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amaginoboruさんの花散峪山人考の長文感想

ユーザー
amaginoboru
ゲーム
花散峪山人考
ブランド
raiL-soft
得点
92
参照数
1286

一言コメント

人と山の徹底的な対立と、その間に挟まれ翻弄され続けた男の物語。心情描写がメインで従来のレイルソフト作品より読みやすい一方で、傍若無人な主人公と陰鬱な展開が読み手を更に限定しています。極々僅かな読み手のみを対象とした物語ですが、ノベルゲーとして唯一性のある作品をお求めなら是非。クオリティは間違いなく上質です。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

霞外籠・紅殻町・信天翁と、レイルソフトは異界に対する畏敬の念を常に欠かしません
でした。人間には御しがたい恐ろしいものとし、一方で人と在り続け反映を促した
有り難いものとして。作中人物達にもそれは例外でなく、時には惑わし時には牙を向き、
時には彼ら彼女らの望む道を用意する、畏れ多くも有り難い存在として綴られていた
ように思います。

しかし『花散峪山人考』は人の身を主人公としながら、従来作で異界とするところの
存在、すなわち山人とは終始対立。畏敬はおろか蔑みの感情を隠そうともせず、徹底的な
までの破壊を尽くします。
なぜ従来作とは真逆の異端な物語となったのか。異界やそれに類似する存在が主役では
なく、人間を主役としているからでしょう。

既存作と比べて特に目につくのが情景描写の少なさです。従来の作品は人間が主人公
でも主題は異界にまつわるものでした。霞外籠なら旅籠の情景やヒロイン達の外見や
雰囲気が主として語られ、人間が書かれるのは物語の終盤も終盤。紅殻町も人間が
主人公ながら描写は異界と憧れへの思いが中心でした。人間が存在しない信天翁は
いわずもがな。

対して花散峪は、最終章を除けば情景描写は最低限のみ。代わりに伊波やいちの心情を
こと細やかに書いています。心情と情景の割合が既存作と逆転しているかのようです。
終章にしても玄牝が語る真実や「異界」の始まりを描写しているものの、主として
語られたのは伊波といちでした。

復讐の感情無しに自らを保てない伊波に対し、自らを最後の焚き木として復讐の炎に
くべるいち。そんないちを愛しく思いつつも、初美のため愛情を注ぐことはできず道具
として扱いきる伊波。人に捨てられ山人に弄ばれた男の復讐行と、神を封じたがため
常に一人だった女の末路を綴った物語。それが本作主旨の一つかと考えます。

同時に「相の子の悲劇」をも綴られていました。伊波といちはいうまでもなく、京香は
独人との混血。鈴子と化野は山人の先祖返り。その全てが人と山人の対立に磨り潰され
消え逝きました。群れたくても群れることのできない、相の子というだけで排撃され
生きることすらままならない生物の悲哀もまた感じ取れました。



以下やや妄想気味。レイルソフト旧作のネタバレ含みます。











かように人間を軸として語られた物語ですが、裏では山に住まう者達の現世から消え
ゆく様が綴られていました。

思えば伊波の山を殺す手段は常に人間を意識させるものでした。水を人の分泌物を塗り
込めた鉄で汚し、紙から火を起こして木々を燃やし。多用される拳銃もその1つです。
人工物によって殺されていく様は、時代背景もあってさながら自然を破壊し続けた人間に
見立てているようでした。

かと思えば4章は逆に人の住まう都市を植物が蹂躙し、5章は啓文と伊波がそれぞれ化野と
ぶつかりあい。そもそも伊波の不幸からして山人達の手によるもの。諸々の事情ありとは
いえ、山が人を陥れ、人が山を殺しての繰り返し。その構図は既存作のような人を下と
した上下関係ではなく、お互いを対等に見立てた対立の相を呈していました。

そして終章ではついに、人自身の手によって山を現世から隠します。生まれの源を
同じくし、近しい存在ながらも差異を知り、境界から先には踏み込まず共存してきた
人と山人。その関係が南蛮からの伝来物により山人は徐々に押し込まれ、最後は
人/南蛮の力で駆逐される。現世でも彼岸でもない海の向こう「異界」へと追いやる
物語です。

山人に人生を弄ばれた伊波の復讐がメインではありますが、その道程は人間社会の
自然迫害を隠喩していたように思います。日本史の意味するところの南蛮とは、日本へ
鉄砲を始めとした文明利器を持ちこんだ欧州列強、拡大解釈すれば日出ずる国の生まれ
ではない者です。

その血を引く伊波が自然を滅ぼす利器で果たした復讐は、人が自然を滅ぼす様そのもの
とも読み取れます。隔てながらも山人と共存していた日本人が、外人と友誼を成し山を
排した。そうして山人は人の目から消え、後の世で「異界」に住まう者達と同様に
扱われるようになったのかなと。

ゆえに結末は山の水源から大きな海を、現世と異界を隔てる海を生み出します。それ
即ち霞に包まれた旅籠と繋ぐ海であり、紅が運びこまれた港と繋ぐ海であり、ウミヒトの
異界と現世を繋いだ海であり。
(明治時代に畝傍失踪→半端モノを集め朔夜を作り出す間に山人滅亡→太平洋戦争後の
世界へ飛翔、と一応は時系列も整います。時間なんて概念があるのかわかりませんが。)

もちろん全ては隠喩的であり、「海」にしてもたまたま同じモノを媒介にしたのかも
しれません。それでも私には自然迫害から新たな異界が生じた、あるいは現世との
繋がりを明らかにした物語であるようにも受け取れました。