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amaginoboruさんの朱 -Aka-の長文感想

ユーザー
amaginoboru
ゲーム
朱 -Aka-
ブランド
ねこねこソフト
得点
98
参照数
506

一言コメント

砂漠・現実という乾いた世界に、人間という淡雪のような湿り気を落とした作品。一瞬で渇き飛んでしまい、下手すれば着地すらできず消える存在は、どうすれば少しでも有意義に自己を全うできるのか。ノベルゲーという唯一無二の舞台を用いて起こされた物語は、抗いようのない絶望や寂しさに耐えるための問いを与えてくれました。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

エンターテイメントな物語としては酷く不手際です。砂漠の危険を熟知しているのに
あっさり油断する主人公。あまりにも唐突な各章メイン格の退場。戦闘描写の拙さ。
悲劇らしい慟哭が聞けるわけでもなく、特に1,2章は退屈を覚えた方も多いのでは。

しかし読み終えてみれば、全て必須であったことを実感できます。退屈を繰り返す
だけの前半も、厳然と事実だけを伝える悲劇も、全て『朱』の物語を綴るためになくては
ならないもの。しかしそれは、世界観から想起されるようなドラスティックな叙事伝
ではなく、私達にも同じことがいえる酷く当たり前の代物です。

そんな「当たり前」を読みたい方にオススメです。逆に砂の世界ならではの
エキゾチックな物語や英雄伝を読みたい方は回避を。主題に着眼してのみ楽しめる、
ある意味酷く尖った代物です。

といいつつ、ねこねこソフトの他作品に触らずに楽しめるのか?といわれると
実は自信がありません。というのも私自身120円シリーズや『narcissu』『1980』
(『ラムネ』のおまけシナリオです)などの補助線あって初めて理解できた気が
したので。

逆に世界観の近しい『銀色』は、テーマ的には未プレイでも問題ありません。後半で
「え?」となる展開はありますが、ひとまず「そういうもの」として流してしまって
良いかと。ただプレイ済みの方のみ楽しめる仕掛けがあるので、その辺を許容できるか
どうかでしょうか。

良さがわかりづらい&他作品プレイ推奨と大よそ万人向けとはいいがたい作りですが、
完成度の高い作品であることには違いありません。点数の高さはテーマもさること
ながら、それをノベルゲーならではのユニークな形で表現できているからです。
他メディアでは味わえない妙を求める方はぜひ。



以下ネタバレ所感。『Scarlett』以前のねこねこソフト作品ネタバレを含みます。










◆ノベルゲーとしての高い完成度
テーマは明確な一方で物語に拙さの散見される本作ですが、その上で高評価を下した
のはノベルゲーとして高い完成度を誇っていると思ったからです。文絵音の全てを適格に
用いることで、オンリーワンの世界と物語を作り上げています。

テキストに関しては語るまでもないでしょう。テーマ特化型としては十二分に評価
できる内容です。2章にやや中だるみを覚えたものの、1章の伏線をしっかり回収した
上で話を破綻せず組み上げられた点は評価できます。少なくとも1章や「朱-Interiude」
以降の空気を壊さなかった点は見事でした。

最も評価したいのは1章ですね。砂漠を日常と現実に見立て、歩くだけの苦しく淡泊な
毎日。テキストもほぼ同一。でも少しだけ異なっていて決して同じ日はない。夕日の
見せ方も含め、我々の日常へ綺麗にオーバーラップさせていました。結末も、情を一切
挟まない現実が絶望をダイレクトに投げつけてきます。

鬱ゲーの多くが悲しみや辛さを表現する際、主人公達の感情に加えて周囲や環境その
ものに悪意が向くよう仕向けたり、あるいは負の連鎖で誰も悪くない状況を作り出して
やり場のない悲しみを生み出すなどが主流です。1章にて回想される姉ちゃんの
エピソードが前者の代表例でしょうか。

しかし『朱』の場合は、自身の行動に対する結果のみが不幸として返ってきます。
怪我を負ったまま出立したカダン。レイランに赴いたターサ。守護者へ丸腰で突撃した
ファウ。高場で視覚を喪ったのに伏せず動いたラッテ。リスクを意識すれば回避できた
行動が致命的な失敗へと繋がっています。

ここで他作品なら「生まれが悪い」「環境が悪い」「人々の悪意が悪い」と犯人を
テキストに起こすことで、読み手の同情や沈鬱を引き起こします。対して『朱』は
何が悪いとも、どうするべきだったとも語りません。それが現実だからです。どんな
事情があろうとも、起こった事実を返すだけ。感情の逃げ道を一切塞いでいるのです。

愁嘆場を淡泊に感じた方も決して少なくないでしょう。あの『銀色』関連なのに、と。
ですが私は感情に逃避させず事実だけを突き付ける見せ方に、より絶望を意識
しました。中でも1章はカダンの記憶のみが残った事実に言い訳もできず本当に
辛かった。(それだけに助かっていた事実には最初「えー」ってなりましたけどw)

テキストはテーマの創出だけに執心していたように思います。厳しくつまらない日常を
淡々と書き続け、幸も不幸も感情を割り込ませず事実だけを書き綴り、幸せを求めあがく
人々にのみ感情をつけていた。だからこそ諸々の場面で題目を意識することができた
のかなと。物語へ流されることなく初志を貫徹した、見事な文章でした。


そんな乾いた世界に潤いを与えていたのがグラフィックとBGMでした。灼熱の太陽、
吹き荒れる砂嵐といった「舞台としての砂漠」がテキストで起こされることは少なく、
情景描写がやや物足りない。照り返す太陽や砂場のみが続く世界を、絵や動きで見せ
SEとBGMで盛り上げることで的確にフォローしていました。

演出も見事です。思い出をモノクロで見せる手法は常道ですが、なにぶん「相手の中に
ある自身の証」が重視された作品です。詳しくは覚えていない形のないあやふやな、
しかし唯一無二の大切な証として見せる回想は、殊更秀逸な演出だったように思います。
派手さはなくとも効能は十分に発揮されていました。

挿入歌も相変わらず巧妙です。特に「銀色」をあのタイミングで流すのはズルい。
他にもラッテが初めて役に立てたシーンなど、歌で感情を盛り立てる手法は本作に
おいても健在でした。

何より上手かったのがラスト。映画的手法ですが、テーマを考えればこれしかないと
言わんばかりの終わり方です。直後の1枚絵だけを見せて、多くを語らない幕引きが
心地よい余韻を与えてくれました。


ねこねこソフトの他作品も片岡氏のテキストは秀逸でしたし、BGMも作品に馴染む上
単体としても十分上質なクオリティでした。グラフィックも流行とは異なるも世界を
的確に表現できている、総合的にレベルの高いブランドではありました。

ただそれらが一体となっていたか?と問われれば首肯しきれない面があります。
特にテキストの力が勝ちすぎ、一方でグラフィックはエロゲ最低限の仕事である
ケースが多い傾向にありました。『Scarlett』などはグラフィックも上々でしたが、
他は視覚面の弱い印象がありました。文音に比べて浮いている、といいますか。
(『narcissu』の制作コンセプトを聞くに、視覚の除去を試みていた可能性も。)

『朱』は砂漠という要素を「日常・現実の比喩」「過酷で壮大な舞台環境」の両面で
見せる必要がありました。しかし文音のみで表現するのは情報過多となり難しい。
そこで文と絵で担当を分け、それぞれを表現していたように見受けられます。ある意味
ねこねこソフトで視覚情報が最も活用された作品です。

過酷な砂漠環境が視聴覚で実感できたから、その中で日々を繰り返す辛さも実感できる。
そんな毎日でも夕日が綺麗だから、それを共有できたから日常の幸せとして実感できる。
自らの失敗がダイレクトに結果として返るからこそ、砂漠を過酷な環境と実感できる。
文と絵音、それぞれの担当が上質なシナジー効果を生み出していました。

文絵音が一体となってテーマに注力し、独特の味わいを持たせた1つの作品として
成立している。他のメディアには真似のできない、まさにノベルゲーだからこそ体験
できる作品です。その完成度は同ブランドにおいて最上。ノベルゲー全体でも特上に
位置する逸品として評価します。



◆幸せを問う作品
『120円の冬』『narcissu』は旅を非日常に例えていましたが、本作における砂漠は
旅ではなく日常です。自然の驚異に怯え苦しみつつ街から街を歩く日常は、私たちが
過ごす現実と全くに同じ。理不尽に怯え悪意なき悪意に苦しみつつも日々の義務を
こなす我々の日常そのままです。

日常を離れ更なる幸せを求め、一歩間違えれば破滅に繋がるまでもが同じです。欲を
かき取り返しのつかない失敗を犯して後悔することもあれば、そのまま成功に繋がる
こともある。「失敗を恐れず挑戦しろ!」と成功者が良く語りますが、失敗者の末路が
朱の1~3章というわけです。1章と3章は愚にもつかない凡ミスで破滅を招きますが、
メール1通のヒューマンエラーで破滅する現代も似たようなものですね。

かように現実というものは冷静かつ残酷。情け容赦なしに事実だけを私たちへ返します。
そんな過酷を忘れるため、あるいは変えるための行動が非日常。作中では「還す」行為で
あったり、解決する手段を求めて他の地へ赴く旅が該当します。

前者は全てを忘れ去ることで相対的に幸せになる手段。不幸200幸福20の計-180なら、
ゼロクリアすれば180の幸福だよね、的な考えです。ただ手段は別に「還す」必要はなく、
関係ない新天地で一からやり直すことでも近しい効能は得られます。ただし不幸を完全に
消去はできませんし、新天地ならではの不幸も存在します。

後者は新しい手段で不幸を消し去ろう的な方法。不幸200を解決して天秤を幸せへと傾ける
方法です。ただし作中でも語られる通り、より多くを求めれば不幸や破滅の確率も比例
して増大します。

ただし結末が幸せにしろ不幸にしろ、過程に不幸な事ばかりがあったわけではありません。
砂漠に沈む夕日が綺麗であるように、日常のどこかにも幸せは存在します。親しい人が
隣にいて共有できたのなら殊更です。そうやって共有の時間が積み重なって相手に残り、
相手の分も自分の中に積み重なっていきます。そしてそれらは人生が終わるか、あるいは
記憶を失うまで消えることはありません。


...何も難しいことは語ってないのですよね。酷く当たり前のことだけを徒然なるままに
書いた作品です。しかし、それだけに物語的な幸不幸にも生々しさがあります。

1章ラストなどはその最たるものでしょう。怪我を治さず砂漠を渡る愚を犯し、
アラミスに躊躇が生まれたゆえのいわゆるファンブルで、それこそ絵物語のような
ご都合的な不幸です。(同時に現実でも良くある風景でもあります。無理を押して残業
ラッシュして本番でぶっ倒れ、相方と乗り越えようとしたら僅かな伝達ミスで大失態。
ケーススタディの材料待ったなしですね。)

現実は結果だけをカダンヘ返します。砂上の楼閣が一夜で吹き飛ばされたように
アラミスの中にあるカダンが容赦なく還されるその残酷さは、しかし砂漠を現実に
見立てた話立てがフィクションとは思わせてくれません。運が悪ければ自らにも
起こりうる現実として、情け容赦なく生々しさをもって突きつけてきます。

「朱-Interiude」の導入も同様です。イサナに救われワンチャンゲット、破滅の淵から
やり直す機会を得ます。GM手心入れてんじゃね?的なクリティカル判定ですが、現実は
結果を返しただけ。イサナの「前回助けたのは偶然」という言葉がそのままその通りで
実に印象的でした。
(3章で似たような凡ミスからファンブルを起こし、しかしこちらは破滅するのが
対称的であり、やはり現実味を持っていて印象的でした。)

幸も不幸も分け隔てなく、ただただ結果を返すだけ。それが砂漠が旅人に与える過酷な
現実であり、私たちが生きる冷静な現実です。どんなクリティカルもファンブルも、
奇跡にも悪意にも意図的なものはありません。


だから人々は自分から幸せを求め不幸を避けようと足掻きます。そして欲深い。
記憶を取り戻そうとするカダンも、真実を一方的に伝えるターサも、万人を救おうと
するファウもルタも。無いものや失ったものを求めて足掻き、現実に結果を返されて
います。

対してアラミスやチュチュ、ヴェズやラッテは積み重ねた幸せに対して欲深い。存在
証明となる思い出の積み重ねを唯一無二の宝物としています。だからカダンに話しかけ、
失ったときは求め、ターサとの日々に執着し、ファウとの思い出を返すことを拒み、
ルタの旅路に同行した。そしてやはり、現実に結果を返されています。

4組8人の物語はそのまま、2つの幸せが衝突した物語でもあります。お互いの願う
幸せが一致せずことごとく不幸を迎え、しかし現実は結果を返すだけで、破滅した
2人もいれば幸せになれた2人もいた。1人は積み重ねた幸せを取った結果、相方を
残して息を引き取った。残された相方は絶望に耐えられず、還した。

ではカダンとアラミスは?記憶が戻りカダンの証は取り戻した。しかし2人を縛る
不幸の念も戻った。不幸を忘れるか、積み重ねた幸せを取るかの二択。アラミスの
涙を見て、カダンはどちらを取ったのか。そもそも全ての行動を起こさず、還す者と
守護者として、砂漠の日常を繰り返していた方が幸せだったのか?

何が幸せなのか。笑いあえるのか。それは誰にもわからない。現実は結果を返すだけ。
エンドロールのタイミングはそういうことなのでしょう。

『朱-Aka-』は幸せを問う物語。私はそのように評します。



◆他作品との関連性
かように問いかけのみで終わる物語ですが、同ライターの別作品において様々な一例が
提示されています。

幸せと不幸の比例を悲劇で語った『銀色』
積み重ねが消えても再び積み重ねを始める『みずいろ』『サナララ』
曖昧で冷静な現実を生きるための気持ちの在り方を提示した『120円』
積み重ねの愛しさをより深く掘り下げた『ラムネ』
積み重ねなかったIFと代わりの積み重ねを綴ったCS版『ラムネ』
僅かしか手に入らない幸せを、旅に乗せて表した『narcissu』
人並みの幸せが手に入らない人と日々を積み重ねた『1980』
日常の愛おしさを伝える『Scarlett』

いずれの作品も『朱』の問いに通じる何かに対し、1つの答えを提示しています。
逆に問いかけで終わるのは本作のみで、諸作品の立脚点ともいうべき立ち位置と
されています。(それだけに『銀色』の続編であることが惜しい。)

そして本作含むすべての作品において「日常」「旅」「道具」のいくつかを用いて
います。カダンとアラミスが砂漠の夕陽を積み重ね、遠く離れた地で砂上の楼閣を
作り上げ、ドゥムジの峰で雪に遭遇し、砂浜で崩れない城を作ったように。
日常でお互いを積み重ね、非日常でも積み重ね、道具という目に見える証として
残す描写を愛おしく表現しています。

幸せを求めれば不幸になる可能性も比例して高くなる。それが『朱』の語る現実です。
その冷静で抗いようのない厳しさを前に、自分には何ができるのか、どうしたいのか。
そう考える切欠を与えてくれるのが本作であり、1つの可能性を見せてくれるのが
ブランド他作なのでしょうね。





蛇足
アラミスに声がないのは結果として二人を俯瞰するための演出となっていたような。
女性にのみ声を付与し、主人公へ憑依できる形を取るのがエロゲの常道。つまり
主人公=自分として所感・判断できるよう仕向けられています。俯瞰視点も少なからず
ありますが、それらの作品でもヒロインの声なしは滅多にありません。

しかし本作の場合、3人6組の結末と2人の旅路を見た上で、最後に読み手へと問い
かけてきます。その際お互いに声がなかったことで、カダンとしての判断ではなく
「二人を俯瞰して見続けた上でどちらが幸せだと思うか」で想像できた気がします。



蛇足2
アラミスって元は入れ替わってから記憶を還された(あるいは失った)元癒しの者
なのかなと。名前からして違和感ありましたが、ヴェズとお互いに変な名前と評して
いたのがおや?と。カダンパパも妙な表情を見せていましたし、何よりアラミスは
男性名。アニメ三銃士のような事情でもなければ普通は付けません。

一度記憶を還した彼(の入った彼女)が再び同じ岐路に立たされどの道を選ぶのか、
選んだ方が幸せなのか。そう考えるとまた答えも変わってくるのではないでしょうか。

...なんてことを愚考していました。いやまぁそうだとしたら、ラッテとのエンカ時に
何か反応ありますよね。あくまで妄想です。



蛇足3
「砂浜で崩れない城を作った」と書きましたが、それでも数刻で崩れ去ってしまうのです
よね。雪と記憶を結び付けたりと、あえて壊れやすいものを選ぶあたりが『朱』らしい。
同時に『120円の春』の温かさを改めて実感しました。幼子が自分にできる精一杯で
作り上げた「葉月城」は、優しさの象徴ともいえる代物だったのですね。