「決して結ばれることのない、去る者と残される者の気持ち」を書き続けたnarcissuの集大成。構成面でも、セツミと主人公による短い物語だった1作目からの話の広がりと、その1作目へのフィードバックが素晴らしい。出逢えて良かったと思う物語となりました。
PC版からの主な追加内容は、最終章(+エピローグ)とnarcissu(以下「1」)のリメイク。
まずは、1のリメイクについて。
3年前、narcissu -SIDE 2nd-(以下「2」)をプレイしたとき、
姫子など、新規に登場した人物の数少ない設定とその明かし方といった
構成面・演出面でも、物語に馴染みやすく、引き込まれていくことができ、
また、公開順としての1→2、時系列として2→1というつながりも含めて、
場面と場面、セリフとセリフのつながりが丁寧に感じられました。
すなわち、1を読んでいる上での2、というだけでなく、
2を読んだことによって1を読んだときの印象が変化する、
という楽しみ方もできるようになっていることです。
それは、おそらく、1のいくつかの場面におけるセツミの心情描写等が、
「プレイヤーの自由に感じ取れる」ことに起因していて、
2でセツミの背景を知ることでまた違った受け取り方ができるということだと思います。
という感想を持った。
そして、今回の1は、まさに2の6年後(5年半後)の世界となっているため、
上記の時系列として2→1というつながりが強くなっている。
姫子の活動が知られていたり、優花が登場したりするし、セツミの母の登場回数も増えている。
(蒔絵素子が登場するといった、外伝とのつながりもある。)
結果的に、元の1が描写を削って、プレイヤーが自由に感じ取れるようにしていたことが、功を奏したと思う。
最終章。
それは、7Fの始まりの物語。
家族総出で、当時としては珍しい老人ホームを運営していた蒔絵博史と、
その恋人となった日下陽子が、
先駆けとなるホスピスに医者と患者として入り、7Fを築くまでの物語。
医局長となった博史が、「…最初から医師を目指したわけでもない」と言いながら、
中庭のベンチでセツミに語りかけた話だった。
そのエピローグで、蒔絵博史は、自分が、いや自分と陽子が始めた7Fに患者として入院する。
そこには、二人が決めた部屋のデザインがあった。
袖机に小さなテレビ、高い天井、白い壁。
予備用の簡易ベッドと、15cmしか開かない窓。
談話室(テレビ室)の花瓶には季節の花と、
壁に飾られた華やかな絵画。
本棚にある無数の書籍や小物は、
まさに彼が何年も掛けて少しずつ増やしたもの。
そして、「初めて」の人として「ルール」を聞く。
それは、陽子が博史に伝え、博史が「陽子からの伝言として」次の7Fの住人に伝え、
7Fの住人の中で伝わり続けながら付け加えられていったルールだった。
─退院の回数
─何も食べるな
そんな身につまされるような内容の中に
姫子の「─友達は作っても良い」があった。
きっと、セツミの「─残すものには、笑ってあげて」もあるのだろう。
阿東優から千尋に伝えられたところで、ルールはノートにまとめられ、
それからも書き続けられてきたルール。
そこに書かれていた最初の内容、最初のルールは、二人のものだった。
蒔絵博史は、こう振り返るのだ。
…誰もが…待合室で順番待ちをしている。
もちろん並んだ順ではない。
が、避けることは出来ない。
何者も、何物も、例外など無い。
(中略)
まもなく、この長い生を閉じる今になって。
俺は…何かを遺せただろうかと。
俺の生に、意味はあったのだろうかと。
…そして…彼女の生を…
価値のあるものに出来ただろうかと…
そして、彼にノートを渡した7Fの住人は、
ルールを追加することを「自分の証しみたいなもの」という。
去る者と残される者の気持ちを書き続けたこの作品、
「自分の証」「生きた証」を遺そうとする、
人間のそんな姿も描きたかったのだろうか。
と、この最終章・エピローグを始めとする、今回の追加部分で思うのだった。