「物語=人」を生み出し語り継ぐ物語。......といわれても意味不明だと思うのでまずはプレイを。テキストと一致しないボイスや韻を重んじた中盤までは、それ自体をエンタメとして楽しむことができます。その後多くの選択肢を経て物語は幕を閉じますが、謎は明らかにならず主題もどこか散漫。「で、何がいいたかったの?」と問い詰めたくなりますが、読み手によって作品主旨が変わるため明確な答えはありません。自論を「樹立」する気が起こらないのであればエンタメ性だけで本作を評価して良いと思います。長文はひとまず1周クリアした人向けに、読み解くための私的な見解を前半に。私自身の所感を後半に記しています。
◆世界設定
本作には大別して4つの物語が存在します。
1.「リアル」。「Forest」作者や聞き手の住まう世界の物語(※1)
2.「Forest」。いわゆる本作。メイン5人が脱却する物語
3.「はじまりの物語」。Forestの作中作で「森」のオリジナル。作者はアマモリと灰流
4.「森」。Forestの作中作。「はじまりの物語」などをベースに生み出され「リドル」で
登場人物に試練を与える。黒いアリスが仕切っているが作者は「Forest」作者と同じ
トゥルーエンドを見ればわかるとおり、本作は「世界は全て誰かの生み出した物語であり、
従って人間は全て登場人物である」とルール付けられています。
「Forest」は「リアル」の登場人物である作者の物語で、灰流達は登場人物。
「はじまりの物語」はアマモリと灰流の物語で、トルンガ達は登場人物。「リアル」も
灰流にしてみれば外側の作者に作られた物語で、そこに住まう人々もまた登場人物
とのこと。
つまるところ本作は物語の入れ子構造で世界が構築されています。
また以下の法則で成り立っています。
・物語は作者の定めたルールによってのみ法則が成り立つ
・物語は作者の意図する結末を迎えることを最優先事項とする
・望む結末にたどり着けるなら過程はどう転んでもいい
ここでややこしいのが「森」。
「森」はアマモリの書棚にあった物語と「はじまりの物語」、そしてメイン5人の過去や
苦悩葛藤がコラボレーションした物語です。ゆえに「森」の作者は関係性の強いアマモリ
あるいは伽子と考えがちですが、物語作ったのは「Forest」作者。ルールをアマモリにも
黒のアリスにも制御できなかったのはこのためです。
(「リアル」も実はややこしいのですが、考え方は間違えていないので気になる方は
注釈(※1)を参考にしてください。)
◆「Forest」のあらすじと結末
「森」に巻き込まれた5人が自らを見つめなおし依存から脱却する物語です。雨森望は
物語から。黛薫は夢から。刈谷真季は過去の男から。九月周は新宿から。城之崎灰流は
安易な物語を否定し、人の価値より物語の価値を優先する詩人としての自分から。
リドルを通じて脱却します。(灰流だけ自信ないです。4人かも。)
なので「Forest」作者の意図する結末は全員が「森」から脱却すること。すなわち
メイン5人が幸せハッピーエンドです。これが叶わない過程を踏んだ場合、聞き手は
過程の改変を促されます。これがコンティニュー(※2)です。
例えば「Ⅳ 夏至の夜の改賊」にてティンクを生かすと夢が正当化されてしまい、
黛薫は夢から脱却できなくなり脱落してしまいます。このまま「Ⅶ たからもの」まで
物語を進めても結末が成立しないため、コンティニューでⅣの改変を促されます。
「Forest」作者の目的は以上です。その他の出来事や登場人物など全ての設定は
あらすじと結末を結びつけるためのパーツ(=言の葉)であり、それ以上でもそれ以下
でもありません。ゆえに不要な設定は細かく定義されていません。
例えば「宮野伽仔=黒のアリス」とはなんだったのか。言の葉から想像はできますが、
「Forest」の中で具体的な設定はされていません。結末を語るのに必要ではないから
です。結末へ導くための登場人物でさえあれば作者の目的は達成できるからです。
◆エロゲ『Forest』の主旨主題
結論からいうと、どれでもあってどれでもありません。「安易な物語の肯定」
「雨森望の成長物語」「灰流を通した世界の解明」など様々な読み方が可能ですが、
いずれもそうと受け取れますし、また違うと指摘することも可能です。
作者の主旨は上記のとおり「メイン5人が幸せハッピーエンド」です。対して読み手の
考える主題は、それこそゲーム選択肢のように言の葉の選び方で変わります。
「アメモリ」「灰流」「メタ」「イギリスの物語」「森」「物語」「パドゥア」etc...
これらを読み手が組み合わせることで各々の主旨が生まれます。
作者の用意したパーツから「こう考えた方が面白いんじゃ?」と想像を膨らませ、
物語の骨組みは変えずに、時には細部を整え、描写を付け加え、想像から生み出した
新たな要素を加えて、原典をより面白く読めるように工夫する。それが物語を語り継ぐ
という行為です。
だから読み手の考える主旨はどれも正解ですし、他の読み手にとっては他の主旨が
正解になることもあります。
そして本作は物語の完成(=死)を嫌い、変わりながらも語り継がれることを望んで
います。言の葉から物語が自由に読まれることを肯定しています。
◆所感
以下、作中に倣い「作者→語り手」「読み手→聞き手」と置き換えます。
本作において人は物語の一部、あるいはそのものです。登場人物は生き抜き人生を全う
する(物語が終わる)ことで「死」にますが、隣人(聞き手)がその人(物語)を語り
継がれて、変容しながらも存在は生き続けます。
(歴史上の著名な人物とその伝記を例に考えるとわかりやすいかなと。)
登場人物は時として語り手の意図しない行動を取り、物語を変えてしまうことが
あります。(創作でいうところのキャラが動いている状態に近いかも)
結果として想定する結末へ結びつかない場合、語り手は結びつくように過程を修正
(コンティニュー)します。
そうやってルールを作り、言の葉を思い出し、時にはコンティニューし、また思い
出して。その繰り返しの果てに完成した物語は、それ以上何も変わらない停滞した
状態となります。また時として語り手は物語の結末を迎えるため、登場人物を退場
させることもあります。それ即ち人の「死」でもあります。
死んだ人もまたそれ以上は変化しない、中身が一切変わらない完成した状態です。
物語≒人とする「Forest」ですから、物語の完成もまた「死」です。
しかし物語も人も聞き手によって語り継がれます。話す。書く。歌う。踊る。織る。
それぞれの様々な方法で表現されて語り継がれます。一方で物語の内側にいる登場人物も
新たな物語を生み、登場人物を生み出し、物語は完成し語り継がれます。このように
世界が物語と人の入れ子構造で成り立っているのは前述のとおりです。
「Forest」冒頭に語られる「枯れた世界樹の王さま」はこのサイクルそのものです。
様々な体験を経て枯れる寸前の世界樹に立つ王さまは飛び降り、おしまいの村に辿り
つく。そこで出会ったトルンガに世界樹の物語を語り継ぎ、終わると同時に王さまは
死ぬ。トルンガはそうやって集めた物語をタペストリに織り込む。
「はじまりの物語」でいう世界樹とはすなわち、物語であり人生です。
はじまりの物語である「パドゥア」があって、そこから新たな世界樹の種が生まれて
芽吹いて枯れて語り継がれて、新たな世界樹が生まれて。語り継がれないまま枯れる
聞き手が自分しかいない物語や人生もあるでしょう。しかしそれ以上に世界樹は
繁殖し、いつしか森へと変わります。
思えば「Forest」の作中作「森」だって雨森望の所有する書棚にある物語から
生まれた新たな樹です。そのイギリス物語も作者も元となった世界樹がやはりあった
わけで、そうやって世界樹は世界中に生い茂ります。だから本作は『Forest』。
「パドゥア」から様々な人や物語が生まれ、森となった物語なのです。(※3)
.....ということを『Forest』というパドゥアから落ちてきた「人」「物語」
「外の世界」などの言の葉を選んで語り継いでみました。ただしこれはあくまで
私の想像と解釈によるものでしかありません。
とある方は「雨森望」「物語」「現実」「成長」などの言の葉から「1人の少女が
物語から脱却する成長物語」という世界樹を樹立されています。あるいはそこから
更に「外の世界」「ティッシュ」「エロゲ」などの言の葉を選びあるいは思い出して
「物語否定からの人生賛歌」を主題とする世界樹もあるかもしれません。
批評空間内を眺めただけでも様々な世界樹が樹立しています。Web全体へと目を
向ければそれはもう大きな森ですし、そのプレイヤーにまで目を向ければ樹海と
いって差し支えないほどの大規模な世界樹の森があります。
この世界樹が生まれる過程こそ『Forest』の語り手が見せたかった物語の結末、
風景だったのかもしれません。
以上が『Forest』の聞き手の1人として私が樹立した世界樹です。
蛇足
ちゃんと考えたわけではないので推測ですが、引用されたイギリス物語達に本作主旨と
なる要素はなかったように見受けられます。その役割はリドルを発生させる際、世界の
イメージするための媒介のようなものかなと。聞き手やメイン5人が想像しやすいよう
公約数的なイメージが必要だった。そのために用いられたのではないでしょうか。
もちろん原典を知っていればリドルとの差異から妙を見出せることもあるでしょう。
ですがそれは物語を彩るTIPSの1つでしかなく、本編に大きな影響は及ぼさないのでは
と想像します。要は「知らなくても無問題」ってことです。
※1
「リアル」は上述のとおり物語であるとルール付けられていますが、それを発したのは
「Forest」の登場人物である灰流。つまりこれは「Forest」作者の制定したルールです。
しかしより優先度の高い「物語のルールを決められるのは作者」という大原則によって
「「リアル」=物語」のルールは棄却されます。「Forest」作者は「リアル」の作者では
ないため「リアル」のルールは制定できないからです。
よって「リアル」の外部にも作者がいる」という灰流の発言は、我々の世界を定義
づける効力は持ち得ません。ですが「Forest」内では作者の制定したルールですので
「「リアル」=物語」は真です。現実世界を引き合いに出していないため、かの発言は
メタのようで厳密にはメタではないんですよね。非常にややこしい構造です。
まぁ結局お話としては「「リアル」=物語」で通して問題ありません。
いわゆる「重箱の隅」です。
※2
コンティニューは「結末が成立しない過程を選び物語が行き詰った場合は、原因に
立ち返り改変できる」という「Forest」のルールです。聞き手が何度も行き詰ると痺れを
きらしたのか「Ⅴ ザ・ゲーム」にて九月周に対し「外」を意識できるよう一時的にルールを
改変します。「作者の意図に沿って話を進めてよ!」というメッセージですね。その後の
サービスタイムはやはり作者の意図なのか、はたまた九月周の暴走なのか。
※3
『Forest』由来の別解釈。「Ⅶ たからもの」のリドルは海賊が現れた時点で発生したの
ではなく宮野伽子が生まれたその瞬間から、つまり「Forest」が始まったその時点から
「たからもののリドル=「森」の物語」が始まったと解釈することもできます。ですが
リドルが開始されたタイミングは明言されていません。言の葉からの想像です。