長文は一般的な感性を持つ人であれば嫌悪し嘲笑する感想となっています。ご注意ください。
私って世間一般の基準からすると、少し外れた側面があるんですよね。
その少し違うところを皆は、私の仕草や目線や言葉から目ざとく察して、
違う部分や劣っている部分を、言葉で視線で人数で暴力で、手段を問わず
容赦なく馬鹿にされ虐げられて踏み躙られてきました。
そんな劣っている部分を直そうとしてもね。直らないんですよ。どんな人でもいくら
改善しようと努力しても出来ないものってあると思うんですけど、自分の場合
その直らない部分が大半の人にとっては常識的で当たり前で普通にできることらしくて、
出来ないのを見ているだけで、話しているだけで不快感を催すみたいなんです。
自分でもどう直していいかわからなくて、けれど嫌な思いをするのはもう嫌だから
必死に隠そうとするんです。最初はある程度隠せるんですけど、ある程度一緒に
生活しているとやっぱり隠し切れなくて、少しずつ漏れ出てしまって、気が付くと
いつもと同じ結果に、相手を嫌な気持ちにして自分も嫌な気持ちになるんです。
だからコロナを発端としたリモートワークって本当に助かっていて。相手の顔を見て
話さなくていいから緊張は薄れるし、相手に自分の仕草は見られないし、けれど
やらないといけないことはある程度はこなすことができる。時に誰かと一緒に何かを
しても、短い時間だから隠すのも難しくないですし、相手も短時間だから我慢して
くれる。
そんな自分の他人から責められる部分って、要はみんなと同じ風に動けないから
いけないわけで。自分だって相手が普通のことができなかったり、簡単なことが
出来なかったら不快になるわけで、同じことを自分もしてるんだから仕方ないよね。
自分が悪いよね。ある程度歳を取ってからはずっとそう思ってました。
でもね。やっぱり怒りも抱くんですよ。なんで他の人と違うだけでそこまで蹂躙
されないといけないのかって。嘲笑と哀れみの目を向けられるのかって。あいつらは
知っているんですよね。こういう人間はバカにしたり憐れんでもいい人種だって。
殴りつけても反撃もしてこないって。踏みにじることが別に間違えていないんだって。
そんな奴らに対して、なんでこっちが我慢しなきゃならないんだって。ほっとけよって。
まぁそんな蹂躙する側って、こっちが大事にしているものを踏み躙ることに正義を
覚えていて、なんの悪びれもなく正しいことをしている気持ちで踏みつけてくるんです。
いやそれはもう容赦なく。昔のオタクだった人なら、好きなゲームや漫画だったり
自身の創作物を完膚なきまでにぶち壊されたこと、笑われたことあると思いますが
アレです。
そんな連中のことを、表面では仕方ないよね多分こっちが悪いんだよねと諦めて
見ても、やっぱり心の奥では我慢できてないんですよ。このクズが。死ねばいいのに。
クソがクソがクソが、って。そいつらのことブチ殺す妄想とかしちゃうんですよ。
まぁ、こういうことを誰もが見られる場所に書いちゃう時点で
ちょっとヤバいんですけど、そんな人間が抱いた
『月の女、河の天使、神めくとき。』の感想です。
以下本編ネタバレあり。
踏み躙られたくないから、他の人と同じようになりたい。
けれど自分のような人間を虐げるようなクズ共と同じになりたくない。
自分の大事にしているものを、他の人間達にも認めて貰いたい。
けれど自分を理解してくれる人間なんて誰もいない。理解できないお前達が悪い。
鷹凪ひだりは、穐原文美雄は、自分が世間の普通とは大きくかけ離れていて、
分かり合える相手をずっと探し求め彷徨って、でも世間のクズ共は理解しなくて。
そもそも自分が世間とずれているのも自分のせい以上に親のせいでもあって。
その親もまた世間と同様に自分を踏み躙ってきて。
けれど2人は、ひだりとミギは自分を理解してくれる人間と偶然出会った。
理解はできなくても理解しようとしてくれて、相手の絶対開けてはいけない領域も
わかって、相手の利己的な欲望にも理解を示せて。同情でも上辺でもおためごかし
でもない、自分の最も大事な部分を理解し合える相手。
2人が幸せだったのは作中を見てのとおりです。しかしミギは自分の目的のために
ひだりの父親を殺し、ひだりの周りに警察を常に付き添わせ、ひだりの境遇に自らを
重ねる邑田の侵入を許した。ひだりが踏み躙られながらも、少しでも平穏に生きようと
必死で守っていた世界を全てぶち壊し、逮捕され、いずれは死刑となります。
なぜそんなことをしたのか。
ミギ 「俺を好きになってくれたのは、優しくないから?」
ひだり「優しさが自分本位だから……かな?」
ミギ 「あはは。でも言えてる。俺、勝手だよ。だってひだりを、できれば
振り回してぐちゃぐちゃにしたいもん」
ひだりはミギのことを理解しようと努め、自分を自分の望むように肯定してくれる
ミギを愛しているといい切りました。そしてそのミギに全てをぶち壊されました。
自分の欲しかったモノを永遠に得られないようにして、自分の前から消え去りました。
幸せになれる、愛してると云いきった相手から、全てを奪われました。
ミギにやられたことは、これまでの人生の全てで出会った豚どもと同じこと。
あるいは期待を持たされた分、それ以上の仕打ちを受けたともいえます。
邑田のやり口は最低ではありましたが、ひだりと同じく世間に自分を認めて欲しくて、
世間からはみ出した人間が成り上がる具体的な手段を、ひだりが欲しかったモノを
提示しました。
しかしひだりは邑田の手を払い、永遠に孤独であることを選びます。
それが自分に一瞬でも生きている実感を与えてくれた、幸せを与えてくれたミギの
望むことだったから。愛する人のために、自分をどん底に叩き落した人のために、
死ぬまで未来永劫、一生苦痛を味わい続ける人生を選びます。
この顛末を、自分達を散々踏み躙ってきた人間達はどうみるのでしょうか。
頭の可哀想な奇抜な服を着たイカれた女が唯一の拠り所であった、しかし最後に女を
裏切ったクソ男に対し、それでも男のために生きようとする、いばらの道を一生かけて
歩もうとする愚か極まりないクソ女。こんなところでしょうか。クソ男とクソ女の
テンプレートとして見做されることでしょう。
けれどそのクソ女は、ひだりは人生で最高に幸せだったその一瞬を全てとしました。
頭に異常をきたす普通の人から踏み躙られる彼女は、しかし人生で最高の一瞬を
体験しました。その後の人生が地獄にまみれた世界であったとしても。
私はひだりやミギほどではないにせよ、普通の人と違うことで踏み躙られた人生を
歩んでいます。けれどこれ以上は不幸にならないように、破滅しないように自分なりに
対策を練って我慢もして生きています。この先も比較的まともな人生を歩むことが
できるとは思います。
仕方ないよね、自分が悪いよね、と自分の大切な何かを誤魔化して切り売りして、
この生きづらい冷静で曖昧な社会を、自分のせいじゃないのに他の人と違う生き方を
強いられた人生を、最高の幸せが得られないことを理解した上で生き続けるのだと
思います。
だからってひだりのように、自分の全てを肯定してくれる人間と仮に出会えたとして、
自分の全てを明け渡して、裏切られた場合はその代償として死ぬまで普通の
人間から馬鹿にされ、ネタにされ、笑われ踏み躙られて、しかし自分は何も手に
入れることが出来ない人生を選び取ることもできないでしょう。
数十年と培ってきた、自分がそこそこ生きやすい人生の手段を得ているからです。
ひだりは人生の最高の一瞬を得ましたが、その代償として死ぬまで普通の人間から
馬鹿にされ、ネタにされ、笑われ踏み躙られて、しかし自分は何も手に入れることが
出来ない人生を、彼のいない人生を、彼が望む自分であることを強いられて、一生を
孤独で歩むこととなりました。
100%を体験することなく終わる道と、一瞬の100%を体験してその後を地獄とする道。
両方は手に入らない、絶望の道です。
ただ、その絶望を絶望と認識できた自分がいることにだけは救われていて、
ひだりとミギの生き様をそれこそ神様の視点で見届けて、孤独である彼女が美しかった
とか、自分が自分であることを成し遂げたとか、そういう所感を抱かなかったことには
安堵しています。本作を読んで、なりたくない自分にならずに済みました。
そんな、普通の人から虐げられる私に客観視をさせなかった
本作のビジュアル、BGM、そしてテキストと声に最大の感謝を。
僅かな幸せと溢れんばかりの絶望を突き付ける物語でした。