在でありタツキに「猫だけがいない家族の世界」を確定させる事を目的とする。システムの支配者は比喩であり実際はシステムを構成する主記憶でバグを発生させ世界を崩壊させようとするタツキ達の前に立ち塞がる。
概要は序盤は樹がタツキを圧倒し翻弄したが、タツキ達は「シシオドシの製作」と猫神から入手した「始原の杖(掃除機の姿をしたバグ発生装置)」によって樹とその裏にいた主記憶に立ち向かう術を手に入れた。やがて樹は主記憶によって行動不能になり主記憶も末娘のタツキから託された始原の杖により機能停止となり世界は崩壊を始める。最後はシシオドシの時間の概念を明示する永久機関的機能により崩壊から免れたタツキ達は樹の妨害に合うもタツキは世界を脱出した。
ハッピーエンドに見えるが、末娘は世界を脱出していない。末娘は終盤の中盤で世界を安定させる要石とも言える存在であると明示され、始原の杖で崩壊を続ける世界を安定されるため世界と同化し還った。それを見届けた樹も己の誤りを自覚し最期は全てを忘却する事を望み、それを世界を渡る絶対零度の悪魔が叶えた。
観測はここで終わるかと思ったが、revelationという続きがあった。
脱出の後、猫神に「6つ全てが揃った世界」を望んだタツキは世界に辿り付いた。その世界では「認定猫」という概念で人の姿をした猫も存在が許容された。だが、この世界に末娘の存在も記憶もない。そこに新たな認定猫のニュース流れる。その姿は……。消失しても消失を埋める存在が現れ家族となる。猫の持つ可能性の「追奏」。これが観測の終幕だった。
猫と末娘の「合わせ鏡具合」は観測中に何度も見て取れる。願望の具現化と言える存在であり、どちらも結末如何では可能性の海へ還る。猫では「6-1」の世界を否定し「6-5」の世界を選び、末娘では「6-1」の世界を否定し「5+1」の世界を選んだ。二者択一。片方を選べば片方の存在は消失する。しかし猫は人間に末娘は猫として「新たな家族」へ再構成された。前者は「ささやかな奇跡」と称され後者は観測中に表現はないが「豪快な奇跡」と言える。revelationが「追奏」という形で終わったのはこれを踏まえれば異論はない。
今回の一連の観測の結論は、世界が変わろうと存在や記憶が消失しようと家族は家族。という至極平凡とも普遍的とも取れるものになる。これもまた「揺らがない」という事への解の一つと言えるだろう。