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abcd1234さんのANGEL TYPEの長文感想

ユーザー
abcd1234
ゲーム
ANGEL TYPE
ブランド
minori
得点
85
参照数
316

一言コメント

時が静止しているのかと錯覚する程、登場人物・世界・演出、そのどれもが静的。かかる「静」の中に投じられた一石である彼女達との交流が、平らな水面に本当に小さな波を立てる。それは誰も気づかない、けれども確かなる始まりの一歩。お構いなしに過ぎてゆく時間と変化する世界の中で、その一歩を踏み出すまでの「動かざる静から静かなる動」への過程を無駄なく描いたこの作品は、洗練性と世界観とが相まって、とても綺麗だ。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 お構いなしに過ぎてゆく時間と変化する世界から置いていかれてしまった主人公が、動かざる静なる空間に自分を閉じ込めている状態にあるところから、この物語は始まる。

 こういった危うさは誰もが持っているものだと思う。危うさという表現も不適切か。誰もが隣り合わせであるといった方が良いかもしれない。

 主人公と同じような状態になる・ならないの境界線は、いかに単純に自己を誤魔化すことができるか、に尽きる。複雑に思考することはとても魅力的なのだが、諸刃の剣ということ。世界を単純化し、それが常態であると自己を誤魔化すことで、いわゆる正常を保つことができるのだ。そして、誤魔化すことができているMajorityは、その誤魔化しをさも当たり前にできることであるかのように認識し、できないMinorityを弾こうとする。自分達もささいなことでMinorityになる可能性があるにもかかわらずだ。もっとも、ささいなことでその逆へと変化する可能性があるのは、主人公と同じようなMinorityも同様である。

 この点において注意しなければならないのは、決してMinorityが悪いわけではない、ということだ。世界がMinorityを許容するのであれば、多元性を支えるその存在は、むしろ好ましいとすら言える。だが、実際には世界は狭量で、Minorityを好ましく受け入れてくれない。異質を恐れるがために。したがって、Minorityであることは、残念ながら、平穏を手にするにはいささか向いていないということになってしまうのだ。その意味で、Minorityであることのみで責められることは許されないし、MinorityからMajorityへの移行願望もまた責められるべきでない。

 本作の主人公は、まさにMajorityからMinorityになった存在である。一見普通に過ごしていた状態の中、単純すぎる世界に違和感を覚え、自己を誤魔化せなくなったのだ。学校という場は、良くも悪くもある程度画一的にならざるを得ない。誤魔化せなくなる人間が現れることは無理からぬことである。

 誤魔化せなくなったことで、主人公は外界を受け入れることができなくなり、自己を動かざる静なる場所へ閉じ込めてしまう。その場所は、何もかもが静かで、動いていない。時が静止しているのかと思うほどに。けれども、現実世界の時間の流れは止まることを知らないので、空っぽではあるけれども、形式的に生を送ることにする。それが定時制への編入である。

 そんな中、主人公はヒロイン達に出会う。主人公とは別のカテゴリーながら、彼女達もMinorityであると言えるだろう。また、定時制という環境自体も、ある種のMinorityな場である。したがって、その出会いは偶然でありながら、必然であったのだと思う。

 彼女達との交流は、動かざる静なる場所にいた主人公に一石を投じるものだった。近しい存在だから、自然に交流できるのだと思っていたにもかかわらず、そうではなかったからだ。

 彼女達は、主人公よりもずっと動的なものに耐えうる存在だった。Majorityを前にしても、動的な世界を前にしても、たじろがない意志の強さを持っていた。だから、彼女達がその意志の強さを試された時、その側にいた主人公のいる場所に、誰も知覚できない、けれども確かなる細波が立ち、それが主人公を今ある場所から動かす一歩となる。

 ただ、恵だけは他のヒロイン達と異なる状況下、つまり格別Minorityというわけでもない立場にいる。にもかかわらず、主人公に影響できるのは、主人公への特別な想いに加えて、恵が自然体でMinorityをMinorityと捉えずに許容できる人間であるからだろう。その意味で、彼女はMajorityの中に存するMinorityと言えよう。だから、主人公を動かすことができたのも、まったく不思議ではないということだ。

 そして、その一歩を描いたところで、この物語は終わりをみる。

 本作では、主人公の「動かざる静から静かなる動」への過程とその結果たる一歩を描きたかったのだろうと思う。静を演出するには、なるべく無駄のない描写が好ましいであろうから、比較的短いシナリオは、その点プラスに働いたのではないだろうか。必要十分であったということだ。

 彼女達一人一人は、主人公にとって、まさに「天使としてあるべき姿の一つ=ANGEL TYPE」であった。その姿はとても綺麗だと私は強く思い、それと同時に、作り手のコンセプトでもあるMinorityなるものも染み込むように伝わってきた。