エロゲ制作エロゲの皮をかぶったエロゲオタクへの人生賛歌。ダメのダメダメな人が生きやすくなるエロゲです。
◆世界観について
世界線の表裏が酷く曖昧な物語です。一見は尺が長く取られた「にーにーちゃん」の
世界がメイン。しかし断片化された作中エロゲ「あいかわらずなぼく」を線で繋げて
みると、予備校通いの浪人生がエロゲを作る世界の方がむしろ、後に作られたようにも
解釈できます。
その最たるが紗絵シナリオの寝取られないルート終盤。ちえりが出撃し、駅前で狙撃
された物語の先が唯一明かされるシナリオです。その際に天使/悪魔が口にした「ぼく」の
呼称は「いちにーちゃん」。彼が唯一登場するシナリオでもあります。
天使に「3つの願い」最後の1つを叶えるよう急かされた「いちにーちゃん」が口にした
のは「神様に復讐を」。人類が神様に滅ぼされかけ、愛するちえりを喪った彼が願った
のは、人類と自分の末路を戯れとばかりに弄り倒した神様への復讐。創造主の望んだ
結末で終わせたりはしないという、被創造物の意趣返し。
そして物語は2004年秋ヘ。再構築された世界の「ぼく」はエロゲを作るエロゲオタ。
東京練馬のおんぼろアパートに、ナマイキな悪魔のような妹とナマイキじゃない天使の
ような妹と暮らすエロゲ原画家。予備校で再会した後輩・千倉紗絵と結ばれる世界へと
再構築されます。今度は「にーにーちゃん」として。
思えば2003年コミフェに場面転換するまでの本作は、後半シーンを先行描写しながらも
内容が酷く散発的。物語の的を絞らせません。一方で「3つの願い」「いちにーちゃんと
にーにーちゃんの関係」「天使と悪魔の妹」など、あちらの世界観を持ち越してきた
かのような発言や描写がそこらかしこに見受けられます。
2003年に巻き戻った後は上記メタ発言は鳴りを潜め、うだつの上がらない浪人生エロゲ
オタがエロゲを作る世界へと完全シフトします。そんな事情を呑み込めないまま
プレイヤーは読み進めいつしか「ゲーム起動直後の微妙なエロゲくさい世界は、作中で
作られたエロゲ」と認識するわけですが。
天使と悪魔が東京練馬いちにーちゃん宅へ転がりこむ → 天使と悪魔との性活
→ ちえりを拾う → 三日間の生活 → ちえりが人造兵器と判明、最後のエッチ
→ ちえりとの別れ。駅前で射殺 → 蘇生術でいちにーちゃん復活「神様に復讐を」
→ 世界再構築、旧世界の残滓を残しつつ2004年秋の描写 → 2003年コミフェまで
ロールバック、広げられたにーにーちゃん(元いちにーちゃん)の可能性。
双子のエンカとちえりのエンカ、どちらが先かは明確にされませんが、こんな感じで
物語を繋げることも可能です。そして上記見解を完全否定することは、作中の情報だけ
では不可能です。
一方で「あいかわらずなぼく=作られたエロゲ」の解釈もまた否定できません。紗絵
シナリオ終盤の描写はあくまで予備校で見た夢。エロゲを作り続けた「ぼく」が自身の
出自とオーバーラップさせて作った夢でしかない、とすることもまた可能だからです。
同時に「にーにーちゃんの世界」を発売元であるTerra Lunarに見立てたかのような
メタ視点も存在します。
顕著なのがみかルート。実際にエピローグで『らくえん』を制作したかのような描写を
投げ込んおり、そのさまは制作物語に見立てたドキュメンタリーのようでもあります。
デウスエクスマキナによる世界再構築な物語。エロゲを作るエロゲオタの物語。
物語的なエッセンスを交えて作られたドキュメンタリー。ルートによって世界の
在り方が変わる本作は、舞台を同じくしながらコンセプトの異なる物語を詰め込んだ、
実にノベルゲームらしい作品といえます。
が、それが本作のメインコンテンツではありません。極力現実に近い世界、非常に
エロゲちっくな世界、その中間と、3つのラインを曖昧に混在させたこと自体に明確な
理由があります。
◆夢と現
ブランド旧作『しすたぁエンジェル』最終ルートに、このようなセリフがあります。
「そうね。現実以外はぜんぶ夢みたいなもんだもんね。おっと……現実もか」
天使も悪魔も美少女型2脚歩行機械も存在する「超絶対ご都合主義」とジャンル付け
られたかの作品は「あいかわらずなぼく」ほどシリアスではないにせよ、状況は似通って
いました。その内容は、非常識設定ゆえの救いがたい状況からエロゲらしいご都合展開を
発動し、そこへ普遍的難題をオーバーラップさせることで両者の差異を具体化するもの。
要は「エロゲ的なご都合展開っていわれてるほど物語的じゃないよ、現実の難題も
意外とご都合的に解決するよ」ということ。プレイしたのが結構前で細部は曖昧なの
ですが、大体そんなエロゲだった気がします。
『らくえん』では根底のテーマこそ旧作と同じにしつつ、よりユーザに近い位置から
伝えているように見受けられます。
例えば前述の紗絵ルート。終盤で紗絵からの電話に対し、彼女の危機に気づき電話に
出ることで世界はエロゲとして確定。「いちにーちゃん」のシーンが発生し、世界は
「あいかわらずなぼく」の延長線上にあるものとして進行します。エロゲのように
「ご都合的な」解決を見せるからでしょう。
対して電話に出ない場合。この時点で「ぼく」も相当に参っており、紗絵を助けるほど
精神的な余裕はありません。結果として紗絵はメキシコ人に一時的な安寧を求めて一夜を
共に。エロゲ主人公みたくスマートに進められない「ぼく」が味わう寝取られ展開です。
結果世界は現実に即したものとして確定。「いちにーちゃん」のシーンはおろか天使も
悪魔も登場せず、予備校で見た制作中のエロゲの夢としてのみイベントは処理されます。
「天使も悪魔も美少女型2脚歩行機械もない、世界征服を企む悪役も、深宇宙からの
侵略者も、地球の平和を守る秘密組織もない。マンガやアニメみたいな事件はなんにも
起きない」世界のお話です。
だのに両ルートの結末は全くに同じ。運よくFラン大に合格して進学。ムーナス
からの電話を切りエロゲ制作から足を洗ってエンドマークです。「世界がご都合エロゲ
でも現実でも、それぞれに挫折したり立ち直ったりはあっても、結果は大きく変わら
ないんだよ」といわんばかりに。
亜季ルートも同様です。「レイプされて殺される少女A」に今の自分が負けている
ことを自覚するシーン。亜季からの再収録要望に対し、現実的な部分を見ずに亜季が
満足するまで再収録を許諾しても、各種コストと収録済み音声のクオリティを天秤に
かけ現実的な判断を下しても、最後に二人は別れて数年後には一緒にエロゲを作って
います。ご都合世界も現実も、細部は異なれど結果は同じです。
更にいえば本作にはバッドエンドが存在しません。エロゲオタが大学受験に失敗して
浪人し、エロゲ制作に足を突っ込む最底辺からのスタートなのに、いずれの展開も
必ず前向きに幕を閉じます。
『らくえん』制作ドキュメンタリーはもちろん、一度は離れ離れになった相棒と再び
エロゲ制作に乗り出しても、妹と性関係を持って自堕落な生活にズブズブ浸かっても、
お互いを認め合うため一時的に別れても、進学しエロゲ業界からキッパリ足を洗っても、
それがエロゲ的なご都合展開でも、現実的な泥にまみれた物語でも。バッドエンドは
ありません。
各エンドごとに比較すれば一般的な幸不幸の差異は存在します。みかルートが一番の
ハピエンで、杏ルートが最底辺。けれど人生はそこでエンドマークとはならず、いつ
どこで逆転するかわかりませんし、そもそも知り得ない並行世界の事情同士を比べる
こと自体ナンセンスです。「ぼく」はどの世界線でも人生何とかなっているのだから。
◆堕落してもケセラセラ。しなくてもセラヴィ
要は「選んだことに対し空想世界のようにスマートに事を運んでも、スーパーマン
じゃない自分がみっともなく対処しても、世界はそう変わらないし何とかなるもんだよ」
ということなんだと思います。
同時に「失敗してもしなくても、人生なんとかなるし悪いようにはならないよ」と
いうことでもあります。作中でいう堕落とは「目標に対しリスクを背負い取り組むこと」
ですが、堕落すれば当然嫌なこともあるけど良いこともある。堕落せず真っ当に生きても
嫌なことも良いこともある。けどどちらも結局、悪いようにはならないよと。
幸不幸の一方向的な定義付けを厭うエロゲです。
そんな普遍的で無責任な題材なのに殊更刺さるのは、言葉で直接的にではなく、メタと
情感でもって緩やかに伝えているから。そして物語がエロゲオタを当事者として綴って
いるから。数あるオタクの中でも特に排撃されがちなエロゲオタです。その生き様を
ケセラセラと肯定し後押してくれるから『らくえん』はプレイヤーの心へ深く沁みこむ
のでしょう。
読み終えたプレイヤーは所感に「エロゲ本数をこなしてからやれ」と記します。
それは本作が、エロゲに時間と金を浪費し「同じ労力を勉強や仕事に生かせばより満足
いく人生が送れたろうに」と後悔するオタクへと送られる、エロゲに費やした時間を
肯定するエロゲだからです。
そして(むしろこちらが本題で)創作者に対しても同じ姿勢を貫いています。下手でも
根性なしでも能力なくてもダメのダメダメでも、創作に携わったことは無駄にならないし
その後の人生も悪いようにはならない。成功しても失敗しても、いいことも悪いことも
同じ内容じゃないけど等しく得られるよ、と。
「創作で幸せを得られる=成功する」ではありません。何とでもなるのが人生ですが
ままならないのもまた人生。自分の望んだとおりの幸不幸が返るわけではありません。
失敗して周りから酷評を受けて、下手すりゃ借金を背負って底辺に落ち込むこともある
でしょう。
けれど得られたものは創作をしなければ決して得られなかったモノですし、成功したら
したで別の嫌なことが訪れたはず。堕落して周りから置いていかれて何も成果が得られ
なくても、形には残らなかった何かを糧に生き続ければ、人生そう悪くはならないよと。
そんな激励も込められています。
「何を綺麗ごとばかり」とリアリストは吐き捨てるのでしょうが、多くを望まなければ、
そして突発的な死にでも見舞われない限り人生ケセラセラでなんとかなるものです。
そしてその幸不幸は堕落しなければ得られません。この堕落とはなにも社会的地位の
低い活動や保険のないヤクザ商売だけを指しているのではなく、挑戦に値するすべての
事柄です。超々高難度の試験だって志は高くとも、失敗すれば倒産したエロゲ屋の
原画家と状況はさして変わらないのですから。
後ろ盾がなく腰が引けても、まずはやってみる。結果失敗して周りに置いてかれても
得られる何かは必ずあるから。志低く刹那的な快楽を求めた選択でも、その結果で
嫌なこともあれば得られるものはあるし挫折もする。そうやって挫折して立ち直ってを
繰り返す。
そんな人生を生きていくのは悪くないことだし、わりとなんとかなるのも人生。
それがあいかわらずなぼくの「らくえん」なのでしょう。
だからエロゲオタはとりあえず、エロゲをやりながら生きていけばいいと思います。
エロゲがエロければ何でもアリなら、人生は人生が続くなら何でもアリですから。
◆所感
という内容を言葉にひらかないから『らくえん』は凄いなと。説教臭さを意識させる
ことなく優しい幸福論を、しかもエロゲオタを狙い撃ちして展開しています。近しい
内容の書籍や言葉は多々あれど、ここまでオタクに響く作品も滅多にないでしょうね。
ルート別による並行世界などノベルゲーならではの見せ方も効果的に使われていますし、
Terra Lunarならではの演出も特徴的。視覚的な演出にSEをふんだんに盛りこんだ表現
技法は、2017年が終わろうとしている今でもなお特級品と評せます。
そして何より、中身がとてもエロゲユーザー向きなのですよね。社会的地位の低さを
そのまま受け入れて、しかし自身の堕落っぷりにとても真摯で、エロゲが好きでプレイ
している側からすればこれほど嬉しい作り手もありません。「好きでやってるんだなぁ」
というのがひしひしと伝わってきます。
幸福論の観点から見ても、情感とメタに頼ることで説教くささを霧散させている点は
これまた見事という他ありません。冷静に紐解けばわかりますが、何のかんのでエロゲ
らしいお説教なのですけどね。感覚的に伝える手法はむしろ絵本などに近いような。
オタクのための絵本、と書くとやな響きですがw
これらを言葉で肯定するコラムや論評は数あれど、心へダイレクトに伝わるよう
直感的に投げ込んできた創作物は他に類を見ないものと思われます。題材も
表現方法も独特な、ノベルゲーだけで可能な方法で、オタクや創作者にしか伝わらない
方法で人生を「らくえん」と諭す、そんな本作をとても好ましく思います。
以上。「オタクの人生を肯定するエロゲ」それが本作への評です。
私の好きを優しく認める本作に、最高得点をもって報いりたく思います。
制作陣の皆様、ありがとうございました。