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akumagakitariteさんの終のステラの長文感想

ユーザー
akumagakitarite
ゲーム
終のステラ
ブランド
Key
得点
90
参照数
446

一言コメント

我らは野人か否か

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

文明が衰退し、人類がほぼ死滅した後の地球。
危険な殺戮機械が徘徊する世界を渡り「運び屋」として人間集落を行き来する主人公ジェードは、奇妙なほど深い科学知識を持つ正体不明の老人ウィレムの依頼を受け、人間にしか見えないアンドロイド・フィリアを彼の元まで連れて行く。

機械が人類に反乱した世界で、人間にしか見えないAI少女と擦り切れた大人の男ジェードの交流を描くという王道過ぎるほど王道なストーリー。
主題については純粋に面白く、期待したものをそのままハイクオリティで提供されている。
ラーメン屋に行ってラーメンが出るようなものなので、それについては感想を書かない。
最高にワクワクしたし感動したが、意外性は特にない。

予想外の面白さという意味で、作中に登場する「野人」がいる。この感想は彼らについてのものだ。
文明社会から切り離されて数世代を経た人類の総称で、知的能力は極めて低く、言葉は分かるが意思疎通は不可能に近い。
運び屋のふりをして集落に潜り込もうとする野人は守衛に一目でそうと看破され、危険な野生動物として追い払われる。

恐らく彼は、なぜ自分の演技が見破られたのかすら理解できていない。
我々から見れば自明な「文明の空気」を纏っていないことを、彼は認識できないのだ。

野人は命の価値が低い。これは集落の人間からだけでなく、彼ら自身の社会でも低い。
物語の途中でフィリアを奴隷化するために襲撃してくるが、ジェードに次々と射殺されていっても最初に定めた目的を破棄しようとはせず、命乞いや個々人の逃亡という描写もない。
銃の危険性を理解できないとジェードは解釈しているが、野生動物であろうと大きな音が鳴って仲間が死んだら逃げ出すくらいはする。野人はその意味で森に生きる鹿よりも愚鈍だ。

文明が上がるほど、人間は個々人の命の価値が上がる。
野人の住むメガロポリスは命の価値が極端に上昇した歪な社会であり、科学技術の絶頂期にありながら、それが原因で滅亡した。
恐らく低層文明人の継嗣である野人は、命の価値が異常なほど低いからこそ数百年、あるいは千年以上が過ぎた中でも生き残っているのだ。
概念的な死を理解する知性がなく、共同体のために犠牲になれるのは純粋に強さだ。

この「差」は比較的な意味であり、例えば我々現代人と同レベルの文明水準を有していたと思われる古代の低層市民も、選民思想を抱く高層市民から見れば野人と同じような存在だったのだろう。
命の価値が低く、文明の空気を纏っていない短慮で暴力的なニンゲンモドキ。
彼らに支援をしようというものはいても、さほど大きな影響は持てなかった。
絶滅寸前の動物の保護活動のようなものだ。街角で募金ぐらいはするだろうが、自宅の一部屋を貸し与えようとは思うまい。

低層市民は間違いなく愚かだ。都市のパイをもっと寄越せと殴り込みを仕掛けて諸共全滅してる様など、知性の輝きが微塵も見えない。
実際、高層市民は自分たちの意見を表明するために死を前提とした突撃をするなど想像できないに違いない。目的のために命を捨てられないほど命の価値が高いのだ。

そして低層市民が野蛮に高層市民を殺戮できた理由もここにあるのだろう。
「文明の空気」を纏った高層市民にとって、それを持たない低層市民は野人と同じだった。
低層市民にとっては「文明の空気」を纏っている彼らこそが化け物であり、自分たちとは違うニンゲンモドキだったのだ。
かぎ針や縄梯子を扱い、祭壇を作る程度の文明性を持った野人達が、ジェードとフィリアを野生動物を捕まえるかのように狩猟したのと同じである。

物語当初、集落に紛れ込もうとした野人を射殺した姿にショックを受けたフィリア。
恐らくプレイヤーの九割九分はジェードと同じ考えであり、人間の姿をしているからといって「文明の空気」を持たない野人が射殺された姿に何の感慨も抱かなかっただろう。
ナイーブ過ぎるフィリアの理想論に嫌悪したプレイヤーも多いに違いない。

しかしこれがメガロポリスの大門前で、病気の娘を抱えて都市の医者に見せてくれと嘆願する低層市民の父親が娘諸共射殺されるシーンであったなら、意見は逆となった筈だ。
我々は偶然人間集落と似た文明レベルだから集落に感情移入し、低層市民に似ているからそちらに感情移入し易いだけなのだ。
生まれたばかりの存在でコミュニティに染まった経験がなく、何よりアンドロイドであるフィリアにとって、我々と野人の区別を厳密に付けられなかった。

我々現代人が「野人」ではないのは偶然であり、たまさか現代は「野人」にならずに生きられる確率が極めて高い社会を構築していた。
そして滅びた世界ではその偶然の出目が悪く、高い確率で野人として生まれてしまう。

間違っているのはフィリアではない。野人からは見えない「文明の空気」という障壁は、未だ人間ならざる高次の存在のフィリアにも同じく透明だったのだ。見えているのは我々自身だけだったのだ。

現代人であれば服を着るように当然のように纏っている「文明の空気」の有り難さと、服を失うように容易く喪失してしまう儚さ。
何より、自分たちが他者から見て裸の王様でないと証明できない恐怖。
ポストアポカリプスの玄妙さというのは、まさにこの対比となのではないだろうか。