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amaginoboruさんのnarcissuの長文感想

ユーザー
amaginoboru
ゲーム
narcissu
ブランド
ステージ☆なな
得点
95
参照数
605

一言コメント

曖昧で冷静で容赦ない現実に対し、健常者は「何とかなるのでは」と思った。先逝く者を見送った者は「悪いことばかりではない」と述懐した。では人生に行き詰った二人は。長文感想は『120円の冬』『ラムネ』のネタバレを含みます。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

「120円の冬」では旅を通して、やりたいことをやる愛しさを伝えていました。
同時に旅(=非日常)での発見・記録などについても謳っていました。
「narucissu」もまた960kmの旅を書いた物語ですが、主人公とセツミの未来は
閉ざされています。やりたくてもできない。当たり前を望むことすらできません。

それでも車名を次々と当て褒められた時、服を買った時、瀬戸大橋で写真を撮った時、
何より最後の写真を撮ったときに見せたセツミの表情は真実。
主人公にしても諦観(あるいは覚悟)を受け入れられたのは、旅をしたからこそです。

「諦めるしかないじゃない」と嗚咽するセツミ。現実に悔いだらけなのは確か。
でも何もしなかったよりはいい方向へと進んだのもまた事実です。
健康体と綺麗な水着でビーチを駆けることはできなかった。しかし歪ながらも海で
写真を撮り、可愛い服を着たり普通の恋人同士っぽいこともできた。
7階も家も回避できた。少しだけ、やりたいことができた。

達成するには過去の積み重ねもまた必須でした。取りたての免許証がなければ淡路島は
おろか、7階からの脱出すら困難だった。道路知識がなければ到底たどり着けなかった。
5万円がなければ三日ほどで旅が終わっていた。知識ばかり増やしたセツミの22年、そして
主人公の20年は無駄ではなかった。

60億分の1の確率で互いに出会い、何かしなくちゃと思って、でも何をしていいか
わからなくて、それでも2人で7階を飛び出し旅をした。閉じた世界じゃない、本物の
ナルキッソスを見ることができた。「俺たちの証し」を手に入れた。

理不尽に断ち切られた彼らの人生の中でも、考え方1つで幸せだったといえるモノです。
しかし120円シリーズでは共通フレーズであった「何とかなるのではと思ったりして」だけは
本作では用いられません。当然です。現実が何ともならなかった、未来が閉ざされた2人の
物語なのだから。


ラムネのスタッフルームで語られた「1980」は、語り部のK・Tと余命僅かな少女・S美の
お話。手を握り微笑みながら逝くまでを書き記したその最後は「曖昧で冷静で容赦ない
現実も悪いことばかりではない」という言葉で締めくくられています。
あくまで見送る側からの所感であり、見送られる側の気持ちなどわかろう筈もありません。
しかしK・Tは効きの悪いクーラーに喜び、浜辺の花火を楽しむS美の姿に喜びを覚え、
彼女自身もまた嬉しそうに見えたとのこと。

セツミにしても主人公の目からは可愛い服に喜び、瀬戸大橋での写真にまんざらでも
ない風に見えていましたし、自身もまたその光景に幸福を覚えていました。
満足には程遠いかもしれない。でも、全くいいことがなかったわけでもない。悪いこと
ばかりではなかったはずです。


セツミのいうとおり何もしなければ、何も望まなければ、必要以上に現実へ憧れ苦しむ
ことはなかったでしょう。しかし同時に、不幸なだけの人生で終わっていたはずです。
しかし彼女は7階から飛び出した。冷静な現実を突きつけられ涙を流しましたが、同時に
僅かであれ望みを叶えました。

かといって現実は何ともなりません。待ち受けるのは死のみ。だからセツミは
「悪いことばかりじゃなかった」人生で諦め、あるいはこれ以上何ともならない人生に
見切りを受けて、35000人の一人になった。家でも7階でもない場所で、少しだけ何とか
なった非日常の中で、その人生を終わらせました。

入水する直前に見せた微笑と涙は、そんな彼女の僅かな満足と多くの諦観であり、
同時に「生きた証し」を手に入れた主人公の諦観。私はそう解釈しています。


悪いことばかりじゃなかったが、悪いばかりじゃない程度にしかならなかった、未来を
閉ざされた二人の人生。やるせない物語ですが、同時に容赦ない現実から何かを見出す
物語でもあります。

一般論比較論でいえば確かに彼らは不幸です。しかし本人にとっては現実が全てであり、
比較は意味を成しません。ならば少しでも浮き上がるために何ができるか、あるいはその人の
ために何ができるかを考え実践する方が有意義です。たとえ有形的に無意味であったとしても。

抗えない容赦ない現実を突きつけられたかもしれない。しかし何もしないより少しだけ
幸せになれた。「現実も悪いことばかりではなかった」とは、どん底から行動を起こして
僅かでも現実の良さを見出した人の言葉です。

自分のやりたいことをやることで、あるいは自分がやりたいから、その人のやりたい
ことを実行し、少しでも幸せを目指す意味。自分を幸せにする、自分を愛する意味。
そんな当たり前のことを、末期患者という特殊な視点で見せた作品。
「眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと」を。人として極々普通な非日常を書いた
作品。

だからタイトルはナルキッソス=自己愛なのでしょう。



蛇足
上記感想はあえて『narucissu SIDE 2nd』から切り離したものとしています。セツミの
過去を汲み取った上で作品を俯瞰すると、末期患者の女性が主題となるからです。
作品タイトルの意味合いも、2ndを絡めるなら主題歌のとおり、飛べない鳥やエコーに
例える方が自然ですし。

もちろんそれはそれでアリなのですが、あえて1980と120円の冬を比較に取り上げました。
前者はともかく後者を取り上げたのは、方や以後も続く人生、方や行き詰まった人生という
差はあれど『旅を通して伝えられる悪くない現実』というテーマを同じくしていると思えた
からです。無意味の意味についても同様ですね。水仙を見に西へ向かったセツミ達と、只々
遠くを目指した小雪達の行動原理は同じところにあると思います。

それと本作単体で見た場合、主題主旨といったものが皆無なんですよね。無味無臭というか。
絵でいうところの線画のみで色が一切ついていない状態。好きなように色をつけてね、的な。
製作者の片岡氏も読んだ人の数だけ所感がある的なことをおっしゃっていますね。
だから読み手から積極的に解釈しなければ淡々と進んで終わるロードムービーのようなもの
にも見えるでしょうし、それも一つの答えなのでしょう。

これが2ndとジョイントさせると多少なりセツミ側の背景が見えて印象がだいぶ変わり、
方向性らしきものも合わせ見えてきます。(製作者いわく2ndも同じ路線とのことですが、
涙腺を誘う見せ方や主題歌の詞などは作品の方向性をさしている風に受け取れました。)
泣きゲーも好む私としてはこちらの路線も嫌いではありませんし事実2ndも名作ですが、
本作単体の方がより好みなためこのような感想となりました。