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amaginoboruさんのハルカの国 ~大正星霜編~の長文感想

ユーザー
amaginoboru
ゲーム
ハルカの国 ~大正星霜編~
ブランド
Studio・Hommage(スタジオ・おま~じゅ)
得点
94
参照数
98

一言コメント

決別編が国の成り立ちを語る章であれば、本作は国の意味を語る章。国はなくとも、それでも姉は妹が生きるための呪いをかけました。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

小さきものが燃える炎の陰によって生まれるのが国。
では人はなぜ命を犠牲にしてまで国を作るのか、というお話でした。

今回の物語は、縁に纏わるエピソードでもあります。縁は人に生きる意味を与えるが、
縁はある日突然切れてしまうもの。縁が切れた人は自らを保つため他の縁に縋り、
縁から外れる者も後に残す、縁が切れる者達の負荷が和らぐように準備をする。

縁とは何も人と人の関係だけではなく、人が自らを賭けて打ち込むものも指しています。
例えばユキカゼの剣。縁(えん)よりも縁(よすが)と読む方がしっくりくる気がします。
縁(えん)が切れたから縁(よすが)に入れ込む。縁(よすが)を無くしたところに
縁(えん)が手を差し伸べてくれる。人の生きる意味であるわけです。

ユキカゼは決別編において縁(よすが)を見失い、しかし五木やハルカの縁(えん)に
救われました。しかし五木は酒田で別れてから生死は知れず、ハルカからは別の道を
歩むと一方的に遠ざけられて。生きているだけとなったユキカゼに新たな活力を与えたのは
知己の同族という過去の縁、そして偶然という新たな縁でした。

しかしその縁も、姉の「ほどけ」により切れてしまう。姉から託された妹の将来のため、
ユキカゼは妹との縁を自ら断ちます。その他、東京で結んだ様々な縁とも断ち切り、
最後は正気を失った姉との旅路に出ることに。

縁(よすが)を見失い、新たな縁(えん)もすべて失ったユキカゼが吐き出した
「私は何者でもない」という言葉。これこそ人が、そして化けが生きる意味を失った
末路でありました。

しかし人の場合、ユキカゼと同じ境遇になったとしても、最後の最後にもう1枚の
受け皿が存在します。それが国。同族が幸せに暮らすために作られた、同族の命を
燃やして作られる形無き存在です。

例え自分自身に何もなくなったとしても、国が強引に「同族」という縁をもたらします。
自分のような人間がまた生まれないよう、自分が他の人に何かを残すために自らの
命を燃やします。それこそ妻子を喪い仲間に裏切られ何もかも失い、しかし小さき墓に
想いを寄せる2人の化けを逃がしたように。生きがいや死に場所をもたらします。

しかし狐には国がない。人は大きな国を興し、クリは阿波に同族が残っている。
しかし狐は国どころか、縁を繋ぐ同族も明治6年の政変で散り散りになり連絡は
取れなくなってしまった。そして最後に残ったおトラとの縁も終に切れてしまって。

クリが旅立った後のユキカゼの慟哭は、そんな何もなくなった自分への恐怖であった
のかなと。ハルカと別れた時はまだ「家族」という縁を知らなかったから1人で生きて
いられた。しかしおトラとクリと縁ができてしまって生きがいを知ってしまった。
ユキカゼはもう、縁のない人生を耐えることができなくなっていたのかなと。

だから「クリを白峰にやったのは失敗だったか」とクリとの縁に縋りつこうとし、
おトラを自分が引き取ろうとしたのかなと。クリのため、おトラのためと誤魔化して
いるのですよね。本当は自分のために、2人を手元に手繰り寄せたいだけ。

亀も弥彦も、「母でも姉でもあるおトラを任せてしまって...」と後悔に暮れますが、
ユキカゼにしてみれば見当違いも甚だしかったのでは。最後の縁であるおトラが
いなくなったら何も無いから、自分のためにおトラを手元に置きたかっただけで。

亀にも弥彦にも「お前たちにも家族がいるのだから仕方ない」というユキカゼの
慰めは、私には「お前達には縁がまだあるだろう。せめておトラだけは私に残して
くれ」という風に聞こえました。

だからユキカゼは、国も縁も作れるクリに「ここは人間の国だ!」と見せしめたし、
東京を離れる際にビル群を振り返り、人間の国がここに至る星霜に感動を示した
のかなと。縁(えん)が、縁(よすが)が、国が自らに与えてくれる恩恵を、
いつまでもどこまでも求めていたのだと思います。


しかし姉は、そんな妹に対し常日頃から不安を抱いていました。

  「なんでもいいけどさ」
  「何かもっとかないと、しんどいよ」

「クリ頼ム」とクリをユキカゼに任せたように、おトラはユキカゼのことも
別ベクトルで同じほどに案じていました。そんなおトラの最後の心残りが、
小さき炎が、大船で一時ながら正気を取り戻し、居眠るユキカゼに声かける
ことなく下車したのかなと。

正直なところ、最後の最後でなぜおトラが正気を取り戻せたのか、それは一瞬なのか
永続なのか、理由はわかりません。
しかしおトラがユキカゼに、姉が妹にこれまでかけてきた言葉の数々を想うと、私には
最後の最後でおトラがユキカゼの縁を繋いだようにしか思えませんでした。

何もかも失ってしまった生活狐ではなく、最も長く付き添った縁(よすが)に活路を
見出すやっとう狐として生きて、明治6年に失われた縁(えん)をまた手繰り寄せる
ために。弥彦が繋いでくれた縁(よすが)に今一度縋れるようにするために。
おトラは五木と同じく、ユキカゼを生かすために小さき命を燃やしたのだなと。


本作は大まかに分けて3つの構造が、常にループを繰り返しています。
1つは人(化け)の出会い、幸せ、挫折、そして立ち直りと別れ。
1つは国の興り、隆盛、壊滅、そして復興と過去の国との別れ。
1つは出会いの夏、幸せの秋、苦難と絶望の冬、そして救いと別れの春。

人・国・四季。それぞれが常にループを繰り返す作品です。
ですが常に同じことを繰り返すのではなく、1つ巡るごとにちょっとだけ変化して、
時には同じ失敗をして後戻りもして、そんな一進一退ながらも少しずつ前に
進むような、そんなループです。

人はいうまでもなく、四季も時には前季のような寒さ温かさを感じる時もあり、
日本国も大正の後期から絶望と苦難の昭和初期を経て、新たな国へと
歩み出します。循環しながらも時には後戻りもするし、前にも進むのです。

また縁(えん)は縁(よすが)ですが、縁(えん)は円でもあります。
巡り巡ってまた結ばれて、切れて、得て、失って。永遠のない循環した、しかし
何かが少しずつ進んでいく概念です。

星霜編の最後、ユキカゼの背負う剣にはおトラと結んでいた布が巻き付けて
ありました。それは縁から逃がさない呪いであり、妹を包み込む最後の縁でもあり、
本作の象徴する円でもあるように見受けられました。