我々はInnocent Greyに何を求めるのか
メーカーとしては探偵モノであることを強く推しているが、推理小説としては駄作の領域である。
これはInnocent Grey作品全体に言えることではあるが、犯人が簡単に分かってしまうのである。
この「犯人が分かる」というのは『この人が犯人じゃないと物語進まないよね』といったことや
『物語を盛り上げるためにはこの人が犯人じゃないとまずいよね』といった我々が既に獲得してしまった経験に起因している。
早い話が個人の勝手な思い込みであるのだが、この思い込みがことごとく当ってしまうというのが推理物として駄作たる所以である。
しかしながら、それでも全く問題は無い。何故かと言えば、我々がInnocent Greyに求めるものはそのようなものではないからである。
殻ノ少女で描かれるのはあくまでも「パラノイア」の表現である、探偵小説の様な驚きや発見性と言ったものではない。
このパラノイアを表現するためには様々な要素が求められるが、「殻の少女」において優れている部分はやはり残虐性の扱い方であろう。
残虐性や猟奇性は欠かす事の出来ない要素である。この描写に嫌悪感を持つユーザーも多いと思われるが、この描写がきちんとしたパラノイアの表現の上に成り立っていることが素晴らしい。
決して描写だけが先走っていると思わせることがない。結果として、狂気性に説得力を持たせることに成功しており、パラノイアの表現として成立しているのである。
時代設定の選び方から、キャラクター、BGMまで見事な調和である。
例え「別の何か」を求めるユーザーであっても、おそらくは満足できるのではないだろうか。