名作、などとは口が裂けても言わないが
主人公は「間下みさお」という女の子。つまり、この子が同じ町内に住む愛しの「お兄ちゃん(実兄にあらず)」である中村くんを攻略していくのがゲーム本編の流れになります。攻略対象が男性である上に相手は一人、しかも乙女ゲーというわけでもないのでこれを初プレイした当初にはいささか困惑したものです。画家のたまごである中村くんのお世話を甲斐甲斐しく焼きつつ、夜は妄想に浸って自慰にふけるのがみさおの日課。シナリオライター嘘屋佐々木酒人の独特すぎる文体も相まって、抜きゲーとして使用するのはほぼ不可能に近い、コミカルかつ頭の悪いテキストはいっそ味わい深いものがあります。今さら過ぎますが、どういう客層を狙ったゲームだったのでしょうか。久方ぶりにプレイしても謎は深まるばかりです。
とはいえこのゲームを「つまらない」の一言で切り捨てる気に私個人がなれないのは、主人公も含めた登場人物たちがその世界の中で生き生きとそれぞれの人生を謳歌しているのが魅力的だからです。主人公みさおの想い人である中村は、時代を問わず高円寺や下北沢あたりに掃いて捨てるほどいそうな、生活能力も金も無いアマチュア創作者(画家)。決して邪悪でも怠惰でもないにせよ、偏屈で理想家で時代遅れな、周りに合わせて上手く生きることができない社会不適合者そのもの。それでも絵の才能には恵まれているため、美大の教授や辣腕の画商からは目をかけられており、複数存在するEDの中には、あれほど甲斐甲斐しく中村を世話したみさおを捨てて外国に行ってしまう結末すらあります。実に古式ゆかしいロクでなしの在り方とも言うべきで、このEDの後に長い初恋を吹っ切って前に進もうと決意するみさおの姿はむしろ美しくさえあり、個人的には一番良い結末なのではないかと思う次第です。とはいえその他のEDでは中村くんが絵を捨て髪を切りスーツに身を包んで、会社員となってみさおと家庭を持つEDや、みさおの両親の紹介で編集関係のデザイナーとなり、時折何も架かっていないイーゼルをみつめる中村くんをみさおが微笑んで見守るEDなどもあり、女の情感に蜘蛛の巣の如く絡めとられる怖さが満載と言いますか、もしかしたら「何者か」になれたかもしれない可能性をありふれた日常のゴミ箱に捨てて、一山いくらの社会人になってしまうのもまた人生の機微というものでしょう。同シナリオライターがのちに「どんちゃんがきゅー」で描いた、創作者というロクでなしと、そのロクでなしと社会を繋ぐ接点で在り続けようとする健気なヒロインの構図や素描はすでにここで完成していたのでしょう。なんでそれを二十年前のエロゲでやるねん、という疑問は置いておくとしても。
みさおの友人三人娘、あのみ、へれん(可憐)、織絵、もゲームを進めていく過程でそれぞれの背景がフォーカスされていき、惚れっぽい恋多き女あのみは、友人であるへれんが幼い頃から恋心を抱いている、魚屋の跡取り息子「轟(ごう)」と関係を持ってしまって(ちなみにあのみと轟はいとこ同士)、へれんと気まずくなったり、とある芸能プロダクションの若社長に見初められ、タレントとしてデビューしないか、と付きまとわれた際には、「ああいう虚業は嫌いだ」と言っておきながら、次第に若社長の誠実さや仕事への熱意に打たれてなしくずしに男女関係になりつつ最終的には女優としてデビューしてしまったり、一見さっぱりと自立しているようでその実は状況に流されやすいダメ女ぶりがかわいらしく、その一方で弱気な泣き虫のへれんは、それでも大好きな「轟にぃ」をあきらめたくない、と健気に魚屋に通いつめて、デビュー戦を控えたプロボクサーでもある轟のために自身が刺繍をほどこしたガウンをプレゼントし、その勝利を見守った後に魚屋の二階で初恋の相手である轟と結ばれ、想いを成就させます。
三人娘の中で唯一みさおと幼馴染ではなく、高校生になってからの友人である織絵はどうにも謎めいた少女であり、資産家の娘であること、医大を目指すほど優秀であること、性的嗜好の相手に同性も含まれること、いとこの女性とその恋人の男性と三人で暮らしていて、「修羅場」「SMごっこ」を経験していること、などが断片的に語られるのみです。物語の終盤では、いとこの妊娠をきっかけにして「三人の関係」をおしまいにした、と呟いていることから、どうにも一筋縄ではいかないある種の爛れた関係に耽溺していた節が見受けられ、明確に「なにがあったのか」が語られることもないので、その寂しそうな様子が見ているものを落ち着かない気分にさせます。というかこの子のストーリーを掘り下げるのが一番エロゲに向いているのは間違いありません。
また、特徴的な脇役が多いこのゲームの中でも特にエキセントリックなキャラクターが、実業家の「一鉢」さん。とにかく森羅万象あらゆる事象を「金で解決する」ことを信条としている彼は、商店街で自身が買収した様々な業種でみさお達のアルバイト先を斡旋し、本来金で解決することが道義的にはばかられる事柄や、道義どころか確実に法に触れるようなケースも全て金で解決してくれます。この奇人を見て、独特な感性を持って生きている織絵が「わたしこの人すごく好き」とひとりごちる場面は変人同士のおかしな共鳴を見るようでお気に入りのシーンです。
他にも、一言多い八百屋の店主、金髪碧眼の肉屋の女将、中華料理屋と魚屋をそれぞれ切り盛りしている姉妹老婆、中村を見込んで抱き込もうとする画商の女性、酒好きなアパートの大家、厳しく杓子定規な美大教授などなど、良いところもあるがチクチクと不快感の棘がささる欠点も多い「ありふれた市井の人々」が絶妙の距離感で描写されているのはこの時代のエロゲにしては珍しいことかと思います。ある種、漫画的な作品なんですよね。世界観を芳醇にするためだけの余談が多いというか。
サブタイトルにもなっているように、中村に「通い妻」しつつみさおが作る料理の数々は、それほど綿密な記述ではなくとも非常に美味しそうで、この時代には無かった「飯テロ」という表現がしっくりくるほど食欲をそそってくれます。ささっと手際よくなめろうを作ってくれる女子高生ヒロインとかいねえよ。ちなみに、とあるきっかけで精神的に煮詰まってしまい、あまり良くない方向に作風が先鋭化しようとした中村を、視覚的にも聴覚的にも味覚的にもインパクトのある料理を振舞って活を入れるシーンは、不安を抱きながらも愛する男の為に必死で調理するみさおの熱意と、それを食べたことによって憑き物が落ちたような表情でみさおの思いやりに感謝する中村の姿が作中でも屈指の名場面と言えるものになっており、主人公みさおの高い料理技能が決して捨て属性ではなく効果的に現れていると同時に、やはりこれエロゲとしてはなんか違うな、と首をひねりつつ再確認できます。
キャラ絵は可愛らしくともエロテキストは珍妙、プレイ時間はそれなりに長いが冗長な部分も多く、攻略する相手は男でメインヒロインは主人公一人、エロゲーとして「実用」できる箇所は(私個人は)皆無、人によっては金返せと言いたくなる作品であろうことは疑いようもありませんが、それでも私個人はこれほど長く駄文を書き連ねたくなる程度には、このなんとも言えず愉快な空気感に満ちた、独特の世界観を満喫することができました。
決しておススメはしません。それでも、私は好きな作品です